第14話 魔王④

 ノーシュを中心に吹き上がった火炎の壁は生体燃焼から身を守る防壁である。

 その中心から燃え盛る溶鉄のゴーレムが立ち上がった。炎神サアルの鍛鉄の神としての側面を汲んだ魔法だろう。今のノーシュはただ達人であるだけでなく、精霊神の加護により高速で魔力が充填されることによって神話級の呪文を撃つのに躊躇いがない。


『光の屈折の応用でこちらからは見えています。付近の敵は焼き払いました、手早く行きましょう』


 心話を繋いでいたようだが、ミナトゥのレベルから考えれば距離が離れたノーシュとのこれはすぐ切れるはず。上手く合わせてくれるのを祈るばかりだ。ゴーレムが護衛としての用を成しているうちに致命的なダメージを与えなければならない。頼んだよ、神様ラシュラン


 精霊神は透き通った声で啼いた。時に躱し、時に無敵の肉体を生かした体当たりを仕掛け、魔王へのダメージを蓄積させていく。魔王の尾の先端から吐き出された魔炎が空中に作り出されたミナトゥの氷の盾を一瞬で蒸発させた。


「きゃっ」


 視界が急旋回し、炎を回避したことを知る。


「しがみつくことに、集中するんだ。神が……動きやすいように……」


「はっ、はい!」


 魔王の叫声が響き渡る。重層的な不協和音、何の前触れかと訝しむ私達へと魔王が顔を向けた。その口元に白い火の玉を創り出して。

 何らかの啓示を受けたのか、ミナトゥがさっと顔色を変える。


「っっっ避け——」


 ラシュランの反応はより速かった。だが火球が放たれる速度もまた常軌を逸している。私は瞠目した。躱し切れずに炎を受けたラシュランの左後肢が。精霊神の不滅の肉体すら穿つ、撹乱無効軽減不可能、この魔法は!


「理外の……いや、絶対……呪文! さっきの不協和音は、こほっ、詠唱……なの…………!?」


 学習している。より高次の魔法にアクセスする手段を、もしかしたら——私達から。

 全身からどっと汗が噴き出す。最悪だ。最悪最悪最悪——ラシュランが決定的な防壁たり得ない。いざ奴の注意が向いてしまえば、魔王の攻撃からラシュランを盾にしてノーシュを庇うことすらできない。焦燥、混乱、そして今なおこの身を苛む魔力の濁流。視界が明滅する。落ち着け、意識の手綱を離すな。


 神は2発目3発目の【絶対火】を錐揉み回転で回避する。その度に洞窟の壁が穿たれ小規模な崩落が発生した。

 一方的に攻撃を加えられる段階は過ぎ去った。そして状況はなお悪くなる。不愉快な叫びを詠唱に魔王は【絶対火】を分散させてラシュランの逃げる方角を限定する。

 王核を剥くために繰り返し飛散した魔王の肉片、その密集地点に誘い込まれたのだ。それらは一斉に脈動し、闇色の肉紐と姿を変えて私達を襲う!


 1本1本を千切るのは精霊神には造作もないことだろう。だが1つを千切る動きの緩急に他の100が追随して柔の動作で絡め取れば、この美しい竜の翼から揚力を奪い地に落とすことすら。

 体を襲う衝撃は不時着のもの。ミナトゥが落下しかけるのを慌てて抱きとめた。同時、落下中に呼び出した荊のバリケードが生体燃焼を受けて燃え上がる。ラシュランが肉紐をぶちぶちと破壊していくがまだ解放されるには時間がかかるだろう。炎の向こう、魔王が跳び上がった音。


 何か、何か無いのか。

 ラシュランの維持以外に回せる余剰の魔力は無い。剣を失ったから、焼け石に水とばかりに肉紐を断つこともできない。神の召喚以上に用意した策もない。

 ……いや。


 考えていたことがある。ルストーヴェに殺しを依頼した者の思惑、あの時点では魔王は生まれていたはずだ。それでも敵はミナトゥが迷宮に入ることで生じる不確定要素を嫌った、試してみる価値はある!


「ラグドゥ!」


 気を失ったミナトゥを見せつけるようにして魔王に語り掛けた。あれの中にラグドゥが居るのなら、あるいは妹の姿を見せることで揺さぶりをかけられるのではないか。という私の目論見はしかし何の役にも立たなかった。魔王の詠唱が響き、開いた大口に白い火が灯る。死をもたらす閃光を、ラシュランが身をよじって躱した。無理な体勢で肢をもつれさせて転倒し、彼女の肢体と翼を肉紐がさらに緊密に絡め取る。


 ついにこの時が来てしまった。


 星の瞳の占術師、家族を愛するミナトゥは私を信じたせいで死ぬ。猫又の攻術師、凛々しくも愛らしいノーシュは私たちを信じて呪文を唱えているだろう。こちらの様子に気づいて働きかけようとするだろうか。いずれにせよ間に合わない。彼もラシュランの加護を失い、やがて死ぬ。そして、私も。


 走馬灯のようにこれまでの人生が脳裏を駆け巡る。


 港町キチェの外れ、素朴な父との暮らし。彼はあの時、私の母が動乱の最中にある森人エルフの国の王族であり、娘を政争に巻き込まぬ為に涙を呑んでキチェを去ったのだと嘘を吐いた。それを聞いた私はわんわんと泣いた。不思議なものだ。それまで母の存在など気にしたことも無かったのに。

 無骨で愛情深い父とともに育ったシタンは、あの日からそれに加え、高貴で誇り高い母を持つシタンになったのだ。いつか母と再会した時に恥ずかしい自分でないように、弱きを助け強きを挫き、誇り高い自分であれるように。

 ラシュランの洗礼を受けて攻防のバランスに長けた召喚師を志したのは誰かを守れるようになるためだ。強くなって、いつか母を残酷な世界から連れ出そうと思った。どちらかと言えば気弱で臆病だった私は、それきり誰の前でも無理をして背伸びをして格好をつけ、勇敢で情け深く在ろうとした。そして不幸なことに私は、子供たちの輪という狭い世界の中ではそれを全うするだけの才能があった。


 だから母のエピソードがただの父の創作だと知った時。実際の母の、あまりにもあんまりな人となりを大叔母から聞いた時。私は凄まじい虚脱感とともにぶっ倒れて2日寝込んだ。3日だったかもしれない。父は私に平謝りで、以前よりさらに甘くなった。私もなんだか全てがどうでも良くなって。街で花屋でもやろうかな、なんて考えていた。でも私の心が逸るのをやめても、強がりで格好つけの言動は貼りついたようにそのままだった。


 その結果がこれだ。あの時決定的に乖離してしまった私の行動と、内面の。


「ごめんよ」


 眠るように四肢を投げ出すミナトゥをかき抱く。目は瞑らない。魔王を睨みつける。

 そして。









 ——大地が揺れた。

 魔王が警戒する。

 地面が爆発するように砕け、地下から岩食い長虫の群れが現れて魔王に襲い掛かかる。長虫のいくらかはラシュランに群がって黒い肉紐を噛みちぎり始めた。


「なっ……何!?」


 虫たちの反乱? ラシュランが魔王とやりあうのを見て、今なら迷宮を取り戻せると思った? 分からない。何が起きている?

 飛来した羽虫たちが猛烈な勢いで魔王の顔にたかっている。尾に焼き払われながら、爪に砕かれながら、しつこく攻撃にもなっていない攻撃を加える。煩わしそうに魔王が口を開いた。

 呆けている場合じゃない、これは。


 ミナトゥをひっ掴んでラシュランの背後へ転げ落ちる。直後、魔王の眼前を消し飛ばす大光線が放たれた。虫たちとともに、肉紐がまとめて消し飛ぶ。ノーシュの方角は無事。今だ。今しかない。


「全速でいけ!」


 ラシュランは自由になった。ただ軛から解き放たれただけではない。今やその背に守るべき脆弱な人間は居ないのだ。神のトップスピードが、攻撃を終えて前方の視界が開けたばかりの魔王の傷を抉る。近くに他の魔物は居ない。私が殺される前に、そいつを倒してくれ。

 魔王の尾が幾本切断された。3対6個の眼の半分が潰された。先程の返報とばかりに右前肢の靭帯をずたずたに割かれた魔王の口から耳障りな絶叫が響いた。いける。私たちは勝てる。血液から獣たちが生まれていくが、間に合うはずだ。ラシュランが魔王の頭部を吹き飛ばした。今。



 ——————————いや、違う。ラシュランが破壊したわけではない。負けを悟って自ら切り離した。何のために?

 宙に浮いた、無事だった3つの眼球がぎょろりとこちらを向いた。


 私を、見ていた。


「あっ……」


 何かを言う前に私の四肢から火の手が上がり。

 同時、ノーシュの方角から放たれた魔法が彗星のように、全ての障壁を消し飛ばしながら魔王の核を撃ち抜いた。

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