第39話『KissHug』

 1001号室に戻ると、俺はすぐにベッドの上で仰向けになった。そのことで眠気が襲ってくる。

 しかし、愛実ちゃんから告白され、頬にキスをされたことの余韻。エリカさんやリサさんにこのことを伝えた方がいいのどうか迷いなどもあって、なかなか眠りにつくことができなかった。

 2人に連絡をすることもなく、眠りにつけたのは日付が変わってからだった。




 7月19日、金曜日。

 ゆっくりと目を覚ますと、うっすらと部屋の中が明るくなり始めていた。部屋の中にあるデジタル時計を見ると、今は午前5時過ぎか。

 スマートフォンやダイマフォンを確認するけれど、エリカさんやリサさん、愛実ちゃんから電話やメッセージは一切来ていなかった。


「温泉に入るか……」


 出張でも、ホテルで早く起きることができたんだ。楽しめるものは楽しまないと。

 俺は最上階にある大浴場へと向かう。

 昨日の夜とは違って、ご老人が3人ほどいる。やっぱり、人がいるとホテルの大浴場なんだなって実感ができる。

 そういえば、歳を重ねると起きる時間が早くなるとよく聞く。この前の旅行でも早く起きたし、年齢もアラサーだし……俺もおっさんへの領域に一歩踏み入れた気がする。

 そんなことを考えながら髪や体を洗って、俺は大阪の夜明けの風景を見ながら露天風呂に浸かる。


「気持ちいいな」


 昨日の夜よりも涼しいからか、温泉がより気持ち良く感じる。

 今日は新幹線で東京に帰って、出張の報告や大阪のお土産を渡すこと、今のプロジェクトの進捗確認のために会社に寄って、家に帰るって流れかな。状況にもよるけど、金曜日だし早く帰れれば何よりだ。

 今日の中で大事なのは報告もそうだけど、みんなへお土産を買うことかな。エリカさんやリサさんに忘れずに買わないと。あとは、美夢と有希が明日遊びに来るから、家族の分にも買っておくか。


「あとは愛実ちゃんのことか……」


 透視魔法を使って、愛実ちゃんが告白した場面をエリカさんとリサさんは見ていたかもしれない。ずっと胸の中で留めておくのも心苦しいし。エリカさんは俺にプロポーズしたもんな。家に帰ったら2人には直接話すことにしよう。 

 大浴場を出て、愛実ちゃんとの待ち合わせの時間である午前7時近くまでは部屋でテレビを観ながらゆっくりと過ごした。

 昨日の夜に告白されて、振ってしまったから愛実ちゃん……部屋から出てきてくれるだろうか。愛実ちゃん次第で新幹線の席も少し離れたところにした方がいいな。


「宏斗先輩、おはようございます」


 気付けば、俺の目の前に館内着姿の愛実ちゃんが立っていた。普段と変わらない元気そうな笑みを浮かべている。


「おはよう、愛実ちゃん」

「……また、今日からよろしくお願いします」

「うん、よろしくね。じゃあ、一緒に朝ご飯を食べに行こうか」

「はい!」


 一晩経って、気持ちを落ち着かせることができたのかな。思ったよりも元気そうで良かった。


「ところで、愛実ちゃん」

「はい」

「明日……俺の家に妹達が遊びに来るんだ。愛実ちゃんさえ良ければ家に来る?」

「はい! 是非、会ってみたいです!」

「分かった。テレポート魔法で送り迎えしてもらえるように、エリカさんやリサさんに頼んでみるからさ」

「ありがとうございます。時間もかからず、お金もかからず……本当に助かります」

「ははっ、俺も旅行でそれは実感したな」


 だからといって、それに頼り切ってしまうのはよくない。なので、彼女達の力に頼るのは基本的にプライベートのときだけと心に決めている。

 そういえば、テレポート魔法やテレパシー魔法を使えるのに、エリカさんやリサさんは一度も俺達の目の前に現れたり、話しかけたりしてこなかったな。仕事の邪魔をしてはいけないと思っているのかな。早く家に帰って、2人の顔を見たいなと思う。



 朝食はバイキング形式。だからなのか、愛実ちゃんはこの前の旅行のエリカさんを彷彿とさせるほどの食べっぷりだった。

 もしかして、俺にフラれたことによるやけ食いだろうか。時々、恐いと思えるほどの表情を見せることがあったから。お腹を壊さないといいな。



 お昼前の新幹線で東京に帰る予定なので、ホテルをチェックアウトした俺と愛実ちゃんは、軽く大阪観光をすることに。

 行き先は愛実ちゃんが人生で一度は行ってみたかったという大阪城。俺も大阪城に行くのは人生初だったので、生で見るととても立派であり感動した。また、天守閣からの四方の景色もとても良かった。

 大阪城の見物をした後は、近くのお土産屋さんへ。みたらし饅頭など、この前での旅行では見かけなかったものを中心に買った。お土産ってつい多く買っちゃうんだよな。夏のボーナスが入った後で良かった。



 帰りの新幹線では、行きと同じように愛実ちゃんと隣同士の席に座った。

 途中、新大阪駅で買った駅弁を食べて、出張からの帰りであることを忘れてしまうくらいに楽しい時間を愛実ちゃんと一緒に過ごした。



 会社に寄って、今のチームに大阪のお土産を渡した。その際に進捗を聞いたところ、特に問題なく順調に進んでいるという。

 出張を命令した部長にも今回の出張の報告をする際にお土産を渡した。予定よりも早く不具合を直すことができたことについて安心していた。

 元々、今日まで出張の予定であり、今のチームの業務も順調なので、俺と愛実ちゃんは早めに会社を後にした。


「まさか、早く帰ることができるとは思いませんでした」

「出張の用事も早く終われば、うちのチームの作業も順調だからね。こういう日は早く帰るに限るよ。金曜日だし」

「そうですね。ただ、今日は宏斗先輩と大阪城やお土産屋さんにも行けましたし、新幹線でリラックスもできましたので、何だか3連休の初日を過ごしている感覚でした。出張という名目で大阪に行ったので、それはいけないのでしょうけど……」

「ははっ、いいんじゃないかな。出張の目的は昨日のうちに果たせたんだし。じゃあ、また明日ね、愛実ちゃん」

「はい! 妹さん達に会えるのを楽しみにしています。お疲れ様でした」

「うん、お疲れ様でした」


 俺は愛実ちゃんと別れて、夏川方面の電車に乗る。その直後に、エリカさんとリサさんに今から帰るとメッセージを送った。

 夕方ということもあってか、電車の中はとても空いており、運良く座ることができた。社会人になってからスーツ姿で席に座るのって、もしかしたらこれが初めてかもしれない。

 周りを見てみると、俺のようにスーツを着ている人よりも、制服を着ている学生の方が多い。これから夏休みだからなのか、みんないい笑顔をしている。そういえば、大学生の美夢はまだだけど、高校生の有希は今日が終業式だったかもしれないな。

 懐かしさに浸ったからか、それともいつになく席に座って楽ができたからか、あっという間に夏川駅に到着した。

 午後5時過ぎ。

 俺は普段よりも早く家に帰ってきた。陽が沈む前に帰宅できるのはとても気分がいい。


「ただいま」


 出張したこともあってか、家の中に入るととても安心する。

 俺の声が聞こえたのか、すぐにリビングからエリカさんが姿を現した。


「宏斗さん!」


 エリカさんは嬉しそうな様子で俺に向かって駆け寄ってきて、俺のことをぎゅっと抱きしめた。エリカさんの温もりと匂いはやっぱり落ち着くな。


「おかえりなさい、宏斗さん」

「ただいま帰りました、エリカさん」

「おかえりなさいませ、宏斗様。出張お疲れ様でした」

「ありがとうございます、リサさん」


 エリカさんとリサさんにおかえりと言われて、エリカさんのことを抱きしめるとようやく家に帰ってきたんだって思える。泊まりがけの出張から帰ってきたからか、それがより実感できる。

 そうだ、愛実ちゃんに告白されて、断ったことを2人に言わないと。


「あの、エリカさん、リサさん。昨日の夜に愛実ちゃんから……」

「見てたよ。透視魔法を使ってリサと一緒に。ただ、愛実ちゃんの気持ちは尊重したいから、止めようとは思わなかったよね」

「ええ。以前から、もしかしたら愛実様は宏斗様に好意を抱かれているかもしれないと思っていましたし。エリカ様のプロポーズを成就させたい気持ちもありますが、愛実様のお気持ちを考えたら止めるなんてことはできませんでした。あと、実際にああいった場面を見ると、ドキドキしてしまうものですね」

「……私もドキドキした」


 エリカさんとリサさんはほんのりと頬を赤くしている。

 やっぱり、エリカさんとリサさんは透視魔法を使って、愛実ちゃんが告白したところを見ていたのか。ただ、止める気は全然なく、ただドキドキして見ていたっていうのは意外だった。特にリサさん。


「でも、宏斗さんが私達と離れるのが寂しいって言ってくれたことがとても嬉しかった」

「……そうですか」


 段々と恥ずかしくなってきたな。愛実ちゃんのためにも自分の素直な気持ちを言ったけれど。


「宏斗さん」

「うん?」

「私も宏斗さんが出張に行って寂しかったよ。だから、こうして無事に家に帰ってきてくれたことが本当に嬉しいの。あと、私は今も宏斗さんのことが結婚したいくらいに好きだよ! あの告白を機により好きになったくらいだもん! 宏斗さん大好き!」


 すると、想いが爆発したのか、これまでの中で一番と言っていいほど俺のことを強く抱きしめる。しっぽも高速でブンブン振り、頬に何度もキスをしてくる。


「え、エリカさん! そろそろ離してくれませんか!」

「照れなくていいんだよ! お仕事を頑張ったご褒美と大好きだっていう私の気持ちをちゃんと体で受け取って!」

「その気持ちはしっかりと受け取りましたから! 結構痛いですし、このまま抱きしめられ続けると、骨が折れそうな気がするんですよ! エリカさーん!」

「本当に止めた方がいいですって! 宏斗様の顔が青白くなってきてます!」


 その後、リサさんがエリカさんからの熱すぎる抱擁から解放してくれたので、骨が折れたり、ヒビが入ったりするようなことはなかった。

 もしかしたら、この2日間の中で一番キツかったのは今の抱擁かもしれない。ただ、こういうことをするのがエリカさんらしいと思えた。



 俺が出張から帰ってきたこともあってか、特にエリカさんはずっと上機嫌。夕ご飯はエリカさんが作るナポリタンだった。

 また、夕食後に、大阪のお土産として買ってきたミルク饅頭とみたらし餅をいただく。2人とも満足そうに食べていて一安心したのであった。

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