〈2.6〉バディ・オン・タイトロープ
「――どう? これでいけそう……?」
「タイトロープだ」聞き終わった俺はつぶやいた。
「だが……それしかなさそうだ。時間もないしな」
俺が承認の言葉を口にすると、雪はほっとした表情を浮かべた。それからすぐに一転して、安楽椅子から飛び降り、強気に寄ってきた。
「え・ら・そ・う・に・す・る・な」
ごっごっごっ、と頭を小突かれた。
「思いついた私に感謝する。心から。さん、はい」
「……すすくさんありがとうございます」
と、棒読みした俺を嘲るように、ごんごんと二階の外階段の扉がノックされた。
「――ミツグちゃんが来たぞー! おらんのかー! ぶち破るぞー!」
あいつの馬鹿力なら本当にスチール製の扉を破壊しかねない。マッツを預かって今日で三日目。予定通りのお迎えだ。
「……はい、立って。第一段階開始っ」
雪に尻を叩かれてソファーから起き上がる。
心の準備を込めて咳払いしてから扉を開けると、ミツグがぬっと現れた。
「相変わらずきったないんだー。彼女作って掃除してもらいなよ」
「うるさいな。マッツ、返すぞ。これで俺のことは放っておいてくれるんだな」
「ああ、それなんだけどさ。もう五日延長でって、アンジュ姉が」
「……レンタルビデオじゃないんだぞ」
そうぼやくが、ボディガードの延長は想定内だ。花目がマッツを狙い出したのを、アンジュも裏切り者からの内部情報で聞きつけたはずだ。
「わかった……報酬は持ってきたのか?」
「あー、とりあえず三日分のは。下にある。百万くらいでいいっしょ? よくなかったら、ミツグちゃんの拳骨もつけるけど?」
こいつに殴られたら比喩でなく顔が変わる。だいたい百万円の札束を往来のバイクに置きっぱなしなんて不用心が過ぎる。だが余計なことは言わず、俺は手だけを振った。
「いや、今欲しいのは金じゃないんだ」
俺はなるべく自然に言った。
「急ぎの用で要るんだ。どれだけボロくてもいい。“コートアーマー”を一体くれないか?」
第一段階が始まった。俺たちの作戦の。
土曜日だった。
ガレージハウスの前で待っていると、雪が私服で現れた。
今日はよくわからないバンドのTシャツにフライトジャケット、フレアスカートだった。足元を飾るのはリーボックのスニーカー。まあ大体いつもと同じ服装だ。
俺と雪とケージに入ったマッツは、まず場末の開業医に向かった。
くたびれた獣医と、年かさの看護婦一人で切り盛りしている遵法意識の低い医院だ。適当に金子を渡すと、「タイミングよかったね」と黒猫の遺骸を一匹持ってきた。命に敬意を払わない態度に俺と雪はむっとしたが、何も言わなかった。
遺骸をクーラーボックスに丁寧に納めて、道具屋に作らせた首輪を巻いてやる。
それから新宿署へ向かった。
雪とマッツをエントランスで待たせ、受付に鳥籠花目警部を呼び出してもらう。
しばらくして眠たい目で煙草を吹かしながら現れた花目は、俺を上階の取調室へ連れて行った。これ以上マッツを見せて怪しまれたくないから、雪とマッツは置いていく。まさか署内に襲撃をかける馬鹿はいないだろう。
……俺はそこでファントムのことを思い出して、少し後悔した。そういえばあいつは掛け値なしの馬鹿だった。
取調室で二人きりになると、俺はクーラーボックスを開けて、猫の遺骸を見せた。
「そうそう。こいつだ、こいつ!」そう頷いていたが、花目に猫の顔を見分けられるはずがない。興味があるのは金の首輪の方だ。
むべなるかな、花目はさっと首輪に手をのばし、乱暴な手つきでそれを遺骸から奪った。
「猫はいいのか」
そう尋ねると、花目はうるさそうにしっしっと手を振った。
俺はクーラーボックを閉め、取調室を後にした。
雪とマッツと合流し、新宿署を出る。
火葬場に行って猫の遺骸を焼いてもらい、それからペット葬儀をやっている寺に行った。
申し込みをすると、若い住職に「猫ちゃんの名前はなんとおっしゃいますか?」と訊かれた。
俺はとっさに答えていた。「――――」
他の参詣者たちと本堂で住職がお経を上げるのを聞き、合同慰霊牌に遺骨を納めると、葬儀のすべてが終了した。
「あの名前って?」
そう雪に訊かれたが、俺は適当に誤魔化した。“彼女”の名だった。
マッツのものと同じく、あの首輪にはマイクロSDカードが入っている。
だが、その中身は偽物。俺が一時間でそれらしくでっち上げたデタラメの帳簿だ。
そこに入力した密輸の予定は一つだけ。
二日後の晩、
その中にはゼノマトック社の純正“ガーゴイル”が一体納められている。
それはたしかにアンジュの“コートアーマー”だ。
俺が報酬代わりに貰った。
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