第1話・後

 ――ネッサリア観光案内人の一人が語り始めたことには。


 今より七年前、小さな村から発生した病があった。

 それは潜伏期間の後に身体の何処かから植物が『発芽』して、やがて成長したそれに全身を侵食されるという奇妙なものだった。


 病の進行の末には、発芽した植物と完全なる同化をしてしまい、人としての意識も無くなる。この病に一度罹ると、治す手立て、止める手立ては何も無かった。突然の激痛と共に発芽する青々しい芽は、何度毟ってもまた生えるのだ。

 この奇病の発病は、すなわち死ぬことと同義であった。

 発芽するまでの潜伏期間中は、感染者の身体的にはほとんど何の変化も現れない。小さく痣かと思える程度のものが身体のどこかに現れる、そのくらいだ。

 しかしそれは、植物の根の塊であり、日々細い腕を伸ばしていく。

 そのため、主に発芽によって本人が自覚したその時には、既に身体に根がしっかり張られており、行く末の所有権は最早植物に奪われている。

 そうなってしまえば後はもう、皮膚の下で更に広がってゆく根の怖気に怯え、体外に葉を広げ育ちゆく芽を恐れ、日々侵食を進めるグロテスクな植物に涙しながら、特効薬も治療法も無い奇病に入り込まれた自分の運命を呪って、意識が切れる日を待つしかない。

 そんな恐ろしい病の発生地である村の民は、三月も経たないうちに全滅した。

 病はそこで留まることなく、やがて拡散を始める。

 近隣の都市・国を手始めに、感染者の出る範囲はじわじわと広がっていった。

 治療法は無く、見た目も醜悪で、感染経由も分からない――『苗床病』と名付けられたそんな厄介で難解な病に対し、「自分たちにその奇病の被害が及ぶ前に根元を断ち切れ」と感染者排斥の流れが起こったのは、当然のことといえるだろう。

 人であるうちに、人としての尊厳を守るため。

 大っぴらに叫ばれたその言葉を免罪符として、発生地の近隣地域を中心に感染者が殺されるという事件が何件も起きた。そこまでの事態へは発展しなかった地域でも、多かれ少なかれ感染者差別はされていた。家族内で感染者が出ると、感染者は家の奥へ軟禁されるなどして徹底的に社会から隠された。

 誰だってそんな病には罹りたくなかった。

 それは感染してしまった者も同じ気持ちだったであろうと、そんなもの関係なかった。

 ――皆、『苗床』などではなく『人』で在り続けたくて必死だったのだ。

 その強い気持ちによる排斥の動きを咎める者の出現は望めなかった。病が広がっていない国では、その存在すら知らない人々も多く居た。

 こうして、社会に認知されている苗床病の感染者の数は、最初の村で初めての発症者が出てから一年経った頃にはすっかり減っていった。

 ある者は植物と同化し、ある者は殺され、ある者は隠されて、である。


 そんな中、ふいと現れた者が居た。

 藤紫の髪を持ち、右目は更に濃く深い紫色で、左目はそれとは異なる若竹色。

 男性とも女性ともつかない中性的な風貌をしており、仕草にはどこか気品を漂わせる。

 商業都市ネッサリアのはずれにある荒地の小さな館に弟子と共に住み始めたその者は、定期的に各地を巡り回り、やがてその先で出会った二人の苗床病の感染者を自分の館へと連れ帰った。

 それが『偉人』、『栽培の第一人者』、幽ノ藤宮である。

 幽ノ藤宮は感染者たちを館へ連れてくると、感染者たちの許可を得て一人研究を進めた。

 そしてその研究によって、病の発生から一年半後には、病の感染源となる物質を突き止め、病はその物質を体内に取り込んだ者の体質によって罹る者と罹らない者に分かれることを発見した。そこから、病に罹った者の体質を変化させる処置方法と、感染物質を体外に出させない処置方法まで編み出してしまったのである。

 その処置の方法は秘されているため分からないが、ともかく幽ノ藤宮の持つ手腕により、この先助かる手立ての無かった筈の感染者は、『病との共存』という新たな道が拓けた。つまり、『身体から完全に植物を取り払うことは出来ないが、人として意識を持ちつつ生き続けることが出来るようになった』のだ。

 本来ならそのことだけでもそれまで誰も成し得なかった立派な功績だ。

 しかし、それで感染者差別が消えた訳ではなかった。感染者たちが人前の社会で生きることは難しかった、というより、まだまだ不可能な状態と言えた。

 そこで幽ノ藤宮は、まずは研究をもとに造り出した感染予防の薬を、差別のひどい地域から順に病の広まった都市や国へ配布して回った。そうして分かりやすい安堵を与え、社会から苗床病に対する感染の恐怖が無くなると――、


 今度は、その奇病を『商売』へと転化させてしまったのだ。


 それまで感染者たちの身体を這っていたのは、気味の悪い触手が伸び、不快感を持たせる植物が主だった。だが、幽ノ藤宮は研究を重ねる最中、その植物の見目の悪さを抑え、可憐な花を咲かせるという信じられない技術まで得てしまっていたのである。

 奇病の進行と感染を己一人で治めたことからも分かる通り、幽ノ藤宮は栽培や医学、そして化学の方面の知識に強く、技術の腕も高かった。植物の改良に時間はほとんどかからず、幽ノ藤宮と暮らす二人の感染者が華やかな姿となる日は早かった。

 その後、幽ノ藤宮は感染者たちの花の採取・売買を始める。

 幽ノ藤宮は商売の面での腕も申し分なかった。あれだけ恐怖された奇病という存在を逆手に取り、それを希少な価値へと変えた。感染者から採取された花、というだけでも欲しがる者は少数ながら存在したし、改良された花自体が、その価値が無くとも充分店頭で売ることの出来る美しいものであったのだ。

 また幽ノ藤宮は、社会的地位の高い者を自分の館へと呼び寄せて、実際に目の前で花を採取するところを見せるということもした。そこで採取した花を贈呈し、その美しさ、その価値を認めさせた。その時に貰った花を加工し、未だ持ち続けているという大女優も居る。

 ――感染者たちの花の評判はすぐに上がっていった。

 幽ノ藤宮が留まることなく研究を進めた結果の技術向上により、奇病によって発芽する植物だけでなく、感染者の身体に新たな種類の花を咲かせることも可能となった。今ではこの花を咲かせて欲しいと頼めば、それを咲かせることだって出来る。

 色とりどりの芳しく美しい花々は、かなりの高値で取引されるようになった。


 やがて幽ノ藤宮は、花の売買で得た利益で館を改築し、『ウィスティリア庭園』を造りあげた。

 館の周りに広がっていた荒地は整備され、和館、洋館、ガラスドーム、そして常に溢れんばかりの花が咲く花畑等を備えた広大な敷地が造られた。そして幽ノ藤宮はこの庭園を、入園料を払うことで感染者たちの日常生活を自由に鑑賞出来る施設とした。

 そんな庭園ひとつの影響により、庭園が位置するネッサリアの傾きかけていた商業さえ持ち直すどころか更に発展し、経済地区も広がっていった。長らく止まっていた船を使った貿易や観光も多く再開し、様々な地域から庭園を観るための客が訪れた。その功績を称え、ネッサリア国内に複数あるメインストリートの一本は真っ直ぐ庭園に向かって伸びており、そこはガーデンロードと名付けられている。

 庭園で生活している感染者たちは、現在では正規に『苗床』と呼ばれ、訪れる者たちから口々にその美しさを褒めそやされるようになっている。蔑称だったはずのその言葉は、今では憧憬さえ混じった言葉になっていた。彼らが数年前まで忌み嫌われ、酷い扱いを受け、命の存続さえ危ぶまれていた時には、誰にも想像出来なかった。

 そう、――幽ノ藤宮ただ一人以外には、誰も。

 

 苗床を使っての商売を次々と成功させ続けている幽ノ藤宮だが、かの人は苗床たちを商売道具として思い、個人の考えだけで好きに扱っている訳ではない。

 更なる稼ぎをと欲目に眩んだこともなく、苗床たちへの態度は一貫して変わっていなかった。幽ノ藤宮はそれぞれの苗床たちと出会った当初より常に、惜しみのない愛情と、そして多大な尊敬の念を持って接している。

 そんな幽ノ藤宮に対し、苗床たちは感謝や親愛という言葉だけではまったく足りない、それ以上の大きな気持ちを持っていた。庭園で過ごす苗床たちは、幽ノ藤宮と共に在ることに日々幸せを感じている。

 そんな互いの思いによって、今日も庭園はその美しさを保っているのだ。


 *


 老人の話を聞いているうちに、自分の中で熱いものが込み上がって来るのが分かった。

 涙ではない。これは、ジャーナリスト精神だ。

 そんなに凄い人が居るのか。来たかいがあった。会ってみたい。行かなければ。

 観光案内人の老人と別れたあと、自分はガーデンロードへ向かった。

 軽い足取りと共に、口先からは、老人に教えられた詩が流れ出す。

『偉人』についての授業の後、教師が必ず歌う詩だそうだ。



 君が世界を汚らわしいと思っているなら

『庭園』へ行くことをお勧めしよう

 あの美しさに満ちた光景を

 一度その目に焼き付けるといい


 あの光景が見られるのなら

 入園料など端金はしたがね

 偉人と苗床に会えるのなら

 財布のすべてをなげうてる


 さぁどうだろう あの美しさに

 共に見惚れに行こうじゃないか!


 少しでも興味を持ったなら

 明日の君は逃げられやしない

 必ず心は囚われている


 けれどもそれで構わないと

 君は必ず そう思う



 今の時点で、自分はもう構わないと思っている。

 さぁ、この都市最大の誇りに会いに行こう。

 そして、出来ることならば――……、

 ――何か面白い秘密でも暴けたらいい。注目されたり尊敬されたりしている人間のトップニュース程、売れるものはないのだから。

 それが出来た時のことを思うと、ルポライターの自分は口元がにやけるのを抑えることが難しかった。

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