君のパンツが見たい。
千羽稲穂
いち
午前八時十八分。
八の重なった、ちょうどの時間。
僕はぼんやり八両目が停車するあたりで、電車が来るのを待っていた。
ホームの黄色い線よりも内側。肩に薄っぺらい高校指定の鞄をかけて、凍てついた風でなびく髪や冷える頬を意識する。ふと隣を見たら、隣の彼女のスカートが冬の風でふわっと浮いていたから、膝小僧の上の上にある、あの秘部が見えないか、スカートが巻き上がり見えないかじーっと凝視した。すると彼女は怪訝な顔をして僕を見るので、僕はただ足元を見ていただけなんです、と顔でおどけて見せた。
その時だ。
僕の背後から誰かが飛び出した。電車のブレーキがかかる、ほんの一瞬。茶色い髪をふわっと浮かせて、スカートが太ももまで勢いよくたくし上げられ、電車の前に体を投げる。
僕はその一瞬がなぜか、何秒も長く平たく伸ばされて、脳裏に、瞳に、その光景が焼け付く。西遊記で出てくる猿の頭にはめられた輪っかが、頭をしめつけているようで、その上夏の日差しの何千倍もの熱さが脳内で生み出され、目はこのまま飛び出すんじゃないかってほどに前に突き出す。
少女が電車の前に。
僕と同じ高校の制服の子だ。
それよりもスカートだ。
もう雪が降りだすだろう、という季節に、少女は短くスカートをはいていた。白い太ももが見えるぐらいにスカートがなびいて、その上まで見えるんじゃないか、と懸念されるぐらいに。本当にそのぐらいなびいている。僕が見たかったあの部分をしっかりととらえるために、僕は一瞬たりとも見逃さない。
そこで少女がホームにいる僕の方へ振り返る。体をくるっとこちらへ。僕に気づいて、ちょっと驚いて、目元に苦笑いによるしわを作る。
あ、ちょっとかわいいな。
そんな感想を抱くのもつかの間、少女は口をかすかに動かす。
「見たいの?」
小首をかしげて、悪魔のように笑う彼女に、僕の胸はきゅーっとしぼむ。まるで僕の内心を見透かされているようだ。全て、彼女の手の上。そこで踊らされる僕は、僕は。
「うん」
心底、喜んでいた。
途端、時間が動き出す。
電車は本来のスピードを取り戻し、彼女の体を突き飛ばす。そこで起きた出来事は、言いたくはないが、悲惨で、虚しく、僕の時間を引き延ばすだけ引き延ばしたわりにこんなものかと吐き捨てたくなるほどの迷惑極まりないことだった。
隣にいる少女は甲高い奇声を放ち、蹲る。かと思えば、遠くの方で苦々しく笑っているやつもいる。あとは舌打ち。貧乏ゆすり、まじかよ、とげんなりしてすぐに携帯のシャッター音が行きかう。あっちこっちへ彼女の出来事は分散し、あたかもここにある出来事がなかったように出来事がしぼむ。
僕は鼻の下を伸ばし、鼻孔から滴る何かを指でこすりとる。鼻の内側の粘膜が裂けているのか、次々に流れ出し止まらない。すると視界はくもりガラスを通して見ているかのようになって、頭を左右に大きく揺らす。
なぜか体がいうことをきかない。熱せられた脳内はそのままに、輪っかははめられたままに。目が瞼を閉じさせようと必死になっていた。息を吐くと、凍てついた空気に僕の息が浮かび上がる。その姿はまるで、僕の魂のよう。
魂は上へ昇っていき、体は後ろにゆっくりと倒れていく。僕はそれを魂になった僕の目の前で見つめていた。駆けつけた駅員が僕の背中を受け止め、寝かせる。
「大丈夫ですか」
声は鮮明に聞こえるのに、何もかもがしびれて動かない。どうすることもできないので仕方なく先ほどの電車の前に飛び出した少女のパンツの色を頭に思い浮かべるしかなかった。
ああ、彼女のパンツのは何色なんだろうか。
ホームルームでクラスの担任が涙ながらに訴えた。
「今日、同学年の子が電車に身を投げ、自殺をしました。自殺は悲しいことです。何か悲しいことがあれば全力で逃げてください。先生はいつでも相談にのりますから」
僕はしびれた脳内のまま、ぼんやりとその姿を見ていた。今のクラス担任の顔は涙で濡れてちょっとぷっくりしている。腫れぼったい顔はかわいらしい。クラスの担任の胸はそこそこで、服の上からはあまり見えない。ぶかぶかの服を着ているせいか、あまり目立ちもしない。だがその分小ぶりのお尻がちらちらと絶妙に見える。
スーツを着ている時はその小ぶりな尻が存分に見れる。それは授業参観に多く、その時ばかりは僕は担任の背後を陣取る。後ろから見ているだけでも、この担任はやはり若いのだと、では夜はどうしているのだろうか、お付き合いしている男性はいるのだろうか、と考えてしまう。
ちょっとした夜の事情を考えてしまうあたり僕はまだまだ若いのだろうと悟り、苦々しく頭をふる。
クラスの担任は知らぬ間に話を終え、教壇から廊下に出て行っていた。その背後から見えるのはやっぱり女性的な背中の筋で今日も一段と大人な女性という感じが出ていた。
「お前大丈夫かよ」
机の上で頬杖をつき物思い気にふけっていたはずなのに、面倒くさい男子、北原にからまれる。これは仕方ない。今朝の出来事は噂好きの子どもにとっては美味しい餌だ。
「目の前で女子が自殺したの見たんだろ。お前さ、そのあと倒れたってみんな言ってたよ」
「倒れた。たった十秒ぐらい」
「なんだよ、それ」
心配して損した、と呆れてる北原を意識の外へやり、教室の端にあるストーブを見る。クラスの女子達は今日もストーブの前で暖をとる。ミニスカートとまではいかないが、膝上ぐらいをキープしているスカート。白い太ももも黄色い太ももも見えない。暖をとりほんのりピンクに染まった膝小僧だけがしっかりと映えている。
膝の上の上を想像する。僕はまだその上の秘密を知らない。秘密を考えると頭の中に青い火花が飛び散り、しぱしぱと目の前に稲妻が駆け巡る。その後で知っているけれど知らないそれにそそられる。
そんな自身の恥部を感じてしまい、青いなと鼻で笑う。
「男子はいいよね。ズボンで寒くなくって」
ストーブにいる群れを眺めていたら、その中の一人が僕に近づいて来た。正確には僕に絡んできた北原に近づいてきたのだろう。
北原とこの女子はいつもなれなれしく、それでいて楽しそうに二人で会話を楽しんで、そして僕に何かしらの折りをみてからみにくる。僕はその会話のクッション役としていつも居座っていた。
最初の頃は二人の間に挟まれ居心地が悪かったので、二人の邪魔だろうと立ち去ろうとしたものだが、そんな時はいつだって「「待って」」と二人から制止される。だから今はぼんやりと二人のことを見てただの置物と化すようにしている。
「なんだよ、寺島。じゃあ女子は全員スカートの下に体操着きたらいいだろ」
「北原はあのだっさい体操服着れるっていうの?」
北原は押し黙る。
そこでまた一人の女子がひっついてくる。その子は他の女子よりもスカートは長めだ。膝小僧が隠れている。その上、タイツも装備されていて冬対策は万端だった。くるりとカールした茶髪は長いスカートと不似合いだ。
「ね、古沢くんはどう思う?」
僕はかなり強引にしゃべりかけに来た彼女のことを見上げた。彼女の手にかかれば【どうだっていいとは言えない雰囲気】を場に生みだすのなんてお手の物だ。
「やっぱり尻だと思うんだ」
僕は仕方なくぼそっと思ったことをつぶやいた。つるりとクラス担任よりも小さな尻をした彼女はぐっとこらえてうつむく。僕はただ「どう思う?」の答えを述べただけなのに、寺島が僕のことを毛虫を見るような目で見てくる。一方で北原は僕のことをキラキラした瞳で見ていた。
「俺もそう思う」
北原の声は大きくて、ストーブの前の女子達を一斉に振り向かせた。ごーごー、と寺島の背後にあるストーブが鳴り響き、ぬくい熱を上半身に感じ、頬をぷっくりと膨らませる。
茶髪の彼女はより一層顔をうつむかせて口を引き結び、尻に手をやり、恥ずかしそうにすぐひっこめたのを僕は見逃さない。
むわっと香るのはストーブで焼かれたスカートの匂い。焦げ臭く、だけど蒸し暑い。スカートの下の秘密をストーブも知りたがっているように思えた。
「さいってー」
寺島はそう言ったのになぜか僕じゃなく同意した北原をにらみつけていた。
今朝の電車に飛び出した少女の口元を思い出す。あの時振り返った彼女は何を言っていたのだろうか。考えると迫りくるのは大量の熱と内から沸き起こる衝動だった。その先を知りたい、と何度も思ってしまう。
しかし一瞬にして現実は未来を奪い去る。僕の中の時間はすぐに動き出し、彼女のパンツの色を隠した。
「でも、俺は胸もいいと思うんだー」
遠くの北原が叫び、こっちに白く小さなボールを投げる。僕はけだるげに手を垂らしたままでその白を見つめる。
例えばこの白があのスカートの中に隠されていたとしたらどうだったのだろうか。それはそれでよいのではないか。しかし、白とはまた安直だ。最近の女性下着はレースやリボンをあしらったものもある。この年になればもっと凝った下着を彼女ならはいていそうだ。
「あの子はかわいかったからなあ」
僕は北原に聞こえないぐらい小さくぼやいた。刹那、僕の顔面に白く丸いボールがめりこむ。ボールは僕の顔に激突。今朝方痛めた鼻の粘膜は再び裂けた。今度は盛大に両方の鼻の穴から鮮血が噴き出す。ぱおーん、とどこかしらの動物園の像が鼻を上げ、鼻の孔から噴水を噴射している。気づけばそれは僕だった。
ボールは地面にごろごろと転がり、僕の赤色をまとう。ボールとともにグラウンドに寝っ転がる。左手を上げるといつの間にかグローブをつけていた。妙に左手がけだるげで、外気よりもぬくもりがあると感じたわけだ。
澄み切った青がずっと向こうに見える。倒れた僕に北原は駆け寄り覗き込んだ。彼は空の青よりもさらに青っぽいだっさい体操着を着ている。さすがにこれを常に着るのはファッションセンスを疑ってしまう。それにこの体操着をスカートの下に着込んだら、あの秘密が見れないし、つくづく嫌なものに映る。
「どう思う?」と今頃になってどうでもいい女子の問いが胸の内で反響する。
大丈夫か、古沢。おーい、とのぞき込む北原。でも僕はそれがどんどん遠のいていく。頭の中はスカートの中のことでいっぱいで、何にも答えられない。
電車が全て持って行ってしまったんだ、あの時救えたら、なんて青すぎて言えやしない。
「確かに胸もいいよ、北原」
「何言ってんだ、古沢」
「だって、服の上から見えるんだから」
大きかったらだけど。
凍った地面に背中があたり体が冷えるが、相変わらず脳が振動しているようにとてつもなく熱い。ぼやぼやしていると僕の体中がほてって、最終的に体が燃えてしまうかもしれない。
僕が見上げている青空はどこまでも冷たく遠いブルーで、僕のいる地面までは落っこちてきてくれない。なんと世界は冷たいのだろうか。僕の表面は体操着のだささでうんと冷たくなっているのにあの子のパンツが見えない。
手を伸ばす。あのスカートの下をめくれるように。うんと伸ばす。でもこの手はスカートにもあの子にも届かない。
代わりに北原につかまる。僕は無理やり体を起こされて、体育教員がやってくる。遠くで何か言っている。体育教師は男でむさくるしい。女子は女性教員。あっちの教員は動きやすいように黒いジャージの長ズボンをはいているのに対し、男性教員は膝小僧が見える短パンだ。
どっちの尻がいいというと、断然女性教員の尻だ。
女子の体操着姿を見ていると、その中にいた寺原がこっちに気づいて口を動かしていた。わかりやすく、先ほど言った言葉と同じ口の動きをしている。
さ、い、てー。
でも、そんなことより僕は今朝方の彼女のパンツが気になって仕方ないんだ。
固いグラウンドを踏みしめて、僕は体育教員と北原の間でだらだと鼻血を流しながらグラウンドを後にする。それが情けなくって、どうしようもなくって、おそらくこれが僕の最低な理由なのだと、ちらりと思った。
その日一日、ぼんやりと過ごしていた気がする。あの一瞬に出会った少女の「見たい?」という言葉に誘惑され続けた。出来たら見たいが、もうそれは不可能だ。やっぱりあの一瞬だけだった。くるりと振り返り、彼女は驚いた。目を少し見開けて、茶色い髪はふわふわと揺れて。その一瞬だけだ。
「先生、女子のパンツが見たくなる時ってどんな時ですか」
保健室の教員に尋ねてみた。保健室の先生は髪に白髪がまじるぐらいには年が上で、肌にシミがみられる。目が相当悪いのか分厚いレンズの眼鏡をしている。尻を見る。ちょっと大きめだ。ちょっと太ってる。でも大人だからか少しだけ体はそれなりに色っぽい。
保健室の先生は、僕の真剣な悩みを冬の風が通り過ぎる音と同じ笑い声で返した。
「その子が好きなんでしょう?」
そうなのだろうか。
そこでまたぼんやりしだす。ふわふわと浮いた感情になる。
大事をとって、部活を休み、帰り道すらもパンツを考えてしまう。はるかかなた向こうにいても、この時の僕なら絶対あのスカートの中身を気にするだろう。断言できる。
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