第13話 魔王③

 魔王、あれは生まれて幾日なのだろうか。あまり知性が発達しているようには見えない。だがそれでも、ラシュランをいくら攻撃しても無駄だということには気付いたようだった。巨体を物ともせぬ俊敏な機動で側面に回り込もうとする。奴の目が光るのに合わせてラシュランが翼で視線を切った。【生体発火】が不発に終わる。


「はあ、ふう。ものすごく頼りになりますね、神さま」


 ミナトゥが驚いている。私にとっても嬉しい誤算だった。召喚者が私でも神は神なのだ。ノーシュが魔力の自然回復を調整しながら火炎弾を撃ち続ける。何発かは魔王に向けて撃ったが回避するまでもないと無視されていた。


「分かっていたことですが、あちらも並の攻撃は通じませんね」


 ノーシュの尾が不機嫌に逆立つ。

 彼も大呪文を使えるはずだが、それも竜の上では望めない。絶えず移動する座標系において、魔法陣を描くことは出来ないのだ。ラシュランは巧みな機動で私達が振り落とされぬように飛行を行いその爪牙を振るった。とてつもない速度が出ているはずなのに、こちらの体への負担は耐えられぬほどではない。語られる通りの慈悲深い神なのだろう。

 攻撃を躱し切れなかった魔王の皮膚が裂け黒い血が流れた。効いている。だが地面に滴り落ちた血すら新たな眷属を生み出す呼び水となった。ぼこぼこと地面が泡立ち、獣のシルエットが立ち上がる。


「くそっ、きりがない」


 ノーシュが悪態を吐くのも無理からぬことだ。しかも少しずつではあるが、かの魔王の傷が治っていく。


「ぐっ——【剛力】」


 核をいくつか飲み込んで何とか確保した余剰魔力で身体強化の呪文を唱えた。私とノーシュとミナトゥの3人分、ラシュランの加護によってさらに肉体の強度が跳ね上がる。彼女の羽毛に強く掴まった。


「もっと……速く、動いて」


 直後、天地がぐわんとひっくり返る。さっきまで私達がいた所に無数の火柱が立っていた、と知覚できた時には魔王の背後に回り込んでいる。無数に枝分かれした尾が襲い掛かってくるのを、ラシュランの顎と前肢、風切る翼が引きちぎった。ノーシュもなんとか【サアルの翼】を唱えると、青い炎が雑魚を焼き滅ぼしながら尾たちを牽制する。


「レベルダウンから復調しました、が。それでも大きな戦力にはなれそうもない」


「十分だよ。ノーシュ、君は本当にすごい」


「神様の攻撃は効いてます! これはもしかして——」


「ああ、もしか……するね——」


 さらに数度の交錯。精霊神の不滅の肉体が一方的に魔王を傷つけていく。

 ここに至って、私達は油断していたのだろう。格下なりに代償は払った気でいた。死なない手段も殺す手段もなんとか用意できていると思っていた。だが、魔王というのは生まれたばかりであっても、そんなに甘い相手ではなかったのだと、私達は思い知ることになる。







「はーっ、けほっ……はーっ、はーっ……」


 戦いが始まって一公刻ハラあまり……まだ敵が倒れる様子がない。ラシュランの前肢が魔王の上顎を掴み、そのまま顔の上半分を引き剥がした。魔王の力の根源、闇色に輝く王核レガリアが露出する。


「ノーシュ!」


「——冥府獄炎の鍛えしは、【バウザニルの処刑の槍】!!」


 タイミングを合わせて今のノーシュが振るえる最高の一点火力を撃ち込んだ、だが届かない。吹き出した血が新たな眷属となって槍の通り道を塞ぎ、熱を体内に押しとどめてどろどろに溶けた。そして幾度目かも分からない。王核レガリアが、輝く——!


「くっ……!」


 奴の肉体が再生していく。

 六つの眼が私に狙いを定めるのをラシュランの機動で回避。元より長期戦になるとは思っていた。精霊神の権能によって回復の効率を高め、魔力をダンジョン最深部の大気から補充する。肉体的な疲労と折り合いをつけられる体勢を築けてはいる、だが【生体発火】を常に警戒しながら超高速で飛行する竜の背に捕まっているのだ。精神は摩耗するし、ただでさえ私の内魔力はぐちゃぐちゃになっている。この調子で戦って魔王が斃れるまで保つのだろうか。そもそも私たちの勝利条件は、単純な魔王の打倒ではないというのに。


「埒が明かない! シタンにここまでお膳立てさせておいて」


「ノーシュ……焦……らないで」


 焦っているのは私の方な気がする。というか、こんなコンディションでも格好をつけようとしてしまうのは本当にアホだと思う。


「——必要なのは王核を守る余地のない火力、中央統一難度10の大呪文です。今のままでは魔法陣を刻めない、僕は神の背から下りねばなりません」


「でも、それは」


 私は今なお恐るべき勢いでラシュランに魔力を吸われている。魔王の至近から離れる事が出来ない。それはそのままラシュランから降りられないという事だ。ノーシュと分断される。

 世界に魔法陣を刻んで——それは移動を捨てることを意味する。

 呪文詠唱によって魂を適化し——それは他の術で魔物を迎撃できないことを意味する。

 励起の術を使用——大呪文を撃った後は暫くレベルが低下する。


 それだけのハードルを越えて術を成立させたところで、こちらと連携することなど——。


「ノーシュ、やれるのですか?」


 ミナトゥが口を開いた。彼女の表情にも濃い疲労の色がにじんでいる。無理もないだろう、窖人ドワーフでもなければ迷宮探索の経験がない者が長時間地下洞窟に籠って索敵を続けるのは辛いはずだ。

 可能なのかを問う彼女の表情は、私に対する物とはまた違うようだった。ノーシュを知る者だからこそ可能な、だから確認だ、これは。


「やれますよ。達人ですからね」


 猫魔導は杖を握り、口角を歪めた。

 主人に実力を認められていることが嬉しくて仕方ないといった様子で目を細めると、ラシュランの背を蹴って中空に身を躍らせる。


「実戦で使えない呪文を、使えるとは言いません」


 君が大呪文を使えると私に紹介したのはミナトゥだった気がするけど。いずれにせよカッコいい奴だな。実力に裏打ちされた自信というやつだろう。私には無い物だから、なんだか眩しかった。

 猫魔導が上昇気流を操って、マントをはためかせながら降下していく。傍に迫っていた魔物が唐突に発火した。ノーシュの攻撃ではない。


「陽炎で視界を歪めて魔王の攻撃を誘導している……のだと思います。あまり大きな範囲を誤魔化すことはできないから、パーティで戦っている時には使わないのだとか」


 え、そんなこと出来んの彼。ほんとに天才じゃん。


「実は単騎ソロ仕様の攻術師なんですよ、ノーシュ」


 そういう類型アーキタイプがあるみたいな言い方やめようよ。ないでしょ。彼だけだよ。流石に完全に姿を消すことは出来ないらしく、地上へ降りるノーシュの下へわらわらと敵が集まってくる。


「掃滅の神話を再現しよう。我が激憤にて槌を振るい、熱持てる一対の翼を鍛え上げよう。ゼルムの光輝を撃ち落とし、ディシェナの尖兵のことごとくを焼き滅ぼす、即ちサアルの翼なり!」


 青い双翼に纏わりつかれて次々と魔物の肉体が燃えていく。着地したノーシュへといくつもの火だるまが殺到した。大丈夫なのだろうか、大丈夫なのだろう。むしろ状況は彼を失ったこちら側の方が厳しいんじゃないだろうか、そう思ってしまうほど杖を振るうノーシュは頼もしく、そしてミナトゥと私が頼りなかった。


「さて」


 爆炎とともに地が砕けた。跳ね飛ばされた獣たちが燃え崩れる。それを尻目に彼は地に杖を突き立てて魔法を行使した。炎の壁が吹き上がる。


「やってみましょうか」



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