〈1.3〉mute


 二十分ほど歩いて、雪は高校へ入っていった。


 学校にも警備員はいるとの話だったが、そこまで他人任せにするつもりはなかった。自宅にいたちょっと違法の匂いのする有能そうなガードはともかく、学校に出張するようなな民間警備会社など、現代の“コート”社会では『猛犬います』のシール程度の効果しかない。


 俺は昼飯用のサンドイッチを買ってくると、電信柱に寄りかかって真っ白い近代的な校舎の監視を開始した。



 街中の空気も暖まりきった午後四時頃、チャイムの音が鳴ると、ぱらぱらと生徒たちが正門から出始めてきた。帰宅部の奴らだろう。そういえば、雪が部活をやっているのか訊いておくのを忘れた。


「君ね、ちゃんと説明しないと帰れないよ」


 そして俺は警察官に職務質問をかけられていた。あの学校にいる生徒をボディガードしてるのだと説明しても信じてくれない。あまつさえ、未成年はきちんと学校に行けと説教される始末だ。俺はたしかに十七歳だが、生きるための術はだいたい知ってる。


 校門から雪が出てくる。俺と警官を無視して、隣を通り過ぎていく。


「新宿署の鳥籠警部に訊いてくれ。俺はもう帰るよ」

「あっ、ちょっと待ちなさい君!」


 聞かずにダッシュ。ジグザグに小路を曲がって警官を振り切ると、元の通りに戻って雪の隣に並んだ。


「何してんの? ボディガードなのに職質に引っかかるって雑魚すぎ」

「……」


 金持ちの娘とは自分勝手なもんだ、と己に言い聞かせて怒りを押し鎮めた。

 雪はそのまま家に帰るのかと思ったら、駅に向かい、電車で繁華街に降り立った。もちろん俺もついていく。あんまり近づくとナイフみたいな目で見られるので、距離はとっているが。


 雪は五階建ての雑居ビルに入っていった。慌てて駆け寄り、エレベーターに一緒に乗り込む。雪はカラオケ屋のある三階のボタンを押した。


「……俺は詳しくないが、こういうのってふつう友達と来るんじゃないか?」


 黙っていれば可愛らしい顔がゆっくりとこちらを向いた。


「……もしかして俺か?」


「そんなわけないじゃん。なに勘違いしてんの、キモい」


 そう言い残すと雪はエレベーターを降りた。


 受付に歩み寄り「一人、フリータイムで」などと言っている。


「あの、後ろの方はご一緒じゃないんですか……?」

「違います。全然知らない人です」


 困惑を向けられながらも雪は受付をすませ、通路の奥にすたすた消えていった。


「えっと……お一人様ですか?」

「ふ、フリータイムだっけか? それで。部屋はさっきの娘の隣にしてくれ」


 あからさまに不審げな表情を浮かべられたが、なんとか要望は通った。小さな籠とメニューとマイクを渡され、三〇五号室に行くよう言われた。


 薄暗い部屋に入ると、壁を突き抜けて隣から大声が聞こえてくる。雪の声だった。よっぽど溜まっているらしい。高校生活とやらにもいろんなストレスがあるんだろう。


 俺も何か歌ってみるかと思ったが、やり方がよくわからないし、カラオケにひたって隣のピンチに気がつかなかったら最悪だ。だが、こうしてそこらじゅうから底抜けな歌声が響いてくる中で、薄暗い部屋のソファーに一人でじっと座っているのもなんだか馬鹿らしい。


 天井を見上げると、火災報知器に偽装した監視カメラがあった。


 作戦変更だ。ただ座ってるよりはもう少し仕事らしいことをしよう。


 俺は部屋を出ると、廊下を進み、受付に戻った。


「あの……何か?」


「部屋にある監視カメラの映像はどうやって見てるんだ」


「事務所の方ですけど……」


「俺は三〇六号室の娘のボディガードを親に頼まれてる。こういう者だ」


 俺は“コート”の装着免許証を見せた。花目から貰ったものが早速役に立っている。


「あ……はい。じゃあ、こっちに……」


 受付の女の子は納得したのか、それともビビっただけなのかは知らないが、とにかく事務所の方に案内してくれた。プレートのかかった部屋に入ると、巨大なディスプレイがどんと鎮座していて、そこに小さく分割された監視カメラの映像が流れていた。


「えっと……あの、本当はこういうのよくないんですけど」


「この部屋に監視カメラはあるのか?」


「いや、ここには……」


 俺は適当に五千円札を引っ張り出すと、遠慮する女の子に無理やり渡した。


「気にするな。どうせ経費で落ちるんだ」


 スイッチをがちゃがちゃいじって三〇六号室の映像を大きくする。


 画素の荒い監視カメラの映像。音もない。コマ数も少ない。だが、雪が烈火のごとく歌っているのは充分見てとれる。花束でも持って入ったら、衝撃で花びらが全部弾け飛びそうだ。


 と、雪の部屋に扉を開けて何者かが入ってきた。


 三人組の男だ。


「……友達が後で合流するなんて聞いたか?」


「お一人様でのご使用のはずですけど……」


 俺は事務所を飛び出すと、廊下を駆け抜けて、三〇六号室に向かった。


 扉を開けた部屋の中では、カラオケの伴奏がやんでいた。代わりに三人の男と雪が言い争っている。


「ねえ、一人で歌ってるって寂しくない? 俺らが盛り上げてあげるからさー」

「さっさと帰ってよ!」

「え? 俺、カラオケ上手いんだよ?」


 俺は手前の二人を突き飛ばすと、雪に最も近い男の首根っこを後ろから掴んだ。


「おい、なんだよてめえ! うっ……!」


 そのまま壁に叩きつける。壁に顔を押しつけたまま、全身を叩くようにしてボディーチェックする。銃や刃物の類は持っていない。本当にただのナンパか。


 壁から引き剥がし、他の二人に向かって男を押し出す。どん、と仲間を受け止めた男たちがよろめいた。


「消えろ! ナンパしたけりゃ余所よそに行け!」


 ふざけ――と男が突っ込んできたので、前蹴りで撥ね返した。


「自分の足で出ていくか、俺に叩き出されるか、救急隊員に運び出されるか、どれがいい?」


 そう凄むと、男たちは思い思いの捨て台詞を吐きながら部屋を出ていった。


「……それがボディガードの仕事?」


「俺一人しかいないんだ。こうする方が手っ取り早いこともある。それより……」


 俺はスイングドアをわずかに押し開き、男たちが廊下から消えたことを確かめた。


「ここを出るぞ」


「はあ? まだ三曲しか歌ってないんだけど」


「そもそもこんな建物に入らせるべきじゃなかった。廊下は狭い、エレベーターはポンコツ、非常階段すらない。襲撃がなくても、地震か火事でも起きたらお陀仏だぞ。来い」


 ソファーに畳んであった雪のダッフルコートを取ると、肩を掴んだ。


「ちょ、ちょっと待って」


 雪は身をよじって籠を持つ。その肩をぐいぐい押して、廊下に押し出した。


 周囲を警戒しながら受付に行く。逆恨みしたあいつらが戻ってこないとも限らない。


 雪が会計を済ませている間も、周りに視線を走らせていた。


「あの……そちらのお客様もお帰りでしょうか?」


 俺は五千円札をカウンターに置いた。「釣りは要らない」


 金持ちの仕事は金に頓着しなくていいから楽だ。



 雪をエレベーターに乗せて、ビルを出る。


「で」と、秋空の下、雪はダッフルコートを羽織って振り返った。「これで満足?」


「気持ちよく歌ってる最中に悪かったな」


「はあー……でも良かったのかも」


「なにが」


「フリーでカラオケに入っておいて、三曲だけ歌って出るって、すごい無駄遣いじゃない? 私さ、無駄遣いしたいんだよね。あとどうすればいいと思う?」


「……服とか買ったらいいんじゃないか。高いやつを」


「それ採用」


 金持ちの考えることはわからない。俺に訊くまでもなく、浪費の仕方ならいくらでも知ってると思ってたが。


「行くよ……名前、なんだっけ」


「ハガネだ。馬城刄鉄」


「荷物持ちよろしく、ハガネ」


 なんてことだ。俺はこいつの買い物に付き合うために雇われたのか。

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