第9話 小悪を蹴散らす異能
響の体の調子がだいぶ回復し、無事に退院することになった。明日は土曜なので学校は明々後日からだが、もう3日も休んでいる。3日分の授業の内容を月曜までに理解したかったので、貴志に頼んでノートを貸してもらうことにした。
…が、貴志が古文と化学の時に強烈な睡魔に襲われていたのか、日本語が意味不明になっていたので、その2つは姫佳のノートを見せてもらうことになった。
「はい、ノート。返すのは月曜でいいから」
病院に見舞いに来た姫佳がベッドに座っている響に2つのノートを手渡す。
「助かるぜ。これで何とか乗り切れそうだ」
受け取った響は安堵の息をつく。姫佳は真面目だからノートはきちんととっているだろうし、その点貴志よりもよっぽど信頼できる。
だが、以前だったらどうだろうか。彼女から借りようなんて思わなかったかもしれない。彼女が変わったのか、はたまた自分が変わったのか――どっちかは断定できないが、こういう関係も悪くないだろう。
すると、姫佳が一転して心配そうに見つめてきた。
「ほんとに…もう大丈夫?」
偽りのない、心の底から心配している顔だ。なんだか本当に違和感がある。ドライな雰囲気を持つ彼女が、仲が良いわけでもない自分に対してこうも親身になってくれるなんて。
心配している相手は安心させたい――そう思った響は、姫佳の表情に反するように頬を緩ませた。
「大丈夫だ。倉十が思ってるほどやわじゃないからな」
「そっか…。そうだよね」
響の返事に姫佳も表情を緩ませる。らしくない彼女のその表情はフワッと柔らかく、やっぱり響は直視できずに視線を下げて、ごまかすように借りた古文のノートをパラパラとめくった。
…その瞬間
「あー!まだ開いちゃダメ!」
姫佳が慌ててノートを閉じさせたのだ。突然の彼女の大声に響はびっくりしてしまう。そして、何故ノートを開いてはだめなのかわからず、頭上に疑問符をいくつも浮かべる。
「なんで?」
「いいから!ノートは写す時に見ればいいでしょ!」
姫佳は恥ずかしそうに頬を赤らめながらそう指摘する。確かにもっともだと響は思い、ノートは家まで開かないことにした。
姫佳はハァーとため息をつくと、そそくさと病室を出ていこうとする。
「じゃあ、また月曜ね」
彼女は扉の前で手短に告げて出ていった。1人になった部屋は急に静けさを取り戻す。療養するには本来あるべき静寂だが、今の響には逆に物寂しさを感じてしまった。
病院を後にした姫佳は
…自分は突然異能の力を手に入れた。何がきっかけなのかもわからない。だが、不思議とその力を使うことに不自由はなかった。そして、いつの間にか自分は異能の力を受け入れていた。
「ぎゃははは!」
その時、姫佳の耳に品の無い笑い声が飛び込んできた。土手の下に目を向けると、河川敷で3人の青年の男がタバコをふかしながら談笑していた。それだけだったら別に気にならないのだが、姫佳は男達の足元にタバコの吸い殻がいくつも落ちているのを見つけた。そして今まさに、1人の男が吸い終わったタバコを当たり前のように地面に捨てたのを目にした。姫佳は立ち止まって男達を鋭く睨み付ける。
彼らには街をきれいにしようという気持ちが無いのだろうか。…いや、無いから平然と吸い殻を捨てられるのだろう。この河川敷はたまに近所の自治体がボランティアでゴミ拾いをしている。もしもポイ捨てが無ければゴミを拾う必要だって無くなるのに、彼らは“自分達には関係ない”と思ってやっているのだろう。…だから姫佳は彼らの行為を見過ごすことができなかった。
「ちょっとそこの人達!」
姫佳は男達に向かって声を上げる。
「あぁ?」
呼び掛けられた方は眉間にしわを寄せて威圧的な表情を姫佳に向けてきた。普通ならそれだけでビビってしまいそうだが、姫佳は臆することなくつま先を男達に向けて近付いていく。
「タバコのポイ捨てはやめて。捨てた吸い殻はすべて持って帰って」
「え?なになに?俺達に指図すんの?何様?おい」
金髪パーマの男が蔑むような目を向けながら姫佳に近寄っていく。それでも姫佳は動じずに睨み続ける。
「何様なのはあんた達の方でしょ。ここはあんた達が好き勝手していい場所じゃない。早く全部拾いなさい」
ガッ!
瞬間、苛立った金髪の男が姫佳の胸ぐらを掴み上げた。
「放して」
姫佳はまだ毅然とした態度を崩そうとしない。それが尚更金髪の男の癇に障った。
「るっせえ!!」
金髪の男は拳を振り上げて勢いよく顔面を殴りつけようとした――――
パチッ…パチッ…
が、足元が何か妙に熱い。
「お、おい!足元が燃えてるぞ!!」
気づいたもう1人の男が慌てて声をかけ、金髪の男は下に目を向けた。…瞬間、彼は目をギョッとさせた。
「な、な、な…!?」
足元に落ちていた吸い殻が勢いよく燃えているのだ。
「あちぃ!!」
火が男の足をかすり、瞬間的な高熱を感じた男は慌てて体を引き離した。
「言わんこっちゃない。残り火が燃えたんでしょ」
姫佳は他人事のようにそう指摘するが、ガソリンでもかかってない限り、吸い殻の残り火がいきなり激しく燃えることはない。姫佳が異能の力を使ったのだ。
そんなこと知る由もない男達は勢いよく燃える炎に怯えてしまっていた。それでも姫佳は容赦のない目でまだ燃えていない吸い殻を指差す。
「ほら、早く吸い殻を拾って。じゃないと…」
ボゥ!!
次の瞬間、燃えていなかった吸い殻から炎が勢いよく上がった。
「うわあぁぁ!!逃げろぉぉ!!」
度重なる怪奇現象に男達は完全にビビってしまい、さっきまでの威勢を投げ捨てて一目散に逃げていった。
姫佳は彼らを追おうとはせず、燃え上がる炎をじっと見つめた。彼女の瞳が赤く映える…が、それはまもなく黒に戻った。
炎が消えた地面に吸い殻は1つも残っていなかった。汚れたごみは消え失せたが、姫佳の表情はどこか浮かなかった。
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