第16話 戦のあと

 周囲の風景は見渡す限り一面の白である。知らず、ため息が出た。死後の世界だよなぁ、これ。


 することもないのでぼんやりと佇んでいると、急に目の前の空間が発光して翠緑の髪の女性が現れた。

 神様だ。人間のような姿をしているが、不思議と中身はラシュラン精霊神だという確信があった。どのような形態を取っても変わらず美しい。


「お説教です、シタン」


 怒られるようだ。声帯を人間風情に合わせてくれるためのこの装いなのだろう。

 えっと、神様を呼びつけて乗り回した末に片足吹き飛ばされちゃったことですか。


「生命の神たる私の洗礼を受けた娘なら、もっと自分の命を大切になさい。貴女は愚かな子ではないのだから」


 神は優しかった。腰に手を当ててぷんすかと怒っているのだけれど、そういう仕草を神様がやってるのってなんか面白いな。気が付いたらほっぺをつまんでぐにぐにと揉んでしまっていた。


「何をしているのです」


 もう死んでいる私は怖いものなしだ。死者へと裁定を下すのは葬神バウザニルであり彼女ではない。そこまで考えて、ようやく先ほどまで自分がどんな状況で戦っていたのかを思い出す。恐怖を実感する。地上の人々の、ミナトゥとノーシュの、夢で見たリザの顔がフラッシュバックして私は泣いた。


 本当は、どう見ても訳ありの主従の依頼なんて受けたくなかった。他のパーティと別れてすぐの卜易のあの結果は、警戒せずに彼らの脇を通れる存在、つまり同業の冒険者が敵に回っていると警戒させるに十分だったし、鋼蜘蛛が出て来たのも不穏だった。ルストーヴェが現れたときは降参して自分だけ見逃してもらいたかった。下層へ行きたくなかった。魔王と戦いたくなんてなかった。自分が死んでまでラグドゥの魂をどうこうしたくなかったんだ。


 ようやく落ち着いた時、私は地母神に抱きしめられ、背を撫でられているのに気づいた。


「はあ。まあいいでしょう、許します。本題ですが、魔族を精霊の列に加える権能はまだ世界が柔らかかった過去のものです。今の私を地上に喚んでも、ラグドゥをそういった存在にすることは出来ません」


 もしかしたらそうじゃないかとは思っていたけれど、ショックだ。


「早合点してはいけませんよ、王核レガリアを使うのです。あれは今、魔王を殺害した私の召喚者である貴女に宿っている。願いなさい。騎士の青年が持つ槍、老森人エルフ秘笈ひきゅうのように、あれは貴女の魂の輝きを強めるだけでなく、ささやかな褒賞を与えるでしょう。哀れなラグドゥの魂を収める器を創り出せばよいのです」


 そう言って、神は生命への慈しみに満ちた微笑みを浮かべた。


「生を謳歌しなさい、シタン。喜ばしいことに、貴女はまだ生きている」





*****



 ……明るい。


 凄まじい倦怠感。カーテン越しに日光が差し込む窓際のベッドである。戸棚の花瓶に花が活けてあった。洞窟とは何もかも違う、明るい色のもので満たされた空間。鼻先がむずむずしてくしゃみをしたところで、ようやく自分がまだ死んでいないことに気づいた。病室だ。ここは。


「起きたか」


 枕元から声。

 緩慢な動作で寝返りを打つ。猫人シャパルだ。ノーシュより毛皮が厚くふわふわしており、全体的に白い。耳と目許と尾は上品なローズグレーで毛艶も素晴らしく、人種の割には体格が良かった。


「君が居なければ、私はやがて世界を脅かす災厄へと成長していただろう。こうして人の姿で地上の土を踏むこともなかったはずだ。感謝していニィエアァァァァ……」


 何を言っているのかよくわからないが、ちょうど良さそうだったので布団に引きずり込んで抱きしめてもう一度寝た。ふわふわで温かくて、溶けるように心地よかった。

 憮然とした鼻息が聞こえた気がした。






*****



 次に目を覚ました時、目の前にはミナトゥとノーシュがいた。ミナトゥは体を起こした私に縋りついてぼろぼろと泣いた。


「シタンさん……シタンさんシタンさんっ……! 良かった……本当に目が覚めて…………ほんとに、ありがとうって……私……」


「言ったろう、一度起きて私を抱き枕にしたんだ。もう大丈夫だよ」


「聞くのと見るのとでは違いますよぉ!」


 後ろからあのミディアムロングの毛皮を持つ猫人シャパルの声がする。いかん、謝らなきゃな。完全に寝ぼけていた。


 しかし話からすると、もしかして彼は。


「君がラグドゥ?」


「ああ。シタン」


 ニコリと笑って、彼はこちらを見た。ラシュランとの会話がただの夢ではなかったのなら、彼の肉体は王核レガリアが作り上げたものという事になるが、見ても触っても驚くほど生身だ。しかしノーシュと並んでもやはり年齢が分からない。めちゃくちゃ可愛いという事だけは分かるが。

 というか、ミナトゥの兄だから並人ヒームではないのか。


「む、失礼した。説明していないんだな。私も妹も1/4だけ並人ヒームの血が混じっている。ミナトゥのこれは隔世遺伝というやつだよ。髪の斑は母の物と似ているが」


 へー。ミナトゥの髪のそれメッシュじゃなかったんだ。銀髪に混ざるブラウンの房をくいくいと引くときゃあきゃあとリアクションが返ってくる。


「正直どういう理屈で生かされているのかさっぱり分からないが、妹と私を助けてくれたこと、感謝に堪えない。一生ものの借りが出来てしまったな。困ったときは可能な限り力になるとも——最も魔王を倒してしまった君に、私がどれだけ力になれるかは疑問だがね」


「そうだねーまあ差し当たって入院費を立て替えて欲しいっていうか」


「もう出している。替えの剣も用意しよう。かなりの物をサアルへの供物にしたと聞いている」


 やだイケメン。


「私の立場は聞いての通り最悪なのだが、腐っても王族だからな。これから頭角を顕わしていくとも」


 えっ。

 ミナトゥの方を見ると、気まずげに目を伏せた。王女様だったのか、ミナトゥ。その割には偶に胡乱な語彙を出してくる気がするけど。なんて考えていたらノーシュに割り込まれた。


「僕からもお礼を言わせてください。全て貴女のお陰です」


「ふふ、そうかもね」


 あれだけ状況が崩れても呪文を織るのを辞めなかったノーシュには脱帽だ。あそこから支援を試みるのが、最後に残った勝利の可能性を摘み取るものだと分かっていた。それこそが彼を攻術の達人たらしめているのだろう。


「しかし肝が冷えました。無茶をし過ぎです」


「ふふ、強く言えまい。お陰でラグドゥが生きているんだからね」






*****



「入りたまえ。む、君か。目を覚ましたんだな」


 私たちを助けてくれたという人物が逗留している宿へ挨拶に行った所、そこでは不必要な程顔がいい男が鎧の手入れをしていた。


 菓子折りを取り落としそうになった。

 この人を知っている。私だけではなく、きっと冒険者なら誰でも。竜麟を象ったダークブルーの鎧、複雑に捻じれた槍は氷錘の芯とするため。竜と心を通わせた魔王殺し四英雄の一人。常に精密な魔法の操作で足元だけを凍らせることにより実現させた神速の機動、加えて狂気じみた性能の魔導攪乱を使いこなす最強の占術師にして騎士。新聞に載ってた肖像を見たとき盛り過ぎだろと思ったけど本当にかっこいい。当時から10年くらい経ってる筈なのにぜんぜん老けてない。やばい。


「ハイトネット……ギャバレー……!」


「いかにも。歓迎しよう、新たな魔王討伐者よ」


 何呼び捨てしてるんだよ!!! バカ!!!!!

 内心で血を吐くが、呼ばれた方はさして気にした様子もない。地上最強の並人ヒームはやはり器も大きい。しかも顔がいい。何もかもを見透かすような玻璃色の瞳が私を見ていた。めっちゃ顔がいいな。

 っていうか。えっマジ? 大騎士ハイトネットが助けてくれたから死ななかったの? やばいじゃん。大丈夫? 一生分の幸運使いきってないよね?


「シタン・ネルサだ。ずいぶん世話になったみたいだね。これは心ばかりのお礼」


 顔がいいな。受け取ってください。ついでに私の名前も覚えてください。サインください。


「気にするな、元々魔王——魔王サイレンフォイルとでも呼称するか——はオレとグリザリオンが倒すつもりだった。仕事を減らしてくれて感謝しているさ。それにあれの発生に早期で気づけたのはシタン、お前のお陰でもある」


 英雄からっ……感謝を!? っていうか名前、名前呼んだ! いやいやそんな恐れ多い……でへへっ……。


 ん? 今なんか気になることをおっしゃっていたような……。


「私のお陰っていうのは?」


「オレの相棒と随分仲がいいらしいな。その縁を伝って魔王誕生の託宣が下りた、と。そういう事だ」


 相棒、雷纏う巨竜グリザリオンのことだろう。はて、遥かエレアーデを本拠とする竜と懇意になる切っ掛けに心当たりはない。だが大騎士ハイトネットが間違いを言うはずがないし、どこかで知り合ったのだろう。


「さて、ギルドへの申告でレベルを誤魔化しているとの噂を聞いたが——」


 びくり。


「アンブロエールやジンがどう思うかは知らんが、俺からすればお前が星6だろうが7だろうが8だろうが、そんなことは割とどうでもいいことなのだ。魔王を前にすれば大差はない。僅かな差が生死を分ける戦場ではあるが」


 ほっ……。いや、そんなことはないと思うんですけど……。


「肝要なのはお前のレベルではない——仲間を指揮し、レベルの差を覆す能力がお前にあったという事だ。それは神話級の化け物と戦う上で、何よりも得難い強さになる。この先、世界を脅かす危機が起きたときは——」


 なんだかすごく褒められていて顔が熱い。誉め言葉の処理にあっぷあっぷで話が不穏な方向に進んでいるのに全く気付かなかった。


 麗しい騎士は机の引き出しを開けると一通の書状を取り出し封を切る。そこには中央府よりシタン・ネルサ、ミナトゥ・ニーニア、ノーシュ・ユユに魔王討伐の莫大な褒賞を与える旨、討伐の中心人物シタン・ネルサに大召喚師の称号を与える旨、有事の際には世界災厄と戦うよう召集が行われる旨が記されている。んん??


「気に入らない召集は吹っ掛けても蹴ってもいい。オレ達に手綱を付けられる人類など居ないことは中央も理解している。だが、あそこで自分の命より救えるか分からぬ猫人シャパルを優先したお前は冒険者の誇りだ」


 肩をポンと叩かれた。脂汗が浮き出る。血の気が引いていく。


「頼りにしているぞ、魔王殺し五英雄殿」

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