第6話 シタンの悪癖

「魔王……では、それでは…………」


 ミナトゥの顔が青くなる。ノーシュと私は俯いた。

 教団は儀式を完遂したはずだ。彼女の兄ラグドゥは――少なくとも彼女の知る兄としては――もはやこの世にはいないだろう。

 ミナトゥは愚かな娘ではない。これ以上進んでも兄に別れを告げて無事に帰れる公算すら低いと、きっと感じている。どころか、この3人では最下層まで辿り着く事が出来るかどうか。

 いや、初めからラグドゥが生きている保証などないと知っていて、命の危険すらある迷宮探索に乗り出したのだ。よほど兄が大切なのだろう。だがそんな彼女とて、絶望的な賭けの為にノーシュや私の命を危険に晒すことを好まないはずだ。


「……引き返しましょう。地上へ――この異変を伝えなければ」


 震える声。

 肉親を救う為に最大限の手を打ち、旅の行方に最も気を揉んでいながら勤めて明るく、そして疑うことを知らない。そんなミナトゥのことを気に入っている自覚はある。


 だからこそ、彼女を危険に晒すべきではない。

 口元まで出かかった言葉を押しとどめた。

 にもかかわらず。


 彼女が弾かれるようにこちらを見た。

 今何を言いかけたのかと、言外に訴えている。星空のようなその瞳が一瞬煌めいて、その後何かを振り払うように揺れた。

 心の底で期待しているのだ。私が彼女の予想を裏切ることを。そして誇りあるミナトゥはその期待を恥じたのだろう。


 気づけば声に出していた。


「お兄さんの事を、聞かせてもらえるかい?」


 やめろ。情が沸いた相手ミナトゥになら、今回ばかりは正しい選択ができるはずだろう。悪癖だ。またそうやって、お前は。


「兄は、兄は――」


 彼女が目を丸くするが、やがて声を絞り出す。


「私たち兄妹は、義母や腹違いの兄たちから心無い仕打ちを受けました。一つ一つは小さなものでしたが、降り積もったそれは私の心を蝕んでいった。兄が……ラグドゥだけが私の支えでした」


 これまでの不安が決壊したかのようにミナトゥの眼からぼろぼろと涙が零れた。


「彼は――私に教えてくれた、困難に立ち向かうことを。きょうだいの誰よりも強くなって、家族に私たちの居場所を認めさせた」


「……今度は君が、彼を助けたいんだね」


 ノーシュが「待て」という表情をしたが、既に私はミナトゥがどこへともなく彷徨わせた手をがしりと握って胸元に引き寄せていた。

 ミナトゥは愚かな娘ではない、だが与えられた判断材料が間違っていたらどうだろうか。剣も魔法も2流の私を、英雄だと思い込んでいたら、きっとこの岐路を誤ってしまう。

 それだけは駄目だ。駄目なのに。


「任せろ。君を兄貴のところまで送り届けてやる」


 口が勝手に動いた。ああ、駄目なんだ、ミナトゥ。私を信用するな。そんな風に、砂漠で一滴の水を見つけたような、絶望の中で救いを見つけたような目をしないでくれ。私には何もない。この振る舞いも何もかも、偽物なのだから。


 呪わしい衝動が私を駆り立てる。

 冒険の匂いがした。

 何よりも嫌いな、冒険の。



*****



 暗霞のルストーヴェ・ガナンこと俺は依頼人に失敗を報告し、ここギルドの受付に併設された食堂で顔見知りの冒険者と近況の話をしていた。


「そりゃ本当かよルストーヴェ、流石のシタンとはいえ魔法職だろ」


「大マジにマジだぜ。3度――」


 コインを取り出して投げる。その程度で目の前の猫人シャパル――コーマは俺から目を離したりはしない、だが少し意識を散らせれば。

 気配を消して背後に回り込みナイフの鞘を首筋に押し当てる。

 テーブルにコインが落ちて回転した。


「こんな具合に仕掛けたが、全て対応した」


「てめーはっ! 肝が冷えるだろうが、格下を虐めて楽しいってのか、おお!?」


 コーマがテーブルにコップを叩きつけて唾を散らす。悪かった、と謝って席に着いた。

 聞き耳を立てていた周囲からどよめきが漏れる。あの見栄えのする風貌にいかなる危機にも動揺を見せない不屈の精神と優れた実力を兼ね備えたシタン・ネルサはこのギルドでちょっとした高嶺の花だった。男女を問わず人気があり、興味を持たれている。


「遠目にゃ言われてる程のもんはないと思ってたが、ありゃ本物だな。女にしとくにゃ惜しい」


「ちょっと、そういう言い方はどうなの?」


 女性陣からの野次をおざなりにやり過ごして昼食を口に入れる。


「というかシタンとやりあったのかよ。どういう経緯でだ?」


「秘密だ」


 コーマは「まあそりゃそうか」と言いながら豆粥を啜ったが、まだ熱かったのか顔をしかめて杖の手入れを始めた。そんな時分だった。


「ギルド長はいるか!」


 けたたましい音を立てて扉を開く奴が俺は嫌いだ。露骨に不機嫌な目を向けると、鎧に身を包んだ鋭い双眸の並人ヒームの男が駆け込んできたところだった。珍妙な形状の槍を背負っている。

 ぞっとするような美形、というのが最初の印象だ。顔のパーツが整いすぎており、遠くを見るような瞳も相まっておよそ現実感がない。鎧は青みがかった黒色で、ドラゴンの鱗を象っているようだった。

 コーマが何か驚いたように口をパクパクさせている。


「何だてめえは。昼時に騒々しいやつだな」


 俺がふっかけると、若造は尊大に鼻を鳴らした。


「冒険者でありながらこの鎧を知らん者がいるとはな……いや、今はそんな場合ではない。急ぎの用だ、取り次いで貰おう」


 そう言って登録証プレートをカウンターに叩きつけるように置く。そこに刻まれた星の数は――9つ。本来人にありえない存在級位。それは魔王を討伐し、王核レガリアを奪い取った者の証。

 知らず、息を飲む。


「オレはエレアーデの占術師にして騎士、魔王討伐者。ハイトネット・ギャバレー」


 冒険者たちが一斉にざわついた。こんな場所に伝説的な騎士が訪れたことに。そして、次いで彼が告げた衝撃的な言葉に。


「先日【託宣】があった。ここサイレンフォイルに魔王が現れたとな。迷宮の冒険者たちを引き上げさせろ。ここからは、オレと」


 扉の外がにわかに暗くなり、暴風が吹き荒ぶ。外に駆け出して上空を見ると、それは羽ばたきだった。小山ほどもある巨竜が翼を広げ、サイレンフォイル都市のはずれに降り立つ。十分に離れているにも関わらず着地の衝撃が伝わり、地が揺れた。大騎士ハイトネットは心を通わせたドラゴンと共に旅をしているのだという。紺碧の翼に雷を纏う、あれこそがそうなのか。


「雷弧のグリザリオンに任せておけ」

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