第44話 織田信長、シナリオ仙人の正体

「その、わしが魔王となるという話であるが、まったくもって心外よ。三河殿が幕府を開いて天下泰平となるというに、何故に魔王なんぞにならねばならんのじゃ」

「それは私も聞きたいところですね」

 ミツアキさんに憑依した顕如は、本人曰く信長が魔王となった後の世界からやってきている。魔王化した信長については、理由はどうあれ魔王として降臨したこと事態は目にしているのだ。

「信長さん、天下布武っていったくらいですから、武力で征服したかったんじゃなかったんですか?」

「“武”とはほこを止めるを意味する。武をくとは、足利将軍家の威光を取り戻し、諸大名の勝手な争いを制する力を示すということじゃ」

 よく知られた信長の天下布武という朱印状しゅいんじょうの印章は、武力による全国統一を意味したものではないという。

 近年では、中国の史書に由来する為政者が備える七徳の武を指すものだとされる。すなわち、暴を禁じ、兵を治め、大を保ち、功を定め、民を安んじ、衆を和し、財を豊かにするもの。

 応仁の乱によって室町幕府の権威が失墜し、下剋上と領土争いに明け暮れる戦国の世が到来した。この秩序回復のため、近畿五カ国支配に乗り出したのだ。

 実際、信長は近畿五カ国を平定すると天下静謐を宣言している。


「“相棒”がいうには、信長公の周囲に想像の産物であったはずの怪物や、あなたに恨みを抱いて死んでいった亡者たちもあなたの側に具現化されていくんだと」

「わし、人から恨みを買った覚えは山ほどあるが、供養はちゃんとしたのだぞ? 現世で狙われるほどではないわい」

「はは……」とサツキくんが小さな声で笑う。狙う者に心当たりがあるっぽい。

 なんかあったんだろうか?

 実際に狙った光秀の気持ちがダイスを通してわかるだけに、複雑だろう。

「『悪魔の卵』は、一〇〇万PVに迫ろうかという大人気シナリオです。そしてコウ太くんのシナリオのようにランダムによって何が孵るのかが決まるギミック。私が動画再生による念仏大唱和によって信長公を解脱に導こうとしたように、シナリオ仙人もシナリオをプレイさせることで第六天魔王を顕現させようとした……?」

 顕如ミツアキさんが意見を述べた。

「あ、あの! シナリオ仙人の正体って、やっぱり島原の乱の森宗意軒なんでは! 僕が夢で見た悪魔の卵と、島原の乱の旗指し物の図が一緒だったんです!」

「く、く、く、く、く……。よくぞ我が真意にたどり着いた」


 突如、ノートPCからしゃがれた笑い声が響いた。

 画面がハッキングされたのか、勝手に別の動画に切り替わる。そして再生されるとシナリオ仙人のアバターが動き出す。

「な、なんだこれ!?」

 怪現象に、思わずコウ太も声を上げる。

 映し出されているシナリオ仙人は、こちらの様子もわかっているようだ。

「よくぞ信長公を引き当ててくれた。礼を言うぞ、コウ太くん。ようやく大願叶い、『悪魔の卵』が孵ったのだ!」

「どういうことだ!」

 食いついたのは、この事件の真相に大きく関わっているサツキくんだ。

「どうもこうも、こういうことよ。第六天魔王となる信長公の器を、ダイスを振らせることによって引き寄せたのだ」

「わしを引き寄せた、だと?」

「いかにも、そのとおり」

「ふん、わしは魔王なんぞになる気はないわ!」

「で、あろうな。お前はあくまでも器にすぎん。織田信長の姿をしておるが、第六天魔王織田信長ではない!」

「なんじゃと……?」

「神が救世主キリストという器を受肉させて宿ったように、お前だけでは魔王の魂を宿すための器に過ぎん。その器を形作るためのダイス事故が起こるまで、島原から数えて三八〇年もの歳月がかかったがな」

「すると、あなたはやっぱり島原の乱で討たれた森宗意軒なんですか!?」

「いかにも、我はシナリオ仙人こと森宗意軒――!」

 アバターは名乗った。やはり、シナリオ仙人の正体は森宗意軒であったのだ。

「誰かに憑依してるとか前世だとか、そういうことなんですか?」

「いいや、違う。君にわかるように言ってやろう。人の魂や感情、記憶、知識も所詮は脳の神経細胞ニューロンに流れる電気信号で生まれるに過ぎないのだ」

「え、ええ……?」

「我は原城で討ち死にする直前、おのれ自身の精神知識記憶を、西洋の数秘術と東洋の算術八卦の粋を極めて二進法に解体し、卵に記録として封じて後世に託した。たとえ肉体を失ったとしても、世界をあまねくネットワークが覆った現在なら、広大な情報の海を情報生命体としてたゆたい、こうしてシナリオ仙人という人格を再構築することもできるのだ!」

「なにそのサイバーパンク!?」

 人間の精神や記憶をデジタル化して複製、ネットワークの中で生きる。複合体マトリックス没入ジャックインしたまま水平線化フラットラインするとか、そういうやつだ。

 まさか、江戸時代初期の人物が時を越えて実現するとは思いもしなかったが。

「わしを器と申したな? どういうことじゃ」

「いかにも器だ。その証拠に本能寺で信長公が負った傷はお前にはない。新しい肉体として、歴史の中から再構成されたに過ぎん」

「なんと……!」

「信長さんは、過去から転移とかタイムスリップしたわけじゃないんだ……?」

「そもそも、史実の織田信長公は魔王ではない。過去から現代に呼び寄せるだけでは、そうはならない。魔王の魂という酒を注ぐ織田信長の杯でしかない。魂と器、別々に用意したほうが、できあがる確率は上がるからな」

 つまりは、織田信長はダイス事故によって過去から召喚されたのではない。ダイス事故によって過去の情報から織田信長という形で複写されたのだ。

 だから、本能寺で負った傷を残さないことも選択できる。


「よいか、すべての事象は偶然という必然! 織田信長という存在が現世に到来する可能性がダイスで表されるのではない。ダイスがその目を出したから可能性を引き寄せたのよ。すべての物語は語られた時点でありえた可能性、起こり得た可能性となる……!」

「つまり、織田信長が魔王となる物語ができあがった時点で、事実であるという可能性が、天文学的に低いとしてもゼロではなく、ある……そういうことか!」

 どうやら、ミツアキさんが理解したようだ。

 例えば、ドラゴンが出現する物語は、空想の産物である。

 しかし、空想の産物であったとしても、実在の可能性がゼロではない。どれだけ低かろうが、その空想が事実である可能性事態は存在する。科学が、いまだ神や悪魔、幽霊などの超常的な存在を完全否定できないように。

 物語とは、語られた時点で世界に起こりうる可能性となる。それは世界と平行に存在するパラレルワールドに分岐したということ。

 物語るということで、空想は現実に観測される。観測されるからこそ存在する。

 シュレディンガーの猫の生死が、箱を開けることで初めて確定するように。

 TRPGは物語を語り合い、空想を現実のように共有し、ダイスを振る――。

 極々低い天文学的な確率で起こりうる可能性でも、ダイスを振ると出る。そのダイス目が、空想という可能性を事実として引き寄せる。

 

「キリシタン同胞をことごとく殺戮した憎き徳川! その徳川を覆す力と象徴となれば、やはり第六天魔王織田信長という武将をおいて他はない!」 

「何を言うか、その徳川の世もすでに明治維新とやらで覆ったであろう! おぬしの恨みは、時代遅れもいいところよ」

「お前も踏みつけられたままの者々の苦しみを何もわかっておらぬようだ。たとえ徳川の世が覆ったとしても、我らの犠牲を過去として積み重なった歴史の上におるのなら、同じこと。今の時代におる者すべて、徳川の治世の恩寵おんちょうを受けた者どもではないか!」

「徳川の世という歴史に積み上がったものすべてを覆すと申すのか」

「この現代もまた、島原の惨禍さんかのうえに生み出されたものの延長に過ぎぬ。ならば、本能寺の過去からすべての歴史を覆し、徳川の世に連なり縁あるものすべて、可能性も分岐も残さず切り落とす!」

 シナリオ仙人の形相が恐ろしいものに変わった、すさまじいばかりの怨念である。

 たとえ徳川幕府が滅んだとしても、その統治した二五〇年間に生まれ育まれたものすべてを消し去るべき因果だという。それほどの憎しみ渦巻く殺戮の現場から、森宗意軒の怨念を抽出して情報化としたもの――それがシナリオ仙人なのだ。

 本能寺の変以後に送り込み、徳川幕府成立という歴史とその先のあらゆる可能性をすべて断ち切って無へと帰す。当然、コウ太が暮らす現代もタイムパラドックスという破綻によってなかったことになってしまう。


「西洋の魔術書グリモワールと東洋の左道外法さどうげほう、いずれも修めた我は、情報生命体となってさまざま試行錯誤を繰り返し、TRPGによって第六天魔王を顕現させる術を練り上げたのだ。そう、これこそが――」

 一同、“シナリオ仙人”森宗意軒が語る怨念に魅入られたようにノートPCの画面に食い入っていた。そして一拍の間の後に言い放った。

「これこそが我が大魔術、"芸夢転生げえむてんしょう”の術――!!」

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