午前八時十八分。

 僕は再びホームに立っていた。


 隣にいる少女は寒空の下、短いスカートをはいていて、雪のように白い肌をさらしていた。そのスカートの中を見ようと太ももから徐々に見上げる。それはもうしっかりと。そうしてそこにある電車の前に飛び出した彼女のパンツと同じものがあるか想像する。それは白か、それともレースがついているみたいな凝ったパンツか。見え隠れするほど、想像がはかどった。


 そういえば昨日と同じような光景だ。


 ふと、少女がこちらを見ていぶかしむ。とても嫌な顔をするので足元に視線をおろした。そうして僕は黄色い線のこっち側に立っているか確認しただけですよ、と目と顔で伝える。


 白い息を吐いて、薄く乾いた凍てつく空気を吸う。気道を凍らせて、体を震え上がらせる。そうした行動に何も疑問を抱かない自分に違和感を感じた。


 周囲を見渡して、やはり居心地が悪さを肌に感じる。隣の少女は寸分たがわず昨日のままの格好で、昨日の立ち位置である。僕のいるここも変わらず、電光掲示板もそのままだ。表示速度も昨日と同じで最初に日本語の白文字、その横に赤文字、そして後に英語と続く。ちかちかと光る掲示板に昨日の名残かあの赤がちらつく。駅のアナウンスが鳴り響く。


 そうだ、ここで、だ。僕はぼんやりとつったっていた。いつもの冬景色を見て、うすいカバンを握りしめる。


 脳が痛み始める。きつくきつくハチマキが巻かれたような痛みだ。誰かが僕に呪縛をかけているのか、昨日と似通ったタイミングで目が前に突き出てくる。


 ちょうど電車が僕の前にやってくる。

 風がなぐ。髪が揺れる。隣にいる少女のスカートがなびく。ひだがひらひらと。


 後ろから駆けてくる音。ローファーが黄色い線を踏み越える。


 僕は見上げる。その一瞬は瞬間平たく薄く延ばされる。刻一刻と迫る刻限のさなか焼き付けるあの感覚はそのままに。昨日と寸分違わぬ上映タイミングだった。


 電車の前に躍り出たのは、なぜか昨日電車に身を投じた少女と同じ少女だった。ふわっとした茶髪に、まんまるい薄茶色の瞳、くるっと翻す身は身軽で、やっぱり僕を見て驚いた。


 あ、やっぱりかわいいな。


 僕の視線はスカートに。

 あともう少しなんだ。もう少しで、その中身を見ることができるんだ。だから見つめる。なびくスカートは電車に触れるすんでのところだ。


 そこで昨日より透き通りつつも、震えた声で彼女は言った。


「私のパンツが見たいの?」


 僕はその言葉に昨日よりももっと大きな声で、


「うん」

 応えて手を伸ばした。


 先はスカート。電車が少女を突き飛ばす前に彼女のスカートの中をなんとか見なければならない。


 だが、途端に時間は動き出してしまう。


 大きな金属塊は彼女を轢いてしまうし、時間のはざまにいた僕を引き戻す。一気に冷めた体に冷や汗が伝うにもかかわらず目が焼けるほどに熱さを帯びて痛みだし、脳がオーバーヒートする。無理やりに馬力を引き上げたからか、体がほてり、伸ばした手や体に力が入らなくなり倒れてしまう。

 僕の意識ははっきりとしていて、少女の最後の言葉も頭の中でハウリングしている。視界がぼやけ、体が端から崩壊していく感覚に陥る。また僕の口から白い息が抜けて、魂が僕の体を見つめる。


 隣の少女の悲鳴は昨日の音程と変わらず、舌打ちが聞こえて、鬱陶しそうな苦笑いと責任分散が始まる。残る僕の意識は少女の言葉だけ受け取る。


 きっと少女の最後の言葉なんて僕にしかわからないし、理解してくれない。


「大丈夫ですか」


 駅員が僕を覗く。あいにくだが僕はそっちではなく空気中にいて駅員を見つめている。口もとにやるせなさが宿った。


「僕はあの子のパンツが見たいのに」


 それから数分、体の痺れは治らなかった。痺れが治まっても両鼻穴から鮮血が流れ、とめどなく鼻から赤い液体が流れた。駅員にティッシュを一箱まるごともらい、何枚かのティッシュをちぎって丸めて鼻に詰めた。不格好でも、鼻血が出る格好悪さを思えば詰めないよりもましだった。






 ホームルームで、クラスの担任が涙をこらえながら訴えた。


「今日、同学年の子が電車の前に身を投げ、自殺をしました。自殺は悲しいことです。何か悲しいことがあれば全力で逃げてください。先生はいつでも相談にのりますから」


 クラス担任の目元は腫れていて頬はぷっくり赤らんでいた。それをぼんやりと眺めて、次に尻を見つめる。胸はぶかぶかの服を着ていて、やはりよく見えない。

 それでもちらりと見える担任の尻は格別だった。ぷりっと形がよく、パンツをそこにかぶせればそそるものがあった。そのパンツが純白であっても、深紅であっても、漆黒であっても、想像するだけで背筋がざわつく。たらりと垂れる鼻血がパンチのきいた妄想に拍車をかける。


 やっぱり先生のお尻はいい。

 そういえば「そこがいいんじゃないか」なんて、クラスの一男子は言って告白したが、案の定フラれたらしい。それほどまでに彼女の尻には魅力がある。分からなくはない。


 そして僕は考える内容がまだまだ青臭い。

 頭をふり、過去の話を忘れる。


 知らぬ間に話が終わり、またまた昨日見た通りのストーブの光景が目の前に広がる。女子達が暖を取る。スカートは膝小僧が見えるぐらい。熱で暖められた肌はピンクに染まる。僕はその肌の上の上を想像する。そこにある秘密を想像し、再び今朝の電車に飛び込んだ少女を思い出す。ひらりと舞った彼女の髪はやっぱり茶髪で、ふんわりとしていて、すんだ瞳をくるりと向けていた。


 頬杖をつき、不思議なこともあるものだと、物思いに耽ける。


「お前大丈夫かよ」


 そこで昨日と同じように絡んでくるやつが現れた。


「目の前で女子が自殺したの見たんだろ。お前さ、そのあと倒れたってみんな言ってたよ」


 またその話か、と面倒くさくなるが、どうしてかそのまま昨日と同じ行動をした方が体が動きやすそうなのでそのまま体が作動するままに動かす。ロボットのようだ。かくかくと動かし、口もあの言葉を寸分たがわずに。


「またその話かよ」


 なぜか逆らってしまった。自身の体に青い臭さがしみ込んでいるんだろう。鼻で笑ってもうそんなことはしないと誓ったはずなのにしてしまう。

 これは、僕の中で最高にダサい行為だ。モテないし、周囲から見ても惨めで情けない。それなのにこの行為は大人ぶった行動のスイッチを切り、あのもう会えないはずの少女のスカートを再起させる。自身の中でパンツの感覚が現れるとそのままに動いてしまう。


 どうしてそんなことをしてしまうんだろうか。


「やっぱり、それは尻がいいからか」


 ぽん、と頭の中で答えをだした。


「なんだよ、それ」


 北原は、心配して損したという風に呆れて笑った。その笑みの中に、俺は胸がいいぜ、と八重歯を見せ親指を立てる姿がうかがえた。この北原は変わらず胸が好きなので、僕のようには悩みはしないのだろう。


「男子はいいよね。ズボンで寒くなくって」


 ストーブの方から知らず知らずのうちに一人の女子、寺島が近寄っていた。細いとも太いとも言えない体つきの寺島は俺にいつも絡んできている北原といつもいがみ合っている。僕はこの二人の仲のお邪魔虫なので去ろうとするも、「待って」と二人から全力で制止されるだろう。だから今回も座ったままでいる。


 寺島はバレーボール部で、からんできた男子、北原はバスケットボール部だ。どちらも体育会系の部活でどちらも体ががっしりしている。特に太ももが重点的に。どちらの部活も太ももの筋力を有するからだろう。しかしバレーボール部の太ももは、なぜあんなに肥え太り白く、なめらかなのだろうか。


 僕はぼんやりと寺島の太ももを眺めるが、そこには先ほどまでストーブで暖を取っていた赤が残り、その中でも紫色の血管がうっすらと浮き出ていた。


「でも、やっぱ、寺島の太ももじゃないんだ」


 と、ぽつんと落としてみると知らないうちに来ていた、茶髪の女の子が顔を真っ赤にしていた。同時に北原と寺島も何かわからない事柄を僕に言ってくる。


「お、お前もしかして寺島に気があるのか」と北原が慌てて尋ねてどうでもいいけど、と付け足す。その顔からは焦りが拭い去れていない。


「ちょちょちょ、ちょっと待って、古沢どこ見てるの」と寺島が恥ずかしそうにスカートの裾を伸ばす。なんのためのミニスカートか、よくわからなくなる。


「そっか、やっぱり古沢くんは……太ももなんだ」昨日は僕の発言でお尻を気にしていたのに、今度は太ももを気にする女子もいる。


 ふわふわっとした茶色の髪や、その透き通った瞳、体つきからしてこの女子は今朝方あったあの電車の前に飛び出した彼女と似ていた。名前も知らないのも同じだ。でも、よく凝視したら、胸も、尻も、太ももも、少しずつ違い、どちらかと言えばこのクラスメイトの女子の方がタイプだとわかる。むしろ今朝方の彼女はこの女子よりもタイプではない部類だ。でもなぜかそそる。


「違う、やっぱり尻じゃないんだ」


 僕はやっぱり気がそぞろでたくさんの言葉を口に出してしまう。するとまた周囲が騒がしくなる。寺島と絡んできた女子はよくわからないと顔を曇らせ、昨日目をキラキラさせていたはずの北原は、今度は二人の女子と同意した。


 途端に香るのは、ストーブで焼かれたスカートの匂い。むわっと押し寄せて僕に青臭さをかがせる。今は教室でこもりきった部屋にいる。

 この世界も僕の妄想もすべて夢なのだとしたら、あの子のスカートをストーブで焼いて、パンツまで見えるぐらいまるごと焼いて、そして、一気に見えるぐらいしてほしい。


「古沢、さいってー」寺島が口を大きく動かした。


 どうやら、今日の僕はおかしいらしい。






 僕は体育の時間、ださい色の体操服を着てキャッチボールをする。澄みきった青空に白い丸がぽーんっと僕の方へ送られてくる。それは昼に浮かぶ月が僕の方へ落っこちてくるようだ。


 昨日の要領でいけばぼんやりと何かを考えこんでいた僕はこのボールに当たっていたはずだった。体もその反応を示し、視界をくもらせて、思考をパンツ一色にし、ボールに当たらせようとする。

 あの子のパンツは何色だろうか、という思考はそのままに、僕は投げられたボールをしっかりと見据えて、グローブをそちらへ向ける。左手にはめたグローブの中に白いボールはすっぽり収まる。気持ちのいい音がグラウンドに広がる。


 周囲にはキャッチボールをしている組が山ほどいる。同じクラスメイト達は嬉々としてこの授業を受ける。思考はフラットだ。澄み切った青空と同じような、快活明瞭な声を響き渡らせる。力強いキャッチ。その後に剛速球の玉がなげられる。


 同じグラウンドで授業をしている女子達が見えた。彼女達はようやく準備体操が終わり集まっているところだった。体操服のズボンから形の良い尻が見える。

 そのどれも僕が思うような好きな尻ではなく落胆する。そこで僕がぼんやりしていることに不信がった北原が近づいてきた。大丈夫か、とのぞき込んでくるが、僕の思考は吐く息のように霧がかっている。


「僕は尻が好きだけど、胸もいいと思うんだ」

「何言ってんだ古沢」

「胸は見える。でもそれじゃあだめなんだ。それじゃあ、パンツの魅力にはかなわない」


 するとなぜか視界が思考と同じくらい霧がかってきて、くらくらと世界が暗転する。体が後ろに倒れるさなか、遠くにいる寺島の太ももがよく見えた。グラウンドに三角座りしてきつきつになったズボン。その間から覗く黒い何かが見えた気がする。それに気づいた寺島が、眉間にしわを寄せて口を大きく動かす。


 さ、い、てー


 背中がグラウンドの土の上に。冷たい床に僕の頬が当たる。視線の先には小さく生えた青い草だった。このあいだ週間清掃でグラウンドは草刈りしたばかりだったのにすでにもう生えてきている。力強い草がチクチクとあたり気持ち悪い。


 北原の声が聞こえる。僕はどうすることもできずにそこから動けない。

 しばらくして心配してきてくれた体育教員と北原は保健室まで運んでくれた。すると不思議なことにすぐに体は身軽になり、外気よりも温まった部屋にほぐされた。手渡されたコップには温かいお茶がついていて、冷えて震えていた指先を包み込んだ。


 保健室の先生の外見はやっぱり昨日と変わらず、その行動も所作も、髪の白髪一本取っても、なにひとつそのままだった。そこで僕も昨日と同じようにできたらいいのだけれど、どうしてか動かない。そっちに動けとうるさい体を内に秘めたちりちりと心を温める熱に突き動かされる。


「先生、女子のパンツが見たくなる時ってどういうときでしょうか?」


 すると、保健室の教員は苦笑いで、

「好きな子がいるんでしょう」


「そうじゃなかったんです」


 クラス担任のぷりっとした尻を頭の中で思い浮かべた。それからふんわりした茶髪の子のこと、その子と同じような茶髪のクラスメイトのこと。どれをとっても何かおかしく、足りないのだ。


 僕は、尻いいんだ。だけど、なぜかあの子のパンツが浮かぶ。胸でも尻でもなく、パンツ。

 あの子のパンツは何色だろうか。


「どういうことか僕も全くわからないんです。僕はまだ未練たらたらで、好きな人がいて、でも、その人じゃない違う子のパンツが見たくて、知りたくてしかたないんです」

 保健室の先生は、落ち着きをはらんでいた。一回ため息をついて、宙を漂う何かに意識を向ける。


「男の子ってそういうもんじゃないかな」


 その言葉は答えに近く、でもしっくりはこなかった。


 霧の晴れない道を歩いているかのような気分だった。その先にある開けた景色を待っているのに一向に現れない。


 授業があって、休み、また太ももを拝み、授業があり、昼休みになりご飯を食べていったん落ち着こうとしたが、頭に少女のパンツしか浮かばない。

 そんな日はすぐに帰る方がいいと思いそそくさとホームルームの後は帰って、家でごろごろとし、頭の中で今はもういない亡き少女のパンツの形をひたすら練った。

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