第35話『西へ』
連休明けの火曜日の仕事は定時で終わって、俺は真っ直ぐに帰宅した。
家に到着すると、すぐにエリカさんが玄関までやってきて、俺のことをぎゅっと抱きしめる。
「今日もお仕事お疲れ様、宏斗さん」
「お疲れ様でした、宏斗様」
「ありがとうございます。エリカさんやリサさんは今朝言ったとおり、ルーシーさんに旅行のことや月の影響などについて報告したんですか?」
「うん! 楽しそうで良かったって。お土産のお菓子を楽しみだって言ってた。あと、月の影響についてはこれから重点的に研究することになるって」
「そうですか」
体に影響があるだけでなく、地球人との未来に大きく関わる可能性もあるからな。しっかりと研究することになるか。
夕ご飯はホテルで食べた食事をヒントに、リサさんとエリカさんがビーフシチューを作ったそうだ。
思い返せば、ホテルでの夕ご飯のときに3人がビーフシチューを食べていた気がする。俺は食べなかったけれど。
「美味しいですね」
「うん。ホテルの味にそっくり。ホテルのよりも美味しいかも。さすがはリサ」
「ありがとうございます、エリカ様、宏斗様」
リサさんは頬を赤くして俺のことを見ながらにっこりと笑った。地球に来たときに怒っていた彼女が嘘のように思えるのであった。
7月17日、水曜日。
今日もよく晴れていて、関東地方は早ければ今日中に梅雨明けが発表されるらしい。これから本格的に暑い夏が始まるのか。
いつも通り、今日も仕事が始まっていく。このまま順調に進んでいって、平和に秋が来てほしいものだ。
午前中の作業は滞りなく進み、お昼ご飯には恒例となったリサさんとエリカさんが作ってくれたお弁当を食べる。
午後の作業も順調。今日も無事に終わりそうな気がしてきた。
しかし、午後3時過ぎ。
俺達が所属している部署の部長がやってきたのだ。いつもはこんなことはないので、さすがに俺も緊張する。
「風見君、白石さん。ちょっと話をしたいんだけれど、今は大丈夫かな?」
「は、はい!」
「分かりました。みなさん、何かあったら俺のスマホに連絡ください」
「……じゃあ、休憩スペースにでも行こうか」
愛実ちゃんと俺を一緒に呼ばれるなんて。2人一緒に異動なのか? それとも、愛実ちゃんと一緒に旅行に行ったことが問題視されたとか?
色々なことを考えながら、俺達は休憩スペースに向かった。
俺と愛実ちゃんは隣同士の席に座り、テーブルを挟んで部長は俺の正面の席に座った。
「部長。私だけではなく、白石まで呼び出して話したいこととは、いったいどのようなことなのでしょうか」
「……実は今日の昼過ぎに風見君と白石さんが以前、開発に関わっていたシステムにトラブルが発生してね。今は大阪で勤務するうちの人間が対応しているのだが、未だに解決できていない」
「そうですか」
ちゃんとテストもやった上で納品したんだけれど、トラブルが起きてしまったのか。
「あのシステムに関わっていて、今も大阪にいるメンバーは余裕のない状況らしい。ただ、風見君と白石さんの関わっているプロジェクトは比較的順調に進んでいるし、何よりも君はうちの中でも指折りの技術を持っている。なので、白石さんと一緒に明日から大阪に出張してほしい。白石さんは出張という経験がないだろうから、風見君の側で勉強してくるといい」
「分かりました!」
「なるほど、だから私だけでなく白石さんも一緒なのですね。私も彼女が勉強するいい機会だと思います。分かりました。では、明日から彼女と一緒に大阪の方へ行ってきます」
「よろしく頼むよ」
今は夕方だし、今から大阪に行って対応するのはさすがに厳しいな。
その後は愛実ちゃんと一緒に、大阪で対応しているうちの社員と連絡を取って、当時の資料を見ながら現状の把握をする。
伝えられた不具合の内容からして、金曜日までには解決ができるだろう。その旨を部長に説明して、愛実ちゃんと俺が大阪へ2日間出張することを了承してもらった。
チームのメンバーに俺と愛実ちゃんが2日間いなくなることを伝え、不在中のことについて調整を行なった。部長が仰っていたように、今のプロジェクトは順調に作業が進んでいるので、俺と愛実ちゃんが2日間不在でも特に問題はないだろう。早く終わったら、金曜日に会社に顔を出すことを伝えておいた。
2人分の新幹線やビジネスホテルの手配をして、俺は愛実ちゃんと一緒に会社を後にした。
「まさか、急に出張が決まるとは思いませんでした」
「俺もこんなに急な出張は初めてだよ。不具合の内容からして、明日中には終わると思っているけれど。遅くても金曜日までには。愛実ちゃんには俺の側にいてもらって、出張やトラブル対応についての勉強をしてもらおうかな」
「何だか緊張します……」
「お客様のところで作業するからね。今から緊張しちゃう気持ちも分かる。ただ、俺はもちろん、大阪のうちの担当者もいるってことを覚えていてくれるかな」
「……はい。先輩が一緒なら頑張れそうです」
「うん。早く終わったら、ちょっとは大阪観光して美味しいものでも食べよう」
「はい!」
エリカさんやリサさん、家族、職場のみんなにもお土産を買ってこないと。
明日は大阪に泊まりがけの出張か。まさか、旅行から帰ってきて3日後にこんなことになるとは思わなかった。
「宏斗先輩。今日もお疲れ様でした。明日は東京駅で待ち合わせですよね」
「そうだね。新幹線の改札前で待ち合わせしよう。朝早いから遅れないように気を付けてね。万が一のことがあったら、エリカさんやリサさんにお願いして送ってもらおう」
「ふふっ、そうですね」
「じゃあ、お疲れ様」
「お疲れ様でした。また明日です」
俺は愛実ちゃんと別れて、夏川方面の電車に乗る。
今週は平和な一週間になると思ったけれど、まさか愛実ちゃんと一緒に出張することになるとは。
せっかく大阪に行くんだ。大阪ならではのものを食べたり、1カ所でいいから観光名所に行ってみたい。それができるくらいに早く終われば理想的だ。
あっという間に夏川駅に到着して、俺は真っ直ぐ帰宅する。
「ただいま」
「おかえり、宏斗さん!」
「おかえりなさいませ、宏斗様」
エリカさんとリサさんがリビングから姿を現して、エリカさんは俺のことをぎゅっと抱きしめてきた。
エリカさんとリサさんに愛実ちゃんと一緒に出張することを話さないと。
「エリカさん、リサさん。お話があるのですが」
「うん、何かな?」
「何でしょうか、宏斗様」
「急なんですが、明日は愛実ちゃんと一緒に大阪へ出張することになりました。なので、明日は大阪のホテルで泊まりになります。あと、明日は普段よりもかなり早く家を出発する予定です」
「そうなのですか。分かりました。では、明日と明後日はお弁当を作らなくていいということですね」
「そうです。あっ、今日のお弁当も美味しかったです。ありがとうございます」
「いえいえ。明日は早く出発するということですから、今夜は早めにお休みください」
「そうですね、リサさん」
笑顔でリサさんはそう言ってくれたけれど、エリカさんは無表情で固まってしまっているな。明日は朝早く出発して、家に帰ってこないことがショックなのだろうか。予想はしていたけれど、実際に目の当たりにすると心苦しいな。
「エリカさん」
「……あっ、ごめん。急な話だったから驚いちゃって。ううっ、お仕事だから仕方ないとはいえ、宏斗さんが帰ってこないのは寂しいな。透視魔法を使えば、宏斗さんの様子はいつでも見ることはできるけどね」
「魔法で出張中の様子を見てもらっていいですし、支障を来たさない程度にメッセージを送ったり、電話したりしてきていいですから」
「そうだね。そう考えたら、ちょっと寂しさが紛れたよ。遠くに行くんだったら、お土産を買ってきてくれると嬉しいな!」
「もちろん買ってきますよ。できれば、お菓子を」
「うん! あと、明日は帰ってこないから、今のうちに宏斗さん成分を堪能する!」
そう言って、エリカさんは俺のことをぎゅっと抱きしめ、俺の胸に顔を埋めてきた。俺の匂いを嗅ぐことで、俺のことを堪能しているのかな。
俺もエリカさんのことをいつも以上に強く抱きしめて、彼女の髪からふんわりと香る甘い匂いを嗅ぐ。仕事から帰ってきて、明日から出張ということもあってかやけに落ち着く。
「でも、愛実ちゃんと2人きりなんだ……」
「出張ですし、ホテルは2部屋取りましたから。愛実ちゃんはエリカさんやリサさんのようにテレポート魔法は使えませんし」
「……そうだよね」
すると、エリカさんはさっきよりも強く俺のことを抱きしめた。愛実ちゃんと2人きりなのが不安なのかな。
ただ、出張とはいえ、遠くに愛実ちゃんを連れて行くことには変わりない。彼女がケガや病気をしないように見守らないと。
その後、2人が作ってくれた夕ご飯を食べた後は、出張の準備をした。
それからはさっとお風呂に入り、リサさんの言う通り早めに寝るのであった。もちろん、エリカさんと一緒に。
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