第4話 ネルネル

 巨大な蛾の胸を【茨の矢】が貫いた。15層あたりにちらほらと生息する毒蛾。鱗粉を浴びて少し装備がボロくなってしまったが、皮膚の炎症は【再生】の魔法で直す。


「そろそろだね」


 そのまま進むと、燐光の漏れる小部屋に行き当たった。部屋の中心には古代文字の刻まれた石柱モノリスが鎮座しており、それが光を放っている。ミナトゥは初めて見るものに目を輝かせていた。

 大地にこうして点々と埋まっている旧文明の遺産はどういうわけか魔物を寄せ付けず、ダンジョン内で掘り出されれば休憩所のような役割を果たす。絶対に安全というわけではないが、見張りつきで睡眠を取る程度には困らないはずだ。


「んで、ミナトゥが狙われる心当たりとかあるの?」


 油で固められたマズい携帯食を齧りながら二人に気になっていたことを聞いてみる。ルストーヴェが報酬は良かったと言っていたのだ。冒険者にとっての禁忌を犯すことも厭わず引き受けた、きっとよほどの金を積まれたに違いない。


「どう見ても君、良い所の子じゃん。その兄貴を捜すってのなら常識的に考えてもう少しマシな規模の捜索隊が組まれるはずだし、それが妹と従者のコンビにどこの馬の骨とも知れない冒険者ってのはあんまり自然じゃないよね。ノーシュが達人であることを考えても」


 自分の隠し事は置いておいていけしゃあしゃあと口にしてみる。雇われた時点では聞くつもりは別になかったんだけど、あんなことがあった以上質問しないのも不自然に思えた。


「そんな、どこの馬の骨とも知れないだなんて! シタンさんはかっこいいです。フロストバルタ騎士英雄譚の女傭兵さんみたい」


「そう大したものじゃない、さっきも君の心話がなければ危なかった。助かったよ」


 罪悪感を覚えるほどの眩しい信頼に、自身の恵まれた見てくれを活かして爽やかな笑顔で答える。ミナトゥの頬に少し朱が差し「はわわ……」という声が漏れる。ノーシュが主人に近づく悪い虫を見るような視線を投げかけてきた。


「警戒するなよノーシュ。私にそっちの気はないさ」


 というか、私がおもによからぬ感情を抱いている対象は君なんだよね。言わないけどね。


 実際は危なかったどころではない。完全にルストーヴェの照準タゲは私に移っていたし、あれがなかったらどう考えても死んでいた。我ながら大層な面の皮の厚さだと思う。

 ミナトゥは表情を引き締めると、私の質問に答えた。


「狙われた理由ですが、私には心当たりがありません。……私と兄は妾腹の子ではあるのですが、それだけに政争に関わることもないですし、何か罪を犯したという事実もない。ノーシュは何か、思い当たる節はありませんか?」


 ああ、兄妹ともにそんなに大事にされてないから彼女自身が捜しに来たのか。ずいぶんとひどい話だが今まで口にしなかったことも含め納得が行った。水を向けられたノーシュが口を開く。


「お坊ちゃま……ラグドゥ様が失踪した理由は分かっておりません。彼が何者かの陰謀に巻き込まれており、その何者かが不確定要素を排するために私たちに追っ手を差し向けた、という事は考えられないでしょうか」


「陰謀、ねえ。迷宮地下に良家の子弟を送り込んで進む陰謀かぁ……」


 何も思いつかない。


「兄が特別な技能を持っているというわけでもないのです。レベルにして5相当の、普通の剣士です」


 優秀ではある。しかしここより下層でその強さだったら生存は望み薄だな、と思った。彼女たちも分かっているだろう。


「もういい時間だ。みんな疲弊しているだろうし、見張りを出しておくから眠ろう。おいで、《タロン》」


 六本足の犬の精霊を召喚し、蜘蛛から抜き取った魔力核をいくつか食わせる。精製前の粗悪品だが、気配に反応して私たちを起こすだけの精霊を1晩持たせる程度はできるだろう。簡易毛布に包まると、すぐに眠りに落ちた。




*****



 普段は専らボロが出るのを恐れて一匹狼を気取っている私だけれど、一人だけ全てを吐き出せる友人がいる。彼女は私が実力を粉飾して分不相応な評判を得ていることを知っている、たぶんこの世で唯一の人間だ。

 そろそろ2年の付き合いになる文通友達ペンフレンドで、本名は分からない。手紙の文面では『リザ』と名乗っており、少し年上らしかった。

 なぜ急にこんな話をしたのかと言うと、夢に出てきたのである。

 妙な話だ。顔も知らない相手なのに。


「それで、彼があたしに求めてるのって女性的な可愛らしさとかじゃないんですよ。それが分かってるとあたしもなんか、期待に応えて頼りになる相棒としての振る舞いをしちゃうんですけど」


 いつもの話題だ。リザも冒険者をやっており、虚飾にまみれた私と一緒にするのは悪い気がするけど、ともあれこういう話で意気投合して仲良くなった。彼女は現在思いを寄せる男性とパーティを組んでいるのだが、幻滅されるのが怖くてなかなか告白する勇気が持てないのだそうだ。


「私だってキャピキャピフリフリしたかわいい服着たり砂糖菓子をドカ食いしたりしたいんですよねー。あとぬいぐるみとか。でも舐められそうって思うとそういう欲の発散に踏み切れないっていうかぁ。ネルネルもそういうことあるでしょ?」


 ネルネルとかいう恥ずかしい呼称は私のペンネームだ。


「あー、わかるわかる。なんか女ってだけでちょっと軽く見てくる連中がいんだよね。どうせいざとなったら女なんてキャーキャー騒いで何もしないんだろ? みたいなごろつきども相手に弱みを見せたくないっていうか。いや別に弱みでも何でもないんだけどさ。あるじゃんそういうの」


「分かってくれるのはネルネルだけですよ~」


 リザは機嫌が良さそうに私に抱き着いてきた。ショートの髪がふわりと広がり、女の子の香りが鼻をくすぐる。目の前にいる並人ヒームの姿は完全に私の想像であり、実際どんな人種なのかはわからない。匿名での交流だ。

 なんなんだろうなこれ、好き勝手に話せる唯一の相手であるところのリザ。彼女への精神的依存がここ2年の交流で高まり過ぎていたんだろうか。例えばミナトゥが私に向ける好意の視線は私の強さを信じているからこそであり、嬉しさやそれに伴う罪悪感はあるが安らぎはない。

 夢とは分かっているが、すべてをさらけ出せる相手との抱擁はなんだか温かい気持ちになってくる。


「でももっと若い間にかわいい服着て遊んどきゃ良かったよね」


「あ? お前は十分若いだろうが」


 冒険者としての口調はこっちなんだろうか。怒られてしまった。声も低くなってちょっと怖い。

 抱き着かれた姿勢はそのままだが。

 いや、でも私だってもうそういう年齢ではないでしょ。見た目が大人っぽいからなおさら適齢期短いし。許してよ。

 どう応えようか迷っていると、少し離れた場所にいつの間にかミナトゥが現れているのに気づいた。


「あの……シタンさん、その方は一体――」


 本名をバラすな。匿名の付き合いだって言ってるでしょうが。いや夢だからいいのか。


「って、あ! 私また勝手に人の夢に! 心話のパスがまだ……」


「えっ待って」


 不穏なことを言うのをやめろ。占術師ってそういうことあるの? どっから聞いてた!?


「かわいい恰好したいんですか……?」


 おっかなびっくりといった様子。失望させただろうか。


「したくない」


 最低の返答だと思う。

 いくらなんでももう少しマシな返しがあるだろう、と思った瞬間目が覚めた。石柱モノリスの光が月のように優しく周囲を照らしている。


 ミナトゥはまだ寝ているようだった。

 就寝してからそう時間もたっていない。私は体を起こすと、見張りに立っている精霊犬タロンの傍に寄って頭を撫でた。迷惑そうな顔をされた。

 ほんのりブルーな気分だった。




 翌朝になって3人で朝食を取る。相変わらずミナトゥの私を見る視線には曇りのない信頼があり、ぎくしゃくした様子は見られない。

 昨晩のあれは彼女の出現まで含めて単なる夢の一部だったのだろうと結論付けて、私たちは迷宮の探索を再開した。

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