〈1.4〉ナイトライダー


 それから飼い犬のようにショップを何軒も引きずり回された。


 入店するたびに、雪はじっくりとコートやらジャケットやらスカートやらを見て回り、店員の話を真面目に聞き、試着室に何度も出たり入ったりした。したはいいが、日が暮れるまでに買ったのはたいして高くないマフラー一本だけだった。


「……無駄遣いするには向いてないみたいだな」


 なにも言わず、雪は自分でマフラーの入った紙袋を持った。


 複雑な表情が街灯に照らされていた。初めての戦場で引き金を引くことができなかった新兵の浮かべる表情だった。不満と安心だ。


「そろそろ帰った方がいい。いくら俺でも夜の繁華街の護衛は単独でしたくない」


「ファントムのこと詳しい?」


「いや。テレビも新聞も見ないからな」


「ファントムは盗みに“コート”を使うんだよ。あんたなんかに私を守れるの、ハガネ?」


「“コートアーマー”くらい俺も持ってる。普段は“コート”の改造とか修理をするのが仕事だしな」


「“コート”持ってるの? 本当に?」


 なんだなんだ。心なしか雪の顔が明るく見えるのは、ネオンの灯りのせいだけではないだろう。唇はとがらせたままだが、瞳は好奇心に輝いている。


 これはチャンスかもしれない。毎日、放課後を街で無軌道に過ごされるよりは、うちでじっとしてもらった方が助かる。二、三日ならまだしも、期間は一ヶ月もあるのだ。


「見に来るか?」

「……考えとく」


 はしゃいだのが恥ずかしくなったのか、雪は潮が引くようにそっけなく答えた。


 だが口元がにやにや緩んでいるのを、見逃せと言う方が難しかった。




 果たせるかな、数日経った放課後、雪は俺の“コート”を見に来たいと言い出した。


 俺が住んでいるガレージハウスは古めかしい住宅街の中で無骨な異彩を放っている。二階建てで一階部分がガレージ、二階が居住スペースだ。居住スペースといっても事務所と兼用だから、私物と仕入れた“コート”の部品が入り交じる混沌スペースといった方が正しい。


 雪を連れて、外付けの階段でガレージハウスの二階に入る。


 扉を開けた瞬間、雪は悲鳴を上げた。


「うっわ、きたなっ! これだから男の一人暮らしは……」


 ガラクタで足の踏み場もない大部屋を見て、雪はぶつぶつと否定的な感想を続けた。


「俺の部屋がどうだろうがお前には関係ない」


 無頓着な性根のせいだけでなく、俺は意図的にこの部屋を汚している。ガラクタをきれいに整頓し、服をクローゼットにかけ、書類を棚にまとめようと思えばできないことはない。だがそうしないのは、そうして出来上がったモデルルームみたいな部屋が“彼女”と過ごしたときのことを俺に思い出させるからだ。


 あの頃の部屋の風景を崩すことで、俺は一人でここに住むことになんとか耐えていられる。


「“コート”を見に来たんだろ」

「下のガレージ?」


 そうだ、という俺の返事も待たず、雪はそこらへんの床に転がってるガラクタを蹴り飛ばしながら小走りで内階段からガレージに降りていった。俺はあとを追って階段を降りた。


 そこには四台の“コートアーマー”がシャットダウンした状態で寺院の仏像のように並んでいる。工業機械のようなものから、毒々しい塗装のものまで様々だ。違法“コート”が勢揃いしているところをご近所に見られたくないので、シャッターは搬入出以外には極力開けないことにしている。


 おおよそ警察署か軍事基地でしか見られないような光景を前にして、雪は鼻息を荒くした。


「な、なんでこんないっぱい持ってるの? 大富豪?」


「だったらこんなボロ家に住んでるかよ。修理するよう頼まれてるんだ。ヤクザとかマフィアとか、まあそういう正規のルートを使えない連中から」


 ボディガードを始めてからは、深夜にちまちま進めていくしかなくなったわけだが。


 出処に興味はないのか、ふーん、と返すと雪は“コート”の群れに近づいた。洋服を選んでいたときと同じくらい熱心にしげしげと直立状態の“コート”たちを眺め回す。しゃがんで見上げてみたり、後ろに回って背中を確かめてみたり。


「着てみてもいい?」


「いいわけないだろ。だいたいバッテリーが空だ。着ても起動しないぞ」


「あっそう……そうだよね」


 気落ちしたように雪はうつむいた。


 俺はぼりぼりと頭を掻いた。普段は身勝手に振る舞うくせに突然しおらしくされると調子が狂う。


「……そっちの端のやつだったらいい。着るだけだぞ!」


「話がわかる~」


 一転して笑顔になると、雪はステップを踏みながら一番端の“コート”に近寄った。ため息が出そうだ。


 その“コート”は装甲のほとんどが存在せず、アルミ製のフレームと青白い人工筋肉が剥き出しになっている。まるで工業製の骸骨だ。装甲がないので自立できず、天井からフックで吊るしてある。


「これだけ新しいね」


 雪はぺたぺたと薄い手のひらで腰部のフレームを叩きながら、後ろに回り込んだ。


 彼女の言う通り、他の三台はすべて旧型の第四世代“コート”のクローンだ。もっとも低価格で、闇社会でも重宝されている。が、今吊るしてあるのは最新式の第六世代(のフレームだけ)。車で言えばレーシングカーだ。


「これは俺のだ。“ナイトライダー”……まだ組んでる途中だけど」


 俺はフレームの隙間から手を差し込むと、ヘルメットの内側を操作し、セーブモードで“ナイトライダー”を起動した。


 ぶーん、という低い駆動音とともに、サナギから羽開く蝶のようにフレームの背中がぱっくりと口を開ける。雪は“ナイトライダー”の肩を掴んで自分の身体を鉄棒のように持ち上げ、露わになったインナースペースに足をひっかけた。


 全身装甲型の“コートアーマー”の装着は、介護用やライン工場用のパワードスーツと違って『着る』というより、このように『潜り込む』かたちになる。


 スカートがめくれ上がりそうになったが、雪はまったく気にしていない。こっちがヒヤヒヤしているうちに、“ナイトライダー”の内側にくぐり込んで大事な部分が人工筋肉の向こう側に隠れてホッとする。


 装着者の存在を感知した背部フレームが自動的に閉じられた。


 俺は操作盤をいじって、吊るしているフックを外してやる。どすん、と“ナイトライダー”を装着した雪はよろめきながらも着地し、「おおっ」と漏らした。


「すごい……こんな感じなんだ。なんか身体が軽い。元はブロブディン社の“アシッド”?」


「そうだ。フレームだけでも手に入れるのはだいぶ手間がかかった。装機対策法で軍用のこいつは民間の輸入が禁止されてるからな。今は人工筋肉を動かす駆動系のパーツを集めてるとこだ」


「ここの脇のとこ、純正品?」ウィ、ウィと雪はランナーのように腕を振った。

「私だったら、電磁弁はタック・スチームのを選ぶけどなー。上半身で一番負荷がかかるとこだし」


「それはまたピーキーな構成だな……っておい。お前、詳しすぎないか」


「え!?」

「うおぉ!」


 ぶん、と振り上げられた“ナイトライダー”の腕を辛くも避ける。抑制されたセーブモードとはいえ、鋼鉄の塊で殴られれば怪我をする。


「い、今どきの女子高生ならこんくらいふつうだって」


「すごい汗だぞ」


「こ、この“コート”が暑すぎなんだってば! 空調効いてる!?」


「お前……もしや……“コート”オタクだな」


 突然雪は地に伏して、うわーと絶叫し、“ナイトライダー”の握りこぶしで床を叩いた。


「耐えられなかった! こんな近くでカスタムメイドの“コート”をこんなにいっぱい見て、しかも実際に着れるなんて思ってなかったから! そんな覚悟してなかった! 興奮を抑えきれなかった!」


 そのセリフがまずオタクくさい。


「あの日郵便局強盗の現場にいたのも、機動隊の“コート”を見るためか。あと、俺の“コート”で俺の家の床を殴るのもやめろ。火花が散ってる」


「う、うるさい。人のこと言えんの! オリジナルの“コート”なんか組んで! 趣味じゃなきゃこんなもん作らないでしょ!」


 ギャギャ、と身長二メートル近くある“ナイトライダー”は大腕を広げた。力士を相手取ったかのような威圧感があるからやめてほしい。


「これは……仕事で使うし……ていうか、最低限の武装だ。護身用の銃と同じだ」


「待って。これでファントムと戦うつもりだったの? 装甲どころか武装もまだつけてないじゃん! 今までのボディガードはどうしてたの!?」


「それは……他の“コート”も持ってたから。ただそっちはもう使わないって決めた」


「どこにあるのそれ? 要らないなら私が貰ってあげてもいいけど?」


「ここにはないし、絶対にやらん。自分のがほしいなら金持ちの親父に買ってもらえよ。役所の許可は降りんだろうけど」


 “ナイトライダー”はすっと腕を上げた。自分の肩にフックをかけると、重苦しい作動音を立てて、背部フレームが花開く。雪は装着したときと同じくらい上手く“ナイトライダー”を脱いで床に降り立った。が、その動きは泥濘の中のように鈍かった。


「少なくともにはなるぞ」


「無駄遣いするのはさ、やめたわ」


 空気が変わったのを感じた。


 油臭いフレームを雪は握りしめて離さない。そうしないと膝から崩れ落ちるみたいにぎゅっと。気ままな黒猫に思えたこいつが、今は飛ぶことを恐れて止まり木に留まり続ける小鳥にしか見えない。


「……二階に上がれよ。コーヒーくらいなら淹れてやる」


「こっちの方がいい」と雪が地べたに座ろうとしたので、手近にあった椅子を引き寄せてやった。


「じゃあ持ってきてやる」


「ミルクは入れてよ」


 階段を昇りかけた俺の背中に何かが放り投げられた。

「おっと」落ちる前に掴んだそれは、あの日俺が雪の手のひらに残していった手袋だった。


「返す……あのときはごめん」


「気にするな」


「なんでいつも手袋はめてるの」


「さあな」


 俺は何も言わなかった。言うつもりもなかった。自分語りをするつもりはない。護衛対象パッケージの家庭環境に口を出す義理もない。あいつと友達になって、お悩み相談を解決してやることは契約に含まれていない。


 どうせ一ヶ月限りの野良仕事だ。

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