第53話 織田信長、時の彼方に消ゆ

 織田信長は、いや織田信長は勝利した。

 三八〇年の妄執と怨嗟、悲しみとなった過去に。

「やりましたね、信長さん!」

 コウ太が駆け寄ると、信長はぽんとその頭に手を置く。

「おお、ようやった! おぬしのシナリオのおかげじゃ」

 見渡すばかり、織田信長がやってきている。

 すべてを織田信長と言っていいのかわからないが、織田信長から派生したなにかであることは間違いない。


「またすごいシナリオでしたよー、コウ太さん」

 世界を救う英霊織田信長ビーイングこのちゃんが、満面の笑顔で言ってくれた。

 彼女からすると、このセッションルームで起きているのは、多人数が参加しているオンセとして映るのだろう。

 すごいのは、やっぱり信長の存在感だと思う。

「では殿、勝ち鬨をあげますか」

「そうじゃのう、これだけの大勝利は滅多にないわ!」

 信長が秀吉に頷くと、顕如もサツキくんもにこやかであった。

「では、武家の作法である鬨の合わせ方を教えよう。わしが『えいえい』と言うたら、皆で『応』と合わせる。これを三回やるのじゃ」

 そういう作法らしい。コウ太も、信長たちの輪に入る。


「鋭、鋭!」「応!」「鋭、鋭!」「応!」「鋭、鋭!」「応!」


 勝ち鬨が上がると、拍手も巻き起こった。

 ひとつのセッションが終わったのである。

 後は、経験点や後片付けだ。

 ふと、秀吉が空を見上げて異変に気づいた。

「急いで退散したほうがいいんじゃないかな? 物語の経路パスも閉じ始めている」

「あっ、本当だ」

 シナリオ大魔王がすべてを無に帰そうと、特異点安土城を築いたセッションルームに繋がれた物語とその経路パスが、徐々に離れようとしている。

 信長の《天罰ネメシス》でやってきた無数の織田信長たちは、そのままログアウトすれば帰れるだろう。だが、シナリオ仙人によって引き込まれたコウ太たちは、電脳空間から現実世界に戻らねばならない。

「でも、どこから帰ればいいの……?」

「あれですよ。“相棒”が教えてくれましたから」

「便利だね、光秀ダイス」

 サツキくんが指差した経路パスからは、セッション砦の様子が見える。

 そこから見える光景も、徐々に狭まっているようだ。

「では、帰って缶チューハイとシュークリームをやるかのう」

「それで、次のセッションの予定を立てましょうか!」

「こやつ、まだ遊び足りんか!」

 信長とコウ太は、声を合わせて笑った。

 帰ったら、またゲーム三昧の日々が待っているのだ。


「……このまま、ここまま消えてなるものか」

 掠れた声だった。森宗意軒である。

 這いつくばり、魔王の魂を呼び寄せたダイスBOTの欠片データを集めている。

「あ、あいつ、まだ!」

「このダイスBOTの欠片データを再構成し、ふたたび魔王の魂を育む種子とするのだ。おお……、おお、まだ育つぞ……」

 這いずりながら、森宗意軒は残る力を振り絞ってひとつの経路に身を投げる

「あっ!」とコウ太が声を上げたときには、もう遅かった。

「は、ははは、ははははは! 見つけた、徳川の世を覆す可能性、過去が! 我はこの欠片とともに、関ヶ原の合戦の最中さなかに落ちる! 東軍の勝ちなど、な、なくなる、のだ……! 戦国の向こうに、返してくれる……!」

「なんじゃと!?」

 しまったとばかりに声を上げ、信長は森宗意軒の落ちた経路へと向かう。

「待って、信長さん! セッション砦に帰らないと。経路パスが閉じちゃいますよ!」

「……すまんなコウ太、関ヶ原の合戦は、三河殿が薄氷はくひょうの勝ちを掴んだ大戦じゃ。あやつが向かったままでは、石田某に負けるかもしれん」

「でも、信長さんが行かなきゃ駄目なんですか!」

 コウ太が引き止めるも、信長は振り返っただけだ。

「ああ、清洲の盟約はまだ続いておる。本能寺の変でわしがたおれただけじゃ。三河殿は、二〇年来の盟友ぞ。わしが行ってやらねばならん」

「で、でも……」

「三河殿というのは律儀な御仁よ。わしは、それをいいことに不義理ばかり働いてな。のうコウ太? おぬし、セッションには必ず時間厳守でやってきて、GMを頼むと黙々と果たし、恩着せがましいことなど一切言わぬ友に一大事が迫っておるのに、捨て置けるか?」

「そ、それは、できないです……けど!」

「三河殿とわしは、乱世を卓に囲んだゲーム仲間よ。ともに天下に号令するまで戦おうと約束したのじゃ。ゲーマーの今度遊ぼうという約束、ないがしろにはできん」

「僕とも約束したじゃないですか、信長さん!」

「……そうじゃな、必ずまた戻ってくる。サル、コウ太を任せたぞ」

「はい、引き受けましてございます」

「よくぞ言った! コウ太、受け取れい」

 信長は、コウ太に向けて一枚の紙切れを投げた。

 ひらひらと舞って、コウ太の手の中に落ちる。

 それは、『トーキョーN◎VA』のアクトシート。

『N◎VA』は、RLも経験点を獲得できるルールとなっている。それを書き込み発行する専用のシートが用意されているのだ。

「コウ太よ、よいRLであった。褒めて遣わすぞ――!」

「あっ……!?」

 信長は森宗意軒の落ちた経路へと飛び込んだ。

 関ヶ原の戦い、西暦一六〇〇年の時代に落ちてゆく。

「信長さぁぁぁぁんっ!!」

 もう、その呼びかけに応える声はない。

 コウ太、コウ太と呼んでくれる、あの信長の声は返ってこない。

 いつか、別れは来るとは思っていた。

 だけど、こんな別れとは思わなかった。

 戦国時代を戦って戦って戦い抜いて、ダイス事故でやってきた現代日本で、あんなに楽しそうにTRPGを遊んでいたのに。

 織田信長は、セッションシートを残して消えた。


「ああ、これじゃ駄目だよ、信長さん。RLに経験点を上げるのチェックがついてないじゃん……!」

 『N◎VA』は、進行を行うRLにも経験点が与えられるが、プレイヤーが不満があるときなどは「No」にチェックをつけてもよいことになっている。「Yes」にチェックがついていないと、経験点は正式に発行されないルールである。

 なんということだろう、思い出の形も不完全だなんて。

「コウ太くん、急ぐよ! 経路が閉じる。ルームだって削除しないとならないんだ」

 秀吉が、呆然とするコウ太を強引に引っ張った。

 信長が飛び込んでいった経路パスが、閉じていく。

 ボロボロと大粒の涙が目から溢れ、引き攣るような嗚咽おえつが上がる。

 織田信長は、こうして時空の彼方に消えていった。

 もう、コウ太は信長と一緒にセッションをすることができなくなったのだ。

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