第36話『いつもと違う朝』

 7月18日、木曜日。

 今日と明日は出張で愛実ちゃんと一緒に大阪に向かう。できるだけ早く不具合を解決できるといいな。

 今日は家に帰ってこないので寂しいということと、電車に一度乗ってみたいということで、東京駅まではエリカさんやリサさんと一緒に行くことにした。


「この前のバスもそうだったけれど、電車も涼しくて快適だね」

「そうですね、エリカ様。車窓から見える朝日に照らされたビル群が美しいです」


 高層ビルが美しいと思ったことは今までになかったけれど、リサさんが美しいと言うと途端に美しく見えてくるな。


「2人が電車を気に入って良かったです。普段よりも大分早い時間に乗っているので、今は空いていますが、普段はとても多くの人が乗車しているんです」

「何度か透視魔法で出勤中の電車に乗る宏斗さんの姿を見たことがあるけど、あれは凄い人の量だよね。どうして、あんなに人が乗ってるの?」

「出勤時間や登校時間が重なっているのが理由の一つでしょうね。あとは、俺が乗っている路線の近くに多くの人が住んでいますので」

「なるほど。ただ、あれだけ人が多いと、移動するだけで疲れちゃうよね」

「そうですね。私達は近くなら徒歩で行くときもありますが、基本的にテレポート魔法で一瞬ですからね。魔法の存在は実は大きいのかもしれません」

「俺は旅行を通じて本当にそれを実感しましたよ」


 行き帰りが一瞬だもんな。往復の通勤時間はおよそ1時間半。それが自由な時間に使えたら、平日もゆったり過ごせるのかも。

 ただ、それを職場の人間に知られたら、仕事を押しつけられて残業三昧になってしまう可能性もあるか。そんな思惑に嵌まるつもりはないが。

 エリカさんやリサさんが一緒にいるおかげで、あっという間に東京駅に到着した。

 愛実ちゃんとは新幹線の改札口の前で待ち合わせする約束になっており、さっき愛実ちゃんから到着したとメッセージが届いた。

 夏川駅よりも広くて、人もたくさんいるからかエリカさんもリサさんも興奮した様子。周りをキョロキョロと見ている。そんな2人のことを、周りの人もチラチラと見ている。


「宏斗先輩! あれ、エリカちゃんとリサちゃんもいる!」


 新幹線の改札口の前で、スーツ姿の愛実ちゃんが俺達に向かって手を振っている。


「みなさん、おはようございます」

「おはよう、愛実ちゃん」

「おはようございます、先輩。エリカちゃんとリサちゃんと一緒に来るとは思いませんでした」

「2人とも、電車に一度乗ってみたかったんだって。それで、今回は朝早くて空いているからここまで一緒に来たんだよ」

「そうだったんですか」

「バスと同じで涼しくて快適だったよ。宏斗さんと一緒に、出張を頑張ってね」

「頑張ってくださいね、愛実様」

「ありがとう。出張は初めてだけれど頑張るよ。宏斗先輩が一緒だから安心かな」


 愛実ちゃん、いい笑顔を浮かべているな。彼女は俺の側にいてもらって、色々と勉強になればいいなと思っている。

 自動発券機で愛実ちゃんと俺の分のチケットを発券する。平日の早朝の新幹線だからか、前日の予約でも隣同士の席を取ることができたか。


「はい、愛実ちゃんのチケットだよ。なくさないようにね」

「ありがとうございます」

「じゃあ、エリカさん、リサさん。いってきます。明日の夜7時くらいに帰ってくると思います。帰るときには一言連絡は入れますので」

「かしこまりました、宏斗様。愛実様と一緒にお仕事を頑張ってくださいね」

「頑張ってね、宏斗さん、愛実ちゃん。あと、私達にお土産を買ってきてね、宏斗さん」

「もちろんですよ。じゃあ、いってきます」

「エリカさん、リサさん、いってくるね」


 愛実ちゃんと一緒に改札口に行こうとしたとき、エリカさんは俺の頬にキスをしてきた。さすがにここではしないと思っていたのに。リサさんも愛実ちゃんも顔を真っ赤にしている。


「……今日はここが玄関だから」

「……そ、そうですか。そういえば、家を出るときは一緒だったからかキスしなかったですもんね。……いってきます」


 俺はエリカさんの頬にキスをして、愛実ちゃんと一緒に新幹線の改札口を通った。

 エリカさんと頬にキスし合うところを見たからか、それから少しの間、愛実ちゃんとは必要最低限の言葉しか交わさなかった。

 新幹線に乗車し、愛実ちゃんと一緒に2人席に座る。ちなみに、窓側が愛実ちゃんで通路側が俺。新幹線に乗るのは去年の社員旅行以来かな。

 やがて、新幹線は新大阪に向かって出発する。普段の満員電車とは違って本当に快適だ。


「……あの、先輩」

「うん?」

「もしかして、家を出発するとき、エリカちゃんとはああやって頬にキスをし合うんですか?」

「……うん。だいぶ慣れてきたけど、まだ気恥ずかしいところはある」

「そうなんですか。……いいですね。エリカちゃんも幸せそうでした」

「……そうだね」


 慣れてきたこともあってか恥ずかしいだけじゃなく、気持ちが温かくなる。

 家を出発するときも、帰ってきたときもエリカさんとリサさんの笑顔を見ると安心するのだ。だから、東京駅まで一緒に来てくれたのは正直嬉しかった。


「それにしても、数日前に旅行に行ったこともあってか、こうして大阪まで先輩と一緒に新幹線に乗っていると、旅行っぽく感じてしまいます」

「それ分かるなぁ。2時間半くらい新幹線に乗って、行き先は大阪で、1泊するし。さっさと不具合を解決して、ちょっとでも観光したり、美味しいものを食べたりしたいね。あとはお土産を忘れずに買うことか」

「ふふっ、そうですね」


 不具合の解決の次に大事な任務は、エリカさんとリサさんにお土産を買うことかな。大阪ってどんなお菓子があるのかな。後で調べておこう。


「……今回は、俺の側でトラブル対応のことを勉強してほしい。もちろん、何か気付いたことがあったら、遠慮なく言ってね。間違っていてもかまわないから。愛実ちゃんもあのシステムの開発に携わった一員だからさ」

「はい。少しでも力になれるように頑張ります」

「うん、一緒に頑張ろう。今回は出張して、お客様のビルで不具合対応するのってこんな感じなのか……って感じてくれればいいから」

「はい」


 俺も初めて出張したときは、一緒に行った先輩の横にいて、先輩の指示されたことをこなすことで精一杯だったな。

 早く作業が終わって、少しでも大阪を楽しむことができれば何よりだ。


「それにしても、この前の旅行で夏海町への行き来が一瞬だったからか、新大阪までの2時間半が長く感じますね」

「ははっ、確かに。テレポート魔法は俺達地球人には衝撃的だったね」

「ですよね。それもあってか、疲れもそこまで溜まらずに、火曜日は普通に出勤することができましたから」

「そっか。俺もいつもの旅行よりも疲れは残らなかったかな。ただ、テレポート魔法を経験したからこそ、こうして新幹線を使って行くのもいいなって思えるよ」

「……あたしもです。宏斗先輩と一緒だからかな」

「嬉しいことを言ってくれるね。男の上司と2人で行くのは、愛実ちゃんにとってキツいかもしれないと思っていたんだけれど」

「何を言っているんですか。それに、これがキツいって思っていたら、一緒に旅行なんて行きませんよ」


 そう言うと、愛実ちゃんは不機嫌そうな表情を浮かべ、頬を膨らませる。


「先輩こそどうなんですか。あたしと2人きりで出張へ行くことは。ドキドキとかしないんですか?」

「しないって言ったら嘘になるよ。ただ、一緒に旅行に行ったこともあってか、他の人と一緒に行くよりも、こういった移動の時間とかが楽しくなりそうだなとは思ってる」

「……そうですか。あたしも同じです」


 すると、不機嫌だった表情が一変して、今度は嬉しそうな笑みを浮かべる。

 俺には美夢と有希という2人の妹がいるからな。年下の女の子と一緒にどこかに行くことは慣れている。だから、気持ちも楽ではある。

 ただ、仕事だけじゃなくて、一緒に旅行に行って色々な愛実ちゃんを見てきたからか、こうして2人きりで行くことはちょっとドキドキする。

 でも、今回は旅行ではなく出張だ。愛実ちゃんの先輩として、上司としてしっかりとやらないと。少なくとも、不具合の対応が終わるまでは。

 その後、新大阪に到着するまでは、愛実ちゃんと喋ったり、車窓から見える景色を見たりするなどして、ゆったりとした時間を過ごすのであった。

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