第13話 織田信長、着ていく服を買う

「このちゃんに『わしもGMというものをしてみたいのだが、いかにすればよいか?』と問うたところ、“このパパ”のサークルでGMするといいと日取りを決めてもろうてな。“このパパ”殿は歴戦のゲーマーという。なればわしも、一廉ひとかどの武将に会う思いで指南せを願ったのじゃ」

「早い、早すぎる。信長さん、早すぎですよ……」


 何がどうなってそうなったのか?

 諸々の買い物をして帰宅した信長は、週末にオフラインセッションの予定を入れており、コウ太を一緒に連れていくという。

 いやいや、いやいやいや――。

 見知らぬ不特定多数とオフセとか、コミュ障には無理すぎる。

 少なくとも、コウ太はそう思っている。

 顔を合わせず、自分の姿を晒さないですむ声だけのオンセだからこそ、不特定多数でもなんとかなっているのだ。


「僕、知らない人と卓を囲むの緊張するし、怖いし……」

「わしとおぬし、知りおうてまだ十日じゃ。何を恐れる?」

 言われてみれば、十日前にダイス事故で召喚されたときは落ち武者の亡霊かと思うくらいには怖かった。でも、慣れた。慣れというのは怖い。

「僕、人前に着ていく服がないし……」

「おお、そうであったか。難儀しておるな。わしも人前に出るからには相応の衣装を揃えねばならぬと思っていたところ。買うてやる。ついてまいれ」

「ちょ……!」

 そうじゃない、そうじゃないんだよ信長さん。

 コウ太は何度か心の中で繰り返す。

 キモオタが無理にファッションを背伸びしても、返って浮いてしまって痛々しいだけである。そうなるのは怖い。浮いて目立ち、軽蔑の視線を受けるのは嫌だ。

 だから、ダサいこの格好の方がいいし自分に似合っている。コウ太は思っている。

「服装とか、僕が何を着ても意味ないですって。僕、キモいから……」

 しかし、“キモい”という言葉を聞いた途端、信長の眉がキッと釣り上がった。


「……のう、コウ太よ。“キモい”というのは、毛虫や蛆虫を見て受けつけぬ、触れとうない。おぞましくて汚くけがらわしい、醜いという意味を言外に込め、上から見下ろしてあざけり、罪もなく言えるよう軽く見せかけた言葉に相違ないか?」

「うっ……。ええ、まあそういう感じです」

 あらためて説明されるとかなり凹む。

 現代人はそういう言葉を確かに平気で使う。接点がない相手への気遣いはしない。

「左様な言葉、およそ人に向ける言葉ではない――」

 鋭い形相で、ぴしゃりと言い切る。

 現代人の多くがイメージする、あの厳しい表情の織田信長のイメージである。


「の、信長さん……?」

「よいかコウ太。わしの時代に“キモい”だのの言葉を用いて、公然と面衆の前で人を嘲り、体面を愚弄すれば、貴賤きせんにかかわらず言うた者の命を取りに来るぞ」

「マジですか……」

「当たり前じゃ! 泰平の世となって命を取られる心配がないから平然と使うやからがおるようだが、戦国の世というのは言葉ひとつ間違えれば殺し殺され、戦にもなるものぞ!」

「は、はい!」

「命が軽んじられる世では、人が人を平然と殺し、自身が死ぬのも惜しくない。侮辱した相手を殺すにあたっても、自身の命を惜しまん。どうせ明日には死ぬかもしれんのだからな。コウ太よ、泰平の世といえ言葉には気をつけい」

「……は、はい。わかりました」

 そう語る信長は怖かった。怖かったが、コウ太は少し救われた気がした。

 コウ太がしおらしく頷くと、もう相好そうこうを崩している。


「しかし、どうしてもキモいと思う輩がおるのは仕方なかろう。思うても心の内に秘めておけ。……実を言うと、わしにも“こやつはあまりにキモい”という者が一人だけおった」

「えっ、信長さんもキモいと思った人がいるんですか? だ、誰です?」

「ほう、知りたいか。当ててみよ」と意地悪そうに笑う。

「明智光秀とか?」

「惟任日向守がキモとかないわ。わしに叛いたが足利将軍家にも仕えた武将ぞ」

「ええと、じゃあ一向宗とかですか?」

「そやつらは手こずらせたが、そういう感情はないな。氷炭ひょうたん相容れぬ敵ではあるが。もっとこう、なんとも言えぬ、いやらしい気持ちになってしまう相手がおってのう」

「誰なんです、それ?」

「この時代にはおらんから言うが。……羽柴筑前はしば ちくぜんよ」


「秀吉キモいんですか! 信長さんの一の家臣じゃないですか!」

 これは意外な答えであった。

 信長といえば、秀吉をサルサルと身近に置いて可愛がっていたイメージがある。

「そうではあるが……あやつは相当キモいぞ? にたにた笑いながら、いつの間にかこっちの懐に一足飛びで入り込んでくる。主君からすると、もそっとこう、距離というものを考えてほしいわけじゃ」

「距離近いんですか。あー、そのうえブサメンだったらしいですしね」

「顔の美醜びしゅうを言うのは詮無きことだが、まあ確かに醜い小男であった。しかし、わしが心底キモいと思ったのは、草履を温めたとか言い出したときじゃな」

「あれ、秀吉の忠義のエピソードじゃなかったんですか?」

「では聞くが……おぬしも寒い朝に見目麗しい女姓にょしょうが、温めてある草履をそっと忍ばせてくれたら、嬉しく履くであろう?」

「それだったら、ご褒美ですよね」

「しかし、草履を履くともわっと温かく、わしから褒められようとにたにた笑って待ち構えておる小男が側におったらどう思う? まだ仕えて日が浅いというのに……」


 眉をしかめて心底嫌そうに語る信長である。

 コウ太は想像してみた。

 雪の日、寒い早朝。履いた瞬間、ほんのり温かみがある草履。

 で、横にはその草履を温めたブサメンの小男が、褒められるのを期待してにたにた笑って控えている――。


「うわぁ……」

 キモい、これはさすがにキモい。というか、無理だ。

 言われてみれば、何故信長と秀吉のエピソードとして美談になっているのか、わからないくらいキモい。

「で、でも、秀吉褒めたことになってますよ、信長さん?」

「あれは『うわキモッ!?』と思わず脱いだのじゃ。そりゃ『おのれ腰掛けたのであろう!』と逆ギレして誤魔化すしかない。本人前にして『キモい』とか言えんし」

「そうだったんですか……! 確かに言えないですよねえ」

「そうしたらあやつ、『懐にて温めておりました。気に入らねばお斬りくださいませ』とか、草履の跡を見せおった。褒めておく他ないであろう? わしが『おぬしキモい』とか暴言千万な言葉を漏らそうものなら、『殿は忠義を知らぬ者、尽くし甲斐がない殿』と家中でそしられ、面目を失う。そこをわかったうえで褒めてもらおうと企てるのが、あやつの心底キモいところじゃ」

「それ本当にキモいですね。怒るに怒れないことわかってて計算するとか……」

「であろう? 敵にも味方にも、そういうことをやらせれば筑前という男は天下一じゃ。じっとりした視線をお市にも向けおるし……」

 信長はげんなりした顔で語る。きっと現代日本に来るまで言えなかったのだろう。

 新たな歴史の真実がここに判明した。

 豊臣秀吉は、かなりキモい。信長の証言である。

 

「キモいというのはそこまでやる輩のことよ。本当にキモかったら、わしはコウ太と十日も一緒にはおれん。おのれを卑下ひげせんでよい」

「の、信長さぁん……」

 思わず、コウ太は泣きそうになる。元来涙もろいのだ。

「――のう、このちゃん。コウ太のこと、キモいと思うか?」

『えー、コウ太さんは優しいお兄さんって感じじゃないですかー。あたし、キモいとか思ったこと、ぜんぜんないですよー』

 このちゃんの声が、タブレットPCから聞こえてくる。

 泣きそうになった声を聞かれたっぽい。

「ちょ、ちょっと! 実況終わってなかったんですか!?」

「ああ、コイン投入で延長したからのう。さっきから繋ぎっぱなしじゃ」

『だからー、今度あたしたちと一緒に卓囲みましょうよー。ノブさんとコウ太さんなら、みんなにも安心して紹介できますからー』

 天使だ、天使がここにおる。こんなに嬉しいことはない。

 このちゃん、マジ天使である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る