第8話 身の丈に合わぬ

 昔の話だ。

 西方の独立自治都市群にはキチェという港町がある。その郊外にある一軒家で、私ことシタン・ネルサは生を受けた。愛情深いが少し抜けたところのあるきこりの父と、2人暮らしだった。

 私は力強く斧を振るう父が好きだ。彼は1人娘が頼めば大体のことは聞いてくれるので、仕事中にもかかわらず腕にぶら下がって困らせてしまったことも1度や2度ではない。私が生まれる前から木を伐り続けていたという父の動きは洗練されていて、一種の美しさがあった。

 街に出て他の子供達と遊んでいたある時、ふと自分たちの親の話になった。私は自分の父がいかに毛むくじゃらで腕が太くて、そしていかに娘に甘くいかに木を伐るのが得意なのかを滔々と、かつ上機嫌に語ったものだ。

 そんな時、鰓人セルキーのヒュナがこう言った。


『そんなにお父さんが男らしいんだったらシタンはきっとお母さんに似たんだね』


 がつんと衝撃を受けた。お母さん。そういえば、他の子の家には大抵お母さんがいる。

 なぜうちには父しか居ないのかが気になって、その日は帰るまで上の空だった。


『ねえ、お父さん。どうしてうちの家にはお母さんがいないのかな』


 そう聞かれた父は少し困った顔をして、ちらりと本棚に目をやると、観念したように話し始めた。


『実はな、シタン。お前の母さんは——』


 結論から言えばこの時父の吐いた言葉は真っ赤な嘘で、我が家の本棚で埃を被っていた英雄譚の絵物語の盗用だ。真実を聞けば——『お前の母親は別の男を作り家族を捨てて南海諸島で遊び回っている』などと聞けば、幼い私は最悪な気分になって泣き喚いたはずだから、あれは母に愛されなかったということを悟らせぬようにとの、不器用な父の優しさだったのかもしれないが、ともあれ。


 あの時私の中に、臆病で慎重な『私』とは別の、もう1人のシタンが生まれたのだ。



*****



 攻術士が炎を操るように、占術師が水を操るように。

 召喚師と縁深い地のエレメントは茨だ。生成した蔦を手掛かり足掛かりに私たちは30公米メタほどの距離を降下し、26層を抜けた。


「——さっき、蜘蛛に入り込まれた時」


 ミナトゥが話し始めた。努めて聞かぬようにしていたことを。


「見ちゃいました。兄が……悪魔神ディシェナの黒い火に飲まれていくのを」


「そうか」


 一抹の望みを抱いてはいた。それも潰えた。

 ラグドゥは死んだのだ。


「何も見ていないような、虚ろな目をしていました。暗い色の宝玉を抱えて……」


「君の兄の霊魂が」


 追い討ちになるかもしれないけど、言わずにはいられなかった。


「どうなり果てていても、今度はなよ。君には死んで欲しくない」


 この気持ちは真実だ。銀の髪の少女が薄く微笑んだ。ノーシュがこちらを睨む。


「貴女が引き返すと言えば、お嬢様はそうした筈です。こんな危険に身を晒すこともなかった」


「ノーシュ、そんな言い方は」


「私が守るさ」


 これはでたらめだ。ここまで来てしまえば私が正面から一対一で勝てる魔物の方が少ないかもしれない。

 ミナトゥの手首から伸びる金鎖ダウジングは穴の底を指し示し続けている。足元からの嫌な気配が、だんだんと濃くなっていった。

 召喚師は魔法職の中でも群を抜いて実力の誤魔化しが効くクラスだけど、それは全くミナトゥを危険に晒していい理由にはならない。それなのに、私の頭はずっと考え続けている。

 迷宮をごっそりと削り取る力を持つ、魔王。ほとんどの剣も魔法も通さぬ、神の如き存在位階を誇る外法の産物。


 魔王殺し四英雄、大魔導アンブロエールは森人エルフの長命をいかな手段によってか実質無限に引き伸ばし、遥か神代から研鑽を続けていた魔法で魔王を討ったのだという。

 羊の角の大神官ネリは教皇府の集めた信仰を力に変える執行杖の力を100年分解放することで、レベルを爆発的に引き上げて魔王と渡り合った。

 砂漠の民の大剣士ジンはカスタマイズした屍術の一種を用いて多くの屍の上に外法の剣を磨き上げ、ありとあらゆる現象と物質を切断する絶後の剣技を獲得し、以て魔王と対峙した。

 大騎士ハイトネットは狂気の域まで精度を高めた【魔導撹乱】によって出力で数十倍は勝る敵の魔法を打ち消しながら相棒の竜と共に攻撃を続け、三日三晩に渡る戦いの末に勝利を掴んだのだという。

 どれもこれも参考にならない。規格外の存在とその仲間たちが、規格外の実力と不屈の魂と、そして幸運に助けられて打倒した。そんな敵を。


 私たち3人で、倒す方法。












*****



 壁に埋まった大蜘蛛の死骸、その潰れた腹部がわずかに動いた。

 否。内側で何かが身じろぎした、と言った方が正しい。やがてそれは分厚い腹腔を突き破り、そのままべしゃりと地面に落ちた。

 奇跡的に砕けずに済んだ、かの蜘蛛の卵が孵化したのだろうか。

 そうではない。


 外気に激しくむせ込んで、五本の指の付いた掌で体を支え、身を起こす。薄い肩に、滑らかな褐色の肌。服は着ておらず、大きな目が挑戦的に釣り上がっている。

 その『何か』は、人間の、幼い少女の姿をしていた。





————————————————————




[魔王殺し四英雄]

かつて神に伍する超存在、『魔王』を打倒した伝説的な冒険者たち。魔王と戦い『王核レガリア』を簒奪する以前より魂の位階が人類の限界、レベル8に達していた。森人エルフ蹄人フォーン爬人レプタ並人ヒームに1人ずつ現存する。

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