第38話 織田信長、コウ太の桶狭間

 小学六年生の二学期の初め、そのときの記憶からコウ太は解放されたことはない。

 

 コウ太は、本が好きな少年だった。

 両親は共働きで一人っ子、友達もそんなにいない。

 となれば、豊富にある孤独な時間を消費するのに、漫画、アニメ、ゲームはもちろん、本が必要不可欠なものとなる。

 ちょうどライトノベルが児童文学として再編され、学校の図書館に並ぶ頃だった。

 読書好き、アニメ好きの少年が手を伸ばすのは、必然といえるだろう。


 なんて楽しい世界があるのだろう――。


 スラスラ読めるし、挿絵も嬉しかった。

 コウ太のお小遣いは、いろんなレーベルのライトノベルに消えていった。

 アニメ化された作品も多数あった。原作小説を読めば、キャラクターの内面の描写までわかった。アニメ化されていないエピソードが世界を広げてくれた。

 ちょっとエッチな展開も、小説ということで許容され、少年の心にビンビンな反応を与えてくれる。

 ネット小説投稿サイトにアクセスすれば、アマチュア作家たちで賑わい、多数の作品を読むことができた。

 

 夏休みには、読書感想文の宿題がある。

 課題図書でなくても書いていい、先生はそう言ったのだ。その言葉を真に受けた。

 自分のお気に入りの作品をみんなにも知ってもらいたい、すごい冒険を知ってもらいたい、そして自分の文章力を見てもらいたいという気持ちがあった。

 すでに小説の投稿を行っていたコウ太には文章に自信があった。ライトノベルの感想文でも、先生に褒められるとさえ思っていた。


「こういう幼稚なものを読んでいては、まともな文章力もつきません」


 先生は、コウ太の読書感想文を名指して、悪い例として生徒たちの前で指摘した。

 どっと教室に笑い声が響く。消えてしまいたいくらいに恥ずかしかった。

 みんなの目が、笑っていた。嘲っていた。

 ミツアキさんが奇しくも幻想は美しい嘘だと言ったが、自分が愛した物語たちが幼い自信とともに脆くも崩壊していく瞬間に立ち会ってしまったのだ。

 投稿サイトの作品も、アカウントごと全部消した。

 本当は、画面の向こうで笑っているんじゃないか? 

 そう思うと耐えられなかった。


 その影響でいじめられることはなかった。そういう意味では、いい先生だったのかもしれない。ただ、卒業するまで嘲りから救われた記憶はない。

 本当は、みんな読書感想文の件なんて小さな事件で、すぐに忘れているだろう。

 しかし、あのときの視線と笑いがどこかに潜んでいると思うようになり、自然と何かから隠れるような猫背体型が習慣化してしまう。

 なるべく視線から逃れられるように。なるべく影に潜むように。

 自分から進んで陰キャでキモオタという型にはまっていった。


 中学になってTRPGに出会ったものの、創作した物語を人に見せるというところにたどり着いたことがない。嘲りや、自分の創作能力を否定されるのが怖かった。

 GMする際は、すべて既存のシナリオかネットで公開されたもので、拝借して改変して遊ぶのがせいぜいであった。

 いっちーさんと連絡取れなくなった頃に起こった事件も、コウ太の心の傷をさらに深いものへと変えている。

 GMとしてセッションの運営やマスタリングへの自信はそれなりにある。

 しかし、そんなちっぽけな自信も、自作シナリオが容赦ない批判と嘲笑に晒されれば粉微塵になるだろう。


「……そうであったのか」

 ぼそぼそと過去のことを語るコウ太に、信長は瞑目して聞き入っていた。

「だ、だから、シナリオは作れても人に見せるのは無理なんです……」

「そのつらさ、わからんでもない」

「嘘ですよね? 信長さんがそんな気持ちになったなんて」

 そんなはずはないだろうと、まずコウ太は思った。

 織田信長といえば、批判悪評をものともせずに勝ち上がった武将ではないかと。

「おぬし、わしが尾張の大うつけと呼ばれたことは知っていよう? そのせいで、平手の爺も腹を切ったのじゃ」

 平手の爺とは、信長の傅役の平手政秀ひらて まさひでのことだ。

 信長は、病死した織田信秀の葬儀に、傾いた装束で現れ、位牌に抹香を投げつけたという逸話があり、平手政秀はその翌年にその奇行を諌めるため、あるいは責任をとって切腹したと伝えられている。


「わしは嫡男であったが幼少の頃より不出来でな。よう弟と比べられたもんじゃ。物心つく前に城つきで捨てられたようなものよ」

 信長の幼少期については、乳母の乳首を噛み切る、真面目に勉強はしない、人のご飯は盗むと散々であったという記録がある。信長は二歳で那古屋城の城主となるが、父信秀が勢力拡大の戦費を使い果たした頃で、城主と言っても貧しいものだった。

 こうした幼少期の勘気は、父母への愛情の渇望の現れとの分析もある。

「母上は弟を贔屓し、わしはうつけの扱いじゃ。それで嫡男としてしっかりせいと言われて素直になれるわけもなし。傾いてやったのよ」

 つまり、信長は父母の愛情への不満と周囲の扱いに鬱屈して普通にグレたのだ。

 そう思うと、よくある不良ストーリーとも言える。

「それって、周囲を油断させるためじゃなかったんですか?」

「そのようなわけがあるか。わしの気もしらんで、うつけだのなんだの好き放題言われたら、心中は寒風かんぷう吹く如しであったわ」

 まさか、織田信長にそんな思いがあったとは。

 しかし、ともに卓を囲むと信長にも繊細な部分があることがわかる。

 戦国武将とて、人間である。やけっぱちになった振る舞いをわかってもらえず、大うつけだの言われては、たまったものではないかもしれない。


「でも、僕には、信長さんみたいに跳ね返す力がないです」

「何を言うか。おぬしはこの信長の心を斬ったものであろうが」

「信長さんの心を斬った!? いつ僕がそんなことを……」

「わしが初めてTRPGに興じたときの、あの悲鳴の趣向よ。もう怖いものなしと思っておったわしの心を、おぬしは鮮やかに斬りおった。千宗易せんのそうえきの茶に会うて以来よ」

 千宗易は、のちの千利休せんのりきゅうである。利休の号は、町人の身分では禁中茶会に参内できないため、正親町天皇から与えられた居士号だ。

 信長の茶頭であった頃は、千宗易と名乗っていたのだ。

「ええ!? あれが、そんなに?」

「左様、利休の茶の湯も同じよ。簡素に茶の湯を研ぎ澄まし、一刀のもとにわしの心を斬ってみせた。おぬしには、それだけの力がある」

 それほどにあの恐怖音が信長を感服させていたとは思いもしなかった。

 確かに、驚いて飛び退かせたが。

 

「おぬし、シナリオ作成にはいまだ未練があろう? でなければ、テストプレイなどはせん。人に見せるのが怖い、そうだな」

 もちろん、そのとおりだ。

 本当のところは、自分もシナリオを作って誰かにGMして、自分の夢で喜んでもらいたい。そして面白かったという感想でたくさん褒めてほしい。

 だが、それ以上に創作能力を否定され、またあんな思いをするのが怖い。

 しかも、セッションデュエルなのだから、シナリオは必ず評価の俎上そじょうに載る。

「わしは、どうせ一度は本能寺で死んだ身よ、今さら死など恐れん。しかし、おぬしのシナリオを見られんまま成仏するのは、これほど悔しいことはない」

「の、信長さん!」

「どうじゃ、負けを恐れず思い切ってやってみよ」

「――信長さん。僕、やります!」

 ここまで言われてやらねば、ゲーマー魂が廃るというもの。

 戦国一の有名人が、自作シナリオに大きな期待をかけてくれている。

 織田信長というコウ太に初めてできたリアルゲーム仲間と、これからもずっとTRPGを続けるためにも、シナリオによって本願寺顕如を破る――。

 あの桶狭間の戦いのように、コウ太もセッションデュエルに打って出るのだ。

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