第5話 異変

 地下20層を超えるとダンジョンの道幅も広がっている。生息している魔物のサイズが中層とは大幅に異なっているようだった。今私たちがいる通路も例外ではなく、10人ほどが手をつないで歩けそうだ。


 やがて広い空間に出た。壁はところどころ繊維質の素材で固められており、天井近くでは小さな蝙蝠型の魔物が巣を作っている。


「こんなにも広大な空洞がいくつも張り巡らされているなんて……」


「長い年月をかけて形作られたんだろうね。さあ、ここからは戦闘を避けることがこれまで以上に重要になる。頼んだよ、ミナトゥ」


 占術師の索敵。気配を隠す気がない魔物はある程度弾けるはずだ。そして探知漏れの相手をするのは――


「サアルの槌の激情よ、僕の杖に宿れ。これより放たれるは戦乱と鍛剣の先触れ。稲妻すら撃ち落とし、魂すら貪り尽くす大いなる神々の炎!」


 呪言が魂を拡張する。達人の7つ星に詠唱を加え難度8。巨鳥のシルエットを形作る蒼炎が、気配を殺して背後に迫りつつあった象虫兵カーキュリオンたちをみるみる飲み込んでいった。一体一体が家ほどもある虫の群れを燃やし尽くしてなお、ノーシュは余裕がありそうだった。

 神代の逸話を現象として借り受ける上級魔法、【サアルの翼】。かつて世界がまだ柔らかかった頃、偉大な存在の行いは再現可能な魔法として世界を形作る法則の一部に刻まれた。火の神サアルが数千の悪鬼を屠ったというそれは、人の身で使ってさえこれほどの破壊をもたらす。魔力核まで消し飛ばしてしまうので一切のうまみがないが文句は言うまい。


「視界が開けてて的がでかいと私の出る幕がないね。近づかれる前に終わっちゃう」


 ……なんて、そんな都合良くもいかないか。


「【剛力】」


 ミナトゥとノーシュを抱いて、跳ぶ。攻術士が火を統べるように、地のエレメントを操る召喚師は地中に潜む気配に少しだけ敏感だ。さっきまで私たちがいた地面を突き破って現れた大質量の岩食い長虫が戻ってきたサアルの翼にやられてのたうち回る。


「馬鹿な、神代の炎に抵抗した!」


 ノーシュがその大きな目を見開いた。青い炎に包まれた状態で、螺旋状に開いた口吻から高速の岩塊が吐き出される。炎を纏う岩の弾丸は凶悪で、既に呼び出してあった精霊たちを犠牲にしても止まらない。


「【爆破】!!」


 ノーシュの攻術が間に合い、すんでの所で岩塊を吹き飛ばした、だが私たちも無傷で済まず、礫のいくらかを肉体に受けた。とりわけミナトゥが重傷で、腕が折れている。痛みに声も出ないといった様子。


「悪い、今からもっと痛むよ」


 患部に触れ【再生】の魔法をかける。

 破壊された体組織の修復。骨と骨が繋がろうと軋む音。


「わぎゃー! いたぁぁい痛い痛いいだだだむー! むー!」


 めちゃくちゃ泣いていた。無理もない、私も最初に骨をやった時はそんな感じだった気がする。布を噛ませて大人しくなるまで待った。

 長虫が魔法に抵抗したのはそれこそ一瞬。既にやつは燃え尽きて、そこには深い穴があるだけだ。けれど。


「もしあれが群れで襲ってきたら、私たちに捌けるだろうか」


 そう訊くと、二人は難しい顔をした。


「……おかしいんだ。急に敵が強くなりすぎてる。深層とはいえ入口程度であんな代物に鉢合わせたなんて報告は聞いたことがない」


 そうだ。鋼蜘蛛メトラニエの群れが13層に現れたことだって。他にもちらほら、魔物たちを本来の生息域よりわずかに浅い層で見かけたりはしなかったか。

 ミナトゥの氷球は依然として下方を指している。ぞっとしない想像が鎌首をもたげた。

 単にダンジョンの中心ボスの力が増大し、強力な魔物が増えただけならまだいい。だが、そうではないような気がした。杞憂であればいいのだけれど。



*****



「【再生】の魔法は神官の【回復】と似たような役割をこなせるんだけど、一度戦闘不能になったら戦線復帰までの隙の大きさが全然違うからあんまり便利じゃないんだ。本職との差だね」


 あと、結構魔力の消費が激しい。

 まだ涙目のミナトゥの腕をさすりながら空洞の隅を歩く。ついに彼女を守れなかった。


「……暫く進んでもお坊ちゃまがいらっしゃらないようでしたら、一旦地上に戻って戦力を増やすべきかもしれません」


 ミナトゥの身が心配なのだろう、ノーシュがそう提案する。私も同感だった。


「そうかも、知れませんね。すみません、足手まといになってしまって……」


「ミナトゥは十分役割を果たしているよ。及ばないのは、私たち3人の力だ」


 パーティで最も多くの役割を兼任しているのは私だが、最も重要度が低いのも私だ。占術師の探知と攻術師の火力の隙間を埋める存在でしかない。

 いくつかの群れとの接敵を躱しつつ、なだらかな坂を下りてさらに深層へ。


 22層に入って間もなく、獣のような咆哮が轟いた。

 大気が震え、洞窟の壁の繊維質に覆われていない部分からパラパラと土が落ちた。


「……私たちに接近しつつあった魔物が、今の吠え声から逃げるようにして離れていきます。いえ、それよりも――これ、速い! 走って!」


「どっちに!?」


 ミナトゥが何かを探知した。だが、その何かが周囲に現れる兆候はない。音も、振動も、その肉球と巧みな体重移動が消していた。

 気づいた時には既に壁を蹴っていたその影が、私たちに飛びかかっている! ノーシュが火炎弾で爆撃するが、とてつもなく速く捉えきれない。


「ノーシュは詠唱を! 私がっ」


 豹頭の精霊カルカラメリアを呼び出し【剛力】をかける。2体がぶつかり合い一瞬の膠着。精霊の喉首を食い破ったそいつは、獅子の頭に蠍の尾。サイレンフォイル内で今まで発見されたどの魔物とも違う。既に駆け出していた私は、魔法強化した膂力を乗せた剣をそいつの足先に深く突き刺した。


「GhaAAAAAAAAAAAAAA!!!」


 獅子が痛みに狂乱し、私を前足で跳ね飛ばす。剣は手放した。そのまま壁に叩きつけられる。


「シタンさん!」


「がっ…………はぁッ……」


 神経の多い足先に突き刺さった剣を抜こうと暴れる獅子の前で、ノーシュが詠唱を終え、燃え滾る錐形の槍がそいつを串刺しにした。穿たれた穴から体内を燃やし尽くす【バウザニルの処刑の槍】。赤く照らされた煙を体中の穴から吹き出し、蠍獅子が絶命する。私の剣が溶けないように、ミナトゥが水縛りの触手で回収してくれた。


「大丈夫ですか、シタンさん!」


 ミナトゥに抱き起されながら、私の頭はフル回転していた。

 消えたミナトゥの兄、遷移する魔物の生息圏、非合法の依頼をサイレンフォイル最強の蹄人フォーンに持ち掛けミナトゥの命を狙った何者か、そして虫どもの迷宮に唐突に表れた、蠍尾の獅子。


 かつて辺境の迷宮都市に訪れた事件、あわや世界を崩壊させようとした災厄が脳裏を過る。

 先程浮かびかけた嫌な想像が急激に形を成していく。


「ミナトゥ、ノーシュ、聞いてほしい」


「はい、なんなりと!」


「中層以降これまでは私たちはほとんど虫型の魔物にしか遭遇してこなかった。これは偶然じゃない。ダンジョンには中心ボスとなる特別に強い魔物がいて、そいつの眷属が大いに幅を利かせている。食物連鎖の上部に居座っているのが虫ばかりなら、ボスも虫型。おそらくは地蜘蛛の魔物だろうと言われていた」


 大空洞の壁や天井を覆う繊維質は、このダンジョンがまだここまで深くなかった頃にボスが吐いた糸だろう。ボスやその眷属が地に掘った穴を糸で固めることで、サイレンフォイル地下迷宮はより地下へと拡張されていった。


「でも、それでは今の獅子型の魔物は……」


「多分ボスが交代したんだ。だから虫たちは住処を追われて、より上層へと昇ってきている」


「迷宮のボスが交代!? そんな事が……」


「冒険者なら知ってるやつも多いけど、数年前に大騎士ハイトネットが攻略した迷宮の主がそうだった。旧い血筋を依代にして、より強力なボスモンスターを人為的に作り出そうとするやつらがいる。ボスから迷宮そのものを簒奪して、邪神の復活の礎を作ろうとしている」


 教団、と呼ばれている。ゼルム天空神の教えを認めず、混沌を望むものたち。


「より強力な……ですか。聞いたことがあります。一定以上の力を持ったボスは魔物の軍勢を率い、人界への侵攻を始めると」


「『王核レガリア』と呼ばれる巨大な魔力核を持ったそいつは、レベルにして10以上を数え、今は無き神々と同等の存在質を持つ。ほとんどの物理・魔法干渉を受け付けず、古の時代では討伐されるまでに人類の数が半減したことすらあるという」


 魔王、と呼ばれている。




――――――――――――――――――――



[ノーシュ・ユユ]

攻術師

レベル:☆☆☆☆☆☆★

主な技能:【炎の矢】【加速】【サアルの翼】【バウザニルの処刑の槍】

二股の尾を持つ黒白毛の猫人シャパル、27歳。凄まじい破壊の力を操る達人猫魔導であり、少年時代からミナトゥに仕えていた。猫のことは下等生物として見下しているので、ルストーヴェに猫呼ばわりされた時も少し怒っていた。

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