〈2.4〉亡八稼業


 雪も行く、と伝えると、新宿の小料理屋に来いと言われた。


 何度か飯を奢られた店だ。スナックやら水タバコシーシャ屋やらが軒を連ねる繁華街の裏通りにある。


 マッツを入れたケージを持って、雪と一緒にその小料理屋の暖簾をくぐった。


 小奇麗だが狭い店だ。カウンターが八席と、奥に四人がけの座敷が一つしかない。


 そのカウンターに腰かけた花目は、他の客たちに拳銃を見せびらかしていた。


「持ってみろ、おい、持ってみろって! ビビんなよ。安全装置がかかってっから、引き金引いても弾は出やしねえんだよ。おい、それでも男か!」


 俺はマッツを玄関に置くと、まだこっちに気づいていない花目の方へずんずん近寄った。


「そうだ! そうやって両手で握んだよ。左手は添えるだけつってな……」


 俺は酔客が握っていた花目の三十八口径自動拳銃オートマティックを取り上げると、マガジンストップを操作して弾倉マガジンを落とし、スライドを前後させて初弾も抜いた。


「俺の護衛対象パッケージがいるところで火遊びしないでくれ。ていうか、懲戒免職だろ」


「……ったく、お前か。おい、お前ら全員帰れ! 河岸変えろ!」


 花目がしっしっと追い払う仕草をするが、他の客はぶつくさ言って座ったままだ。


「さっさとしろ! 代金は要らん!」


 花目は弾丸の入ってない拳銃を持ち上げると、だらだらしている客に銃口を振りかざした。


 弾丸が入っていないとはいえ、日本人は拳銃を突きつけられるのに慣れていない。客たちは慌てて立ち上がり、外套もろくに着ないまま逃げ出していった。


「ふう、やっと静かになった。まったくこんな狭い店で騒ぎやがってあいつら」


「……あんたが一番騒いでたんじゃないのか」


「そっちが神部雪嬢か」


 俺の小言には応えず、花目は立ち上がって、玄関で手持ち無沙汰にしている雪に近づいた。まったく緊張した様子はない雪に、花目はおどけた仕草でベレー帽を脱いで、コメディアンのように頭を下げた。


「新宿署の鳥籠花目警部であります。お父様には、ま~~お世話になっております。ども。ささっ、座敷の方に。わたくしはこの、街の片隅を這いずり回る薄汚いチンピラめに用がありますので……おい、ハガネ。あの猫はなんだ?」


「……友人の頼みで預かってる。いいだろ。どうせ他に客もいないし」


「あっそ……ま、ま、じゃあ猫ちゃんも一緒に座敷にお上がりください。おい、茉莉花まりか!」


 カウンターの向こうで仕込みをしていた割烹着姿の女主人が、はぁいと返事をした。二十代前半くらいだ。こんな店一軒を持つには若すぎる。


「ブリあったろ。照り焼きにして、座敷に出してくれ。こっちは冷一合」


「と、コーラ」


 つまんねえ奴だ、と花目は笑った。


 茉莉花は花目の抱えてる愛人の一人だ。この店も花目が買ってやったらしい。もちろん警部の月給でそんなことができるはずがない。いろいろをやっているというわけだ。


 もちろん、神部凍星に俺を紹介したのも、その一環だったのだろう。


「今夜は、なんのためにお前を呼んだと思う?」


 そう言いながら、花目は徳利とっくりを傾け、自分のお猪口ちょこに酒をそそいだ。一体、何杯目なのかはわからない。この刑事の非常識さに関しては常に酔っ払ってるようなものだ。


「わからないから来たんだろ」


「じゃあ、質問を変える。あたしは今日何をやってたと思う? マフィアの手入れだ。アンジュって言えばお前も知ってんだろ。あいつからもずいぶん仕事を受けてたはずだ」


「あんたの仕事の詳細には興味ない。あんたが俺の仕事の詳細に興味ないのと同じで」


「つれないねえ」


 花目は酒をぐびぐびやりながら、煙草に火をつけた。


「とにかく、あたしらは“コート”密輸の詳細を押さえに、あいつのところに家宅捜索ガサをかけた。ところがどっこい、あのクソ女狐!」


 どかん、と花目はカウンターに握りこぶしを叩きつけた。


「確実に帳簿はあそこにあったんだ! それを移しやがってた! わかるか……班内に裏切り者がいたんだよ」


 ますますどうでもいい、と思ったが、怒り心頭の花目に余計なことは言わなかった。


 このやりとりは奥の座敷まで届いていないのか、雪は運ばれてきたブリの照り焼きをうまそうにぱくついて、マッツにも切れ端をやっていた。あんまり食わせると健康に悪いというのに、あいつは……


「聞いてんのか、おい、ハガネぇ! お前も飲め!」


「未成年だっつーの」


「とにかくお前に頼む仕事がある。簡単だ。


 俺は耳を疑った。


「はあ?」


「猫だ。そいつを殺して、あたしのところへ持ってこい。毛一本、首輪一つ欠かさずにな」


「言っとくがな」俺は身体を回して、花目と正面きって向き合った。

「俺は殺し屋じゃない。ボディガードを再開したのだって、あんたに言われたからだ」


 ボディガード、ボディガード、と歌うように花目はその言葉を転がした。


「猫一匹殺すくらいでガタガタ言うんじゃねえ。それにボディガードつったがな、お前、あの書類使ったな」


 あの書類……“コート”の整備士免許、装着免許、それに所持許可証。所持許可証の機体欄には“ナイトライダー”の詳細をすでに書き込んである。


「警官に見せただろ。あたしに連絡来たぜ」


 見せた。雪の高校を監視しているあいだ、あの警官があまりにもうるさく付きまとうから、わざわざ家から持ってきて提示してやった。そういえばカラオケ屋の店員にも見せびらかしていた。


「あれな。ニセモンなんだよ。わかるか。公文書偽造及び行使に加えて、“コート”の違法所持に違法整備、ついでにこの前の東都大学での騒ぎもお前だろ。器物破損に傷害罪で四暗刻スーアンコー大三元だいさんげん字一色ツーイーソー、トリプル役満だ。何十年ぶちこまれることになるだろうな」


 花目は蛇のような笑みを浮かべている……最初からこれが狙いだったのか。


 ただ俺に仕事を紹介するはずがなかった。神部とのコネ作りが本丸だと思っていたが、こうやって俺をハメて逃げ道を潰すのも目的の一つだったか。


 鳥籠花目は魔術師マジシャンだ。これ以外の罪をでっち上げて、俺をパクることも容易にやってのけるし、躊躇いもしない。


 それにしたって猫だと。なんだって最近はこんなに猫に縁があるんだ。


「お前が殺すのはな、アンジュの飼い猫だ」


「…………」


 俺はちらりと花目の後ろに目をやった。座敷で杏仁豆腐を食べてる雪の足元で、ケージに入ったマッツがおとなしく身を横たえている。


「そう、あんな感じの黒猫らしい。キャッツだかバッツ蝙蝠だかいう名前のな。まあ、名前なんかどうでもいい。とにかくそいつの死体をあたしの前に持ってこい」


「……ガサ入れに失敗した仕返しにしては、ロクでもなさすぎないか?」


 シャツの首元を掴まれ、眼前に引き寄せられた。花目の座った瞳がギラギラ光っていた。


「ごちゃごちゃ言わねえで殺してこい。お前がムショにぶちこまれたら、誰があのガキを守るんだ? 東都大学でパクったあの“コート”使いな、なんも口割ってねえんだよ。仲間はおろか、自分の名前すら吐かねえ。相当訓練された奴らに狙われてるな、あの女子高生。“コート”着て、都内で戦争おっぱじめる奴らだ。お前以外に守りきれるのか?」


 よーく考えろよ、と花目は俺を突き放した。

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