ウィスティリア/とある栽培者と周囲についての

前田 尚

1. 各人々が話すことには/三週間前・前編

第1話・前

 この都市に来る前に何度も耳にした単語がある。

 それが、『ウィスティリア庭園』『偉人』『栽培の第一人者』だった。

 遠い地からやって来た自分は、まずその一つ目から取材にかかることとした。


 ――エレール女学園第五学年三名によることには

 ウィスティリア庭園。

 その単語を口に出した瞬間に、女生徒たちは色めき立った。

「大好き。わたし、授業で行って以降、何度でも行ってしまうわ」

「私もよ。いつ行っても綺麗に手入れされているお花はとっても見ごたえがあるもの」

「一度見たら、どうしたって詩のとおりにあの景色には心奪われちゃうわよね」

「入園料としてお財布の中身もね」

「でも、どっちかっていうと、私は苗床様に会いに行くっていう目的の方が大きいわ。だって本当に素敵なんだもの」

「あぁ、わたしも。ちょっとしたことがある度に、特にカリスタさんとお話したくなっちゃうのよね。カリスタさんとお話するのはとっても楽しいわ」

 苗床とは、と口を挟むと、苗床様よ、と一斉に強く返される。

「昔、苗床病っていう病があったんですって」

「それは身体から植物が生えてくるっていう、本当に恐ろしい奇病だったの」

「その病に罹って、ひどい差別もあったっていう時代を生き抜いて。そうして今は庭園に住みながら美しい花を身体に咲かせ続ける崇高な存在。それが苗床様たちよ」

「庭園のあるこの都市ネッサリアでは必ず学園で習うことよ」

「今は六人の苗床様が庭園にはいらっしゃるの。わたしは四人しかお顔を拝見したことはないけれど」

 誰が一番綺麗な花を咲かせるのか、と尋ねると、女生徒たちは顔を見合わせて黙りこくった。

「比較するつもりはないけれど……というより、そんな資格は無いけれど……」

「好きかどうかで言えば、私はヴァネシアさんのバラが一番好き」

「カリスタさんのクリスタリアだって素敵だけどね」

「でも、クリスタリアはどちらかというと工芸品扱いをされてるのよね」

「だから私は花としてはヴァネシアさんの咲かせる華やかなものが好きよ。性格だって、苗床様らしい気位をお持ちだし」

「確かに、話しやすいカリスタさんとは反対だけど、あの高潔さはやっぱり苗床様は別格なんだって憧れてしまうわよね」

「きつく睨まれてしまった時には、思わず涙目になってしまうけれどね」

 そう言うと、女生徒たちはくすくすと笑い続けた。


 ――テクナ・マシナ警備会社の青年によることには

 ウィスティリア庭園。

 その単語を口に出した瞬間に、青年はこちらへ怪訝な顔を向けた。

「あんた、悪人じゃないでしょうね」

「庭園は俺にとって大事な休息場所だから、悪人に紹介する訳にはいかないんっすよ。ん、あぁ、そうなんですか? それなら別に」

「いや急にごめんなさい。でも、隣の都市のここでさえ有名な庭園のことを訊いてくるなんて何者かと……誰だって自分の憩いの場を邪魔されたくはないでしょう?」

「今はかなり落ち着いたけど、昔は結構なバカが湧いてたし。いくら伊久いくさんが強いったってね、俺のこと正式に雇ってくれたらいいのに。そしたらこんな会社辞めてやるのにまたあの女暗殺者取り逃がした失敗は俺のせいじゃないだろうコンチクショウ」

「ああ、こっちの話です、こっちの話」

 君は花を見ることで休息するのか、と首を傾げると、ジルさんですよ、と返される。

「苗床様の一人のジルさん。俺のお目当てはそのジルさんの淹れてくれるハーブティーと準備してくれるお菓子っす。……あぁ納得って顔しましたね?」

「言っておきますけど、花だって好きですからね、俺」

「でもまぁさっきも言った通り休息の目当てはそっち。ネッサリアの観光案内のパンフレットにもジルさんのハーブティーのことは書いてあって、人気は高いんですよ」

「どの種類だって美味しいけど、――俺は、実は結構ジルさんと仲が良いんで。新しいオリジナルブレンドの試飲だってさせてもらっちゃったりもね」

 その人は病に罹る前は喫茶店のマスターでもやってたのか、と尋ねると、青年は眉を寄せて腕組みをした。

「さぁ……詳しいことはよく分かりませんね」

「だけど前に、大事な人のためによく淹れていた、とは聞いてます」

「俺はそれ、もしかしたら差別のせいで亡くなったっていう――」

 そこまで話すと、青年は仲間に呼ばれたためその場から立ち去ってしまった。


 ――ネッサリア在住の医師によることには

 ウィスティリア庭園。

 その単語を口に出した瞬間に、医者はうんうんと何度か頷いた。

「そこなら、日頃からご贔屓にさせていただいてますね」

幽ノ藤宮ゆうのふじみやさんとボクは元々古い知り合いで、庭園とは関係無しに付き合いがあるから」

「あぁ、もちろん伊久くんたちとも長い付き合いになりますけど」

「いや? 伊久くんは苗床様ではありませんよ? 『偉人』『栽培の第一人者』の唯一の弟子なんです」

「ついでに言えば、名前に和系音が使われていますが、彼自身は和系人じゃない。名前の無かった彼に、幽ノ藤宮さんがお与えになったと聞いていますね」

「栽培だけでなく、庭園の仕事、八割は彼が担っているんじゃないですかねぇ」

「往診の依頼だけじゃなく、薬を取りに来る、なんておつかいめいたことまでしてますし」

 薬と言うことは持病でもあるのかと心配したふりをすると、かおるさんですよ、と返される。

「おつかいって言ったでしょう。お身体が弱いのは苗床様の馨さん。彼はしょっちゅう寝込みますからね。往診と言うのも彼のためがほとんどだ。と、そうは言っても前よりは大分良くなった方ですけどね」

「聞いたところによると、庭園に引き取られるまではなかなか酷い待遇を受けていたようですからね、その間に身体が弱ってしまったんでしょう。その後ひと悶着もあったみたいだけど、伊久くんが連れ帰ってくれて良かったと思ってますよ、ボクは」

 病はもう治ったのか、と尋ねると、医者はおかしなことを言いますねと瞬いた。

「馨さんの苗床病のことでしょ? 治りはしてませんよ。治ってしまえば、それは苗床様ではなくなっちゃう。昔より体の状態は良くなっていますが、今でも馨さんの身体には植物の根が張っています」

「きちんと、ね」

 そう言うと、医者はそれで貴方はどこを診ますか、と聴診器をぷらぷら揺らした。


 ――ネッサリア中央部ケーキ屋『プッティハウス』おかみによることには

 ウィスティリア庭園。

 その単語を口に出した瞬間に、ケーキ屋のおかみはにっこりと笑顔になった。

「そりゃもう笑顔にもなるってものよ、すずかちゃんのことを考えてね」

「前に、藤宮様に連れてこられた時のすずかちゃんの反応と言ったら! 今でもはっきりと思い出せるわ」

「それまではビスケットの一つどころか、すずかちゃんの住んでた地域の菓子さえ碌に食べたことが無かったらしくてねぇ。あんな顔でケーキのことを、きらきらしてます、なんて言われちゃサービスだってしてあげたくなるもんさ」

 その口ぶりでは幼い子なのか、と予想を告げると、苗床様でね、と返される。

「今年で九歳になるとは聞いているよ。だけどすずかちゃんの場合はもっと小さい頃に病にかかったせいで、心がなかなか大きくなれてないのさ」

「だからそうだねぇ、体格も言動ももっと小さな子のように見える。特に、植物の根が張ったのが首や頭のあたりが主だったから、お話の仕方も少し舌ったらずだ」

「だけど礼儀作法はきっちりと藤宮様から教えていただいているようでね、観光に来たお客さんなんかにもきちんとご挨拶をしてくれるよ」

「そんな子がうちのお菓子を気に入ってくれているのは嬉しいことだろ」

 何のケーキがお気に入りなのか、と尋ねると、ケーキ屋はそれがねぇとますます顔の横じわを増やした。

「何度目かに来てくれた時に尋ねたらね、すずかちゃんが好きなのはバウムクーヘンなんだってさ。理由を聞いたら、『ふじみやさまがいちばんすきなケーキだからです』って」

「確かに前にあたしが訊いたんだよ、『幽ノ藤宮様はどのケーキがお好きですか』ってね。木の年輪を表しているところが好ましいっていうその答えを、ちっちゃなすずかちゃんも覚えてたんだねぇ」

 そう言うと、ケーキ屋のおかみは試食用のバウムクーヘンを差し出してくれた。

 

 ―――自称死人使いによることには

 ウィスティリア庭園。

 その単語を口に出した瞬間に、自称死人使いはむうぅと口を引き結んだ。

「それでなぁんですかい、庭園のことでワシに訊こうってんなら、あの扉の向こうの話?」

「ガラスドームの奥の、観光客は絶対立ち入り禁止のとこの?」

「はー! もう今週でこの質問何回目っての! はー!」

 そこには何が、と何気なく言うと、苗床様だってば、と返される。

「それは噂になってるし皆もう知ってんでしょ」

「え? 最近こっちに来たばかり? だから知らない? ……ええええ本当にこの人知らなかったぽい……黙ってりゃ良かったー!」

「――つってもまぁ、それ以上はほんとうに何も言えないけどねぇ。ただ、噂は正しいとだけ言っとこうか」

幽ノ藤宮ゆのふじさんと苗床様たち、あ、もちろんカリスタちゃん除いての苗床様たちね。それとワシみたいなちょっとした理由のある者しか入れない扉」

「その向こうには、六人目の苗床様が居る」

「いずこぞで祀り上げられている女神のように美しい苗床様か? はたまた、伝説と語り継がれるような英雄のようにたくましい苗床様か?」

「ヴァネッちゃんを凌ぐ開花速度の速さの持ち主たる苗床様とは一体?!」

「市民が噂しているそういった内容の、その真実はワシらだけのもの」

「……まぁ正直かわいいだけだけどなワシにとっちゃ」

 今の呟きは、と尋ねると、死人使いはヒヒッと怪しげに笑った。

「さぁどうかなそうかな? つい零れた本音かな? 惑わすだけのただの嘘かな?」

「内緒にしてあるものには秘密にしておくだけの理由があるものさね」

「だーかーら、これ以上ワシからカバレムちゃんのことを訊くのは……ってわざわざ名前言っちまったー! 黙ってりゃ良かったー!」

 そう言うと、自称死人使いは口と頭を押さえてごろごろと床を転がった。


 *

 

 ウィスティリア庭園。

 その単語を口に出した瞬間に、禿頭の老人は大きな息を吐いた。

「わたしに説明させてくれるのかい? 良いのだね、わたしで。……いやいやとんでもない! 幽ノ藤宮様の庭園について語らせていただくなんて、わたしがするには光栄過ぎることなのさ!」

 その、と、自分は訊ねる。

「『幽ノ藤宮様』と呼ばれる方が、大きな功績を残していることは多くの方から聞きました。その方が『偉人』『栽培の第一人者』とされている理由について、その功績の内容について、まずは話していただけないでしょうか」

 自分からの申し出に、老人は何度も何度も頷いた。

「もちろんだとも、語らせてもらおう! ――その前に一ついいかい?」

 姿勢を正した老人に、なんでしょう、と自分も同じく姿勢を正す。

「学園でかの人の話を教える前に詠む詩があるんだ。それを暗唱させてくれ」

「はい、もちろん」

 不思議がりながらもそう答えた自分に、老人は一つ咳払いをして始めた。


 *


 君が世界を汚らわしいと思っているなら

 庭園へ行くことをお勧めしよう

 あの光景が存在する世界を

 君は同じく思えるだろうか


 類を見ない美しさを持ち

 優雅に生活する彼らと彼女ら


 君はきっと 目を奪われて

 君はきっと 心を奪われる


 その美しさの根元がほんの少し前まで

 恐怖の対象でしかなかったなど

 今となっては信じることも難しい


 彼ら彼女らがほんの少し前まで

 排斥の対象でしかなかったなど

 今となっては信じたくもない


 さぁ目を開き 耳を澄ませよ

 彼ら彼女らを己一人で救いだし

 愚かな我々を目覚めさせた

 一人の『偉人』の話をしよう

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