〈2.5〉スティング


「……というわけになった」


「なんで昨日のうちに言わないの!?」


 マッツを膝の上に載せて喉を撫で回していた雪に昨日のいきさつを話すと、ものすごい怒られた。放たれた怒気に、マッツは毛を逆立てて逃げ出した。


「そんなこと言ったらお前帰らなかっただろ! ただでさえ遅い時間になってたんだ」


「だからって、なんで黙ってるの! ……えーなに! つまりこういうこと? 一方にはマッツを守れって言われて、一方にはマッツを殺せって言われてる。それをしないと――」


「墓地か刑務所、どっちかに俺がぶち込まれる。どっちにしろあんまり愉快な結末じゃないな」


「むしろここまで来たら愉快だわ!」


 ミュージカル俳優みたいに雪は天を仰いだ。狂乱ぶりが過ぎる。そうか、こいつはこういう鉄火場は初めてか。


「マッツ殺すなんて絶対駄目だかんね!」


「そんなことするわけないだろ。俺の護衛対象パッケージだぞ」


 自分の命運を話しているとも知らず、マッツは尻尾をぴんと立ててのんきに事務所を散策して、よりよい寝床を見つけようとしている。


 ため息をついて雪は安楽椅子に沈み込み、長い素足を組んだ。


「なんか抜け道ないの?」


「突破口になるかわからんが疑問点はある。どうして花目が猫を狙う。嫌がらせにしては、花目に利益がない。あいつは悪人だが、感情に任せるほど無節操じゃない」


 神部にコネを作り、そのついでに俺もハメるような奴だ。一石で二鳥以上得る算段がなければ動くはずがない。


「いや……そもそもの話だ。どうしてアンジュは俺に飼い猫を守らせたんだ? ああいう手合いはプライドが高い。猫とはいえ、身内の護衛なら身内にやらせるはずじゃないのか……」


 そこで俺の脳をある言葉がよぎった。


 ――毛一本、首輪一つ。二人ともそう言っていた。


 依頼主のアンジュはまだわかる。だが、猫の死を望む花目まで、どうしてそんな言い回しを? 嫌がらせで殺すだけなら、になんの用がある?


「そうか……」


「どうした?」


「こういうことかもしれない」


 ある考えを思いついた俺は立ち上がり、それを実証するためマッツに近づいた。


 ふっ、と逃げられた。


 ――追いかけっこが再び始まった。



 十分後、引っかかれた顔を押さえて、俺はソファーに倒れ込んだ。


「雪! マッツの首輪を外してくれ!」


「愛情が足りないからそうなるんだって」


 そう返事すると、拍子抜けするほどあっさりマッツを捕まえた。なんてことだ。雪はマッツの首に巻かれていた留め具を外して、磨き込まれた金の首輪を取り去った。


 納得のいかない気分を抱えながら、俺は受け取ったその首輪を検分した。


「やっぱりか……」


 首輪の一部に切れ目がある。マイナスドライバーを突き立てると、ぱかりと外れて、中からマイクロSDカードが転がり落ちた。


 俺はそれを事務所のパソコンのリーダーに挿入する。パソコンには疎いが、なんのロックもかかってない記録媒体を見ることくらいはできる。


「これだ。見ろ……いや、やっぱり見ない方がいい……」


「はっきりしなって」


 制止も遅く、雪はパソコンのディスプレイを覗き込んでいた。


 開かれたのは表計算ソフト。日付や場所、デタラメな記号が羅列されていた。


「なにこれ……暗号? どこが見ちゃ駄目なの?」


「……密輸“コートアーマー”の帳簿だ。この日付と場所がそれぞれ水揚げした日と港、記号の方は“コート”の機体種を示している。たとえばこのGってのは“ガーゴイル”。Kは“ケルベロス”とかだろう」


「“ケルベロス”ってCじゃなかった?」


「……まあ、そういう奴が作った帳簿ってことだろ。花目はこれを捜してたんだ。そういうことか……」


 すべてがつながった。


「アンジュは花目のガサ入れを察知した。警察の捜索から帳簿を一時的に避難させるため、マッツの首輪に隠して俺に守らせたんだ。首輪に帳簿が入っていると知った花目は、その所在はおろか俺が護衛しているとも知らないまま、俺にマッツの殺しと死骸を持ってくるよう命じた。どっちとも、最初からこの帳簿のことしか頭になかったってことだ」


 リーダーからマイクロSDを抜くと、首輪にそっと戻して蓋をした。


 今や、これだけが俺たちの生命線だ。ぶっ壊したりしたら、えらいことになる。


「……でも、おかしくない? たとえば花目さんがこのSDを手に入れたとして、これ証拠にならなくない? 誰のものかもわかんないただの怪文書ってか、もはや文字化けじゃん」


「……見ろ。これは来週の日付だ。おそらくこれにはだけじゃなく、も入力されてる。これをもとに密輸の現場を直接押さえるつもりだったんだろ。現行犯ならば証拠も何も必要ない。……警察にも“コート”摘発のノルマがあるって話だ。最悪、ブツさえ押収できれば、花目は組織に対して有用性を証明できる」


「ふーん……」


 と、細い顎に手を添え、安楽椅子探偵のように考え込む雪。


 そこで俺は気がついた。雪がしつこく尋ねてくるのは、好奇心からではなく、本気でこの事態をなんとかしようとしているからだと。


 顔を見ればわかった。目は俺に向いているが、はいない。深い思考の海の中で、なんらかの解決策を見出そうとしている。


 俺も、マッツも、誰も犠牲にしない未来を。


 どうしてそこまでするのか、わからなかった。


 この件に雪は関係ない。神部凍星の娘に手を出すほど、両方とも馬鹿じゃない。どっちに転ぼうが、痛い目を見るのは根無し草の俺一人だ。


 やっぱりボディガードがいないと困るなあと、東都大学の一件で思い直したんだろうか。


「……要はさ」と、思索から覚めた雪は唐突に口火を切った。「花目さんは違法“コート”が摘発できればいいんだよね」


「それが花目の最低限期待してるラインだろう」


「じゃあさ、でっち上げる? “コートアーマー”密輸を。


 何を言ってるんだこいつは。『私たち』というのもだいぶ引っかかるが、


 門外漢だから……というためらいを言外ににじませながらも、雪はそのアイディアを披露した。

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