〈1.6〉襲撃
大学構内はだだっ広い。ぽつぽつと点在する学生の群れが余計にうら寂しさを誘う。
雪はどこにいるのか。見回しても、それらしい姿は認められない。
一縷の望みをかけて、手袋をはめた右手に感覚を集中してみたが、やはりなんの反応もなかった。長い間充電をしてなかったから、あれのバッテリーは空。当然だ。
そもそもこの大学にいるのかも疑わしい。なぜあれを持って、神部に会いに行くことがある。一体なんのために。
それに雪は……
あれが“コートアーマー”だと気づいたのか?
考えても無駄だ。早く取り返さないと。
あれが誰かの手に……特に神部凍星のような“コートアーマー”の造詣に詳しい者の手に渡ることだけは決してあってはならない。
神部が講演をしているという講堂は、図書館の隣に建っている。
俺は講堂の扉を押し開いた。
◇
『君は……えー、すまない。遠くてよく見えない』
「
雪が母の姓を名乗ると、壇上でマイクを握っていた凍星は身じろぎした。
『質問は何かね』
「……私は複雑な家庭に生まれました。だけど、今はそんなのどうでもいい。神部さんはこんな“コートアーマー”が本当にあると思いますか」
渾身の力でアタッシュケースを持ち上げ、長机の上にどすんと載せた。
「たとえばこんなケースに入ってしまうような、コンパクトなやつを」
『それは……』言いよどんだ凍星は、しかし持ち直して続けた。『ありえない。“コートアーマー”を構成するのは主に人工筋肉、合金フレーム、装甲、電子制御装置だ。たとえ、そのすべてをミキサーにかけて粉状にしても、そのケースには収まりきらない。もしそんなものが実在したら、現代の“コート”運用プロトコルは転覆する。どんな街中だろうが容易に戦場に変わってしまう……だが』
そこで初めて凍星は口をつぐみ、突如として現れた娘に対する狼狽を一瞬忘れ、質問に没頭した。
そのとき雪は、今ここで向かい合っている娘と父親が、ただ一対の指導者と生徒となったことを感じた。
「だが、話を聞いたことはある。実用化など論外、真っ当な理論に拠った設計ではないが……その“コートアーマー”は構成物を有機――」
バン! という音がそれを遮った。
全員の目が講堂の扉を乱暴に開けた人物に注がれた。
「ハガネ……!」
あまりに早く居場所を突き止められたことに、雪は意表をつかれていた。
雪がつぶやいたのと、ハガネが叫んだのは同時だった。
「全員伏せろ!」
ハガネの登場より、はるかに巨大で暴力的な轟音を立てて、一体の軍用“コートアーマー”が全面ガラス壁をぶち破って講堂内に突入した。
◇
“ケルベロス”……ゼノマトック社の開発した“コートアーマー”。アメリカ陸軍にも制式採用されたそれは、強靭な耐久性と出力、そして高い運用性を誇る。売り文句は『最小限の投資で最大限の制圧力を』つまり、こんな都内の大学ではなく、戦場にいるべき兵器だ。
だが、一体で終わりではなかった。そこらじゅうのガラス壁をぶち破って、続々と“ケルベロス”たちが突入してくる。
その数、合計四体。分隊の最小構成単位だ。明らかに訓練を受けた者たちだった。
狙いは……神部凍星か。護衛の者が神部を掴んで、応戦射撃を食らわせながら舞台袖に逃げ込ませている。
あいつらのターゲットが神部だろうがどうでもいい。
“ケルベロス”の身長はおよそ二メートル。警察の保有する“コート”のようにスマートなフォルムではない。戦車や戦艦を想起させる無骨な外観は、物言わずとも殺意に満ちあふれている。戦場で歩兵どもをビビらせるためだ。
そんなものを日本の大学生が見ればどうなるか。彼らは悲鳴を上げ、講堂の出口に殺到した。その波に逆らい、俺は立ちすくむ雪に駆け寄った。
「おい、しっかりしろ! ここを離れるぞ!」
平手打ちが返ってきた。
「もうちょっとだったのに……なんで!」
何がもう少しだったのか。問い返す時間すら惜しい。
長机に載せられていたアタッシュケースを引っ掴んで、雪の肩を抱き、今度は人波に乗って出口に向かった。
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