〈1.5〉間違いは二度犯す


 それから雪はガレージハウスに入り浸るようになった。たまに二階で他愛もない話をしたり、世間に疎い俺にお説教をかますこともあったが、大部分はガレージで過ごした。俺のカスタムにあれこれ口を出したり、修理の進んだ旧型“コート”を興味深そうに眺めたりして。


 そのときばかりは、雪は生意気な女子高生ではなく、純粋な“コート”愛に溢れたキモオタになった。社会的にいいのかは知らないが、俺はそっちの方が接しやすいし、つっけんどんに振る舞うより率直に感情を出す姿は見ていて気持ちがいい。


 ことあるごとに、雪は俺ののコートのことを尋ねてきた。だが、俺はその細かいスペックも、どこに保管してあるのかも喋らなかった。


 あれはもう二度と使いたくないし、考えたくもない。


 俺がボディガードを辞めた理由。罪の証。


 だが、ぽろりと漏らしたのがいけなかったのかもしれない。


 あれは、この世のどんな“コートアーマー”よりも優れていた。


 そんなことをオタクに言えばどうなるか。考えるまでもないはずだったのに。





 俺はその日、二度間違いを犯した。



 ボディガードを引き受けて十日目、雪が二階で宿題をしている間、俺はガレージでヤクザから預かった“コート”の修理を進めていた。


 ようやく一段落ついたところで、工具台に置いていた携帯電話が震え始めた。

 電話をかけてきたのは神部だった。


『十日が過ぎた。経過報告を十分で聞きたい。次の予定が詰まってるんだ。東都大学で講演が入っていてね』


「経過報告もなにも、異状なしだ。護衛対象パッケージには尾行も、監視もついていない。襲撃の兆候はゼロ。ベビーシッターの方が難儀な仕事だろうよ」


『だが、私はベビーシッター代以上の額を君に払っている』


「そうだな」俺は首を振って、分厚い作業手袋を外した。代わりに黒い手袋を右手にはめる。


「……なあ」俺は一度目の間違いを犯した。「雪はなにか問題を抱えてるのか? 友達と遊ぶ様子もないし……家にも帰りたがらない」


『問題などない。ただ、私の婚外子というだけだ』


 平然とそう言われて、呆気にとられた。


「婚外子って……浮気相手の娘ってことか……!」


『彼女の母親は十七年前、私の前から姿を消した。雪を身ごもったのがその理由だと知ったのはだいぶ後のことだった。やっと見つけたときには、彼女は亡くなった直後で、私は身寄りのなくなった雪を引き取ったんだ』


「だが、問題はない。そういうことか?」


『そうだ。家族には違いないからな。私の妻も、他の娘二人もそれは理解している。みな同じ血なんだから』


 理解しているはずがない。雪の様子を見ればわかる。


 他の家族は雪にいい感情を持っていないらしい。そんな家に帰るなど、真空状態で呼吸を止めて過ごすようなものだ。この硬直した態度を見て、神部に何か訴えても無駄だと雪も気づいたのだろう。


 無理に無駄遣いしようとしたのも、それが下手だったのも、もとから金持ちの娘なんかじゃなかったからだ。母親が死んで、歯車の軋んだ家庭に放り込まれて……その中でバラバラになったアイデンティティーを繋ぎ戻そうとしていた。


『十分経った』


 そう言い残して神部は挨拶もなく電話を切った。


 硬直しているとはいっても、愛している娘のことだ。それをなぜ十分だけの報告で充分だと考える。もっと詳細に訊きたいものではないのか。心配はないのか。プロに任せておけば安心か。


 修理を続ける気は失せた。作業中の“コート”を残して俺は内階段を昇った。


 雪の心は細い蜘蛛の糸に危うくしがみついている。そんな雪に何かするべきだとは思っている……だが、具体的な方法は一つも思い浮かばない。


 “彼女”だったら、きっと何か思いつくはずだった。


 素晴らしく、優しい、励ましの方法を。



 物思いにふけりながら二階に上がった。


 そこらじゅうに脱ぎ散らかされたズボンやシャツ、作業着。違法合法問わず取り寄せた“コート”の部品。あるいは鉄工所に作らせたその試作品。日本語の勉強のために買っていた雑誌。乱雑な都会まちのカラスの巣。


 雪はどこにもいない。


 コートも、リュックサックも消えていた。


 逃げ出した。


「クソ! なに考えてやがる!」


 外付け階段につながる扉に飛びついて開ける。上から見回しても、通りのどこにも雪の姿は見えない。とっくにこの場所から離れたようだ。


 どうする? 俺は自問した。それから大事なことに気がつき、肩の力が抜けた。


 よく考えれば、雪を狙っているのは過激派のテロリストでも、独裁政権の軍隊でも、一回の仕事に百万ドルを要求する凄腕の殺し屋でもない。ただの怪盗を自称する頭のおかしい軽犯罪者だ。俺がちょっと目を離したとして、勝手に転んで怪我をするならまだしも、身柄を攫われるなんてことは起こらない。そもそも本当に狙われてるのかも怪しい話だ。


 あんな話を聞かされた直後だから、動転しただけだ。


 だが雪を捜さなければいけないことには違いない。


 俺は二階の事務所に戻った。


 よく見ると、中央のテーブルで雑誌が開かれている。“コートアーマー”専門誌の最新号だ。


 パラパラとめくると、東都大学で行われる神部凍星の講演会の予定が書かれていた。在学生を対象に行われるとあるが、部外者も充分潜り込めそうだった。こんな専門誌に載ってるのがいい証拠だ。


 東都大学……ここから電車で三十分ほどだ。


 ため息をついて立ち上がり、そこらへんに放り投げてあったコートを羽織る。


「……迎えに行くか」


 だが、そこで俺は気がついた。


 ソファーの裏側。背もたれから頭をのぞかせていた銀色の物体が見えないことに。


 あのアタッシュハードケースが消えていたことに。


 一瞬で血液が脳に逆流する。



 自分が二度目の間違いを犯したことに気がついた。





 すすくは重たいアタッシュケースを引きずるようにしながら、大学構内を急いでいた。


 がハガネの言っていた“コート”だということはわかっていた。自分では気づいていなかっただろうが、“コート”の話をするたびに、彼はちらちらアタッシュケースを見ていた。


 だが、こんな形状のものに収まる“コートアーマー”などありえない。分解して収納しているのか……いや、それでも……


 そんな雪の好奇心に決定打を入れたのはだった。


 ケースの手提げを握った瞬間、かすかに聞こえたあの


 中身を確かめようとしたが、ロックがかかっていてびくともしなかった。


 気づけば、雪はケースを引っさげ、ガレージハウスを飛び出していた。


 中身がわからないなら、わかりそうな者に訊くしかない。


 神部凍星に尋ねるのだ。この“コート”は一体なんなのか。


 娘としてではない。一人の“コート”開発者を志す者として。


 凍星が講演をしているという講堂は、目の前まで近づいていた。


 ――その背後に一人の尾行者がいることに、雪は気づいていない。

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