第3話 山羊角の襲撃者

 つまり、ミナトゥの占いは当たっていたわけだ。退けば鉢合わせる。進めば追いつかれる。挟撃の形にならなかったのは幸いか。

 サイレンフォイル最速の蹄人フォーン、隠形の達人にして高原の山羊角の民。暗霞あんかのルストーヴェと人は呼ぶ。


 迷宮都市の擁する2人のレベル7、その1人。


『こいつは魔法職じゃない、屍術は奇襲程度だ。本領はナイフと縮地、すぐに気配が消えるし風のように速い。ノーシュ、私に【加速】を』


 ミナトゥの繋いだ【心話】のパスに語りかける。それと並行して奴にも意識を向け続ける。私は慎重に、ノーシュの前に出た。


「今のが見破られた時点で失敗だよ。退きなルストーヴェ、あんたの負けだ」


 これはハッタリだ。数の差はある。数の差があるだけ。こちらの言葉に反応する様子はない。話を続ける。


「誰の差し金かを吐けばギルドへの告げ口は勘弁してやってもいい。雇い主とはあんたが話をつけるんだね」


 同じ達人でも大規模攻撃に秀でた攻術師ノーシュは対人に於いて少なくとも暗殺者ルストーヴェに劣り、私はその差を埋められるほど強くはない。占術師ミナトゥの感知網も格が違いすぎて役には立たないだろう。心話に注力して貰いつつ、託宣が降ってくる幸運に期待するほかない。


 ――何の兆候もなかった。


 私の言葉に応じるつもりであるかのようにルストーヴェの口元の筋肉が動き、そしてそれが声にならぬうちに、私の剣と彼のナイフが交差していた。あまりにも自然なフェイント。


 受けられたのは単なる幸運だ。山が当たった。いかに【加速】の呪文を受け、私自身の【剛力】で膂力を補強しようと、暗霞のルストーヴェの速度に、完全には知覚が追い付かないのだ。その二つ名の通りの霞むような高速移動で跳ね回ってノーシュの魔法を躱し、そしてふっと気配が消える。

 ごく短い、しかし神経を焦がす時間。死への秒読みが始まっているのに誰もが気づいている。誰が狙われるのか。恥知らずな事を言わせてもらえば、おそらくはルストーヴェも他のサイレンフォイルの冒険者同様、シタン・ネルサを過大評価している。先程はノーシュを狙っていた。そして本来の殺害対象はミナトゥである。

 私とノーシュ、どちらも警戒を切らしたら死ぬことを理解している。思考の並列処理は魔法職のお家芸だが、魔法に割いた思考リソースでルストーヴェに反応することなど出来はしない。逆を言えば、ルストーヴェが誰かを刺した瞬間に最も厄介な動きをするのは――


「そこ!」


 再び金属音。ノーシュに迫りつつあったナイフが私の剣を弾く。3対1で刺し違えるわけにはいかない以上、奴も受けざるを得ない。

 私を刺殺した瞬間、ノーシュが私ごと彼を焼くのは想像に難くないはずだ。ミナトゥを刺せば私とノーシュの二人が動く。読みが当たった格好。だが――それも限界だ。


「言ったろ。無駄だって」


 そう言いながら、内心でどの口が、と自嘲する。声が震えないようにするので精いっぱいだ。次は受けられない。


「【炎の矢】!」


 ノーシュもそれは分かっているのだろう。攻勢に移ったことで隠形の切れたルストーヴェに無数の火炎弾を撃ち込んだ。ミナトゥの水魔法は炎と干渉するので使えない。こんな時に言うのもなんだが、あまり相性のよくない主従なのではないか。前衛いないし。


 激しい攻撃もむなしく、また奴の気配が消えた。

 これ以上はない。次があっても絶対に止められない。

 絶望的な状況。精神の摩耗。それでも私の口元は不敵に吊り上がったままだった。全く、嫌になる性分だ。本当に。


 だが、どうする。


『4時!』


 ミナトゥの心話で弾かれるように剣を伸ばす。私へと迫りつつあった漆黒のナイフが激しい金属音とともにそれを受けた。

 まさかだミナトゥ! 持ってるね、お嬢さん!

 占い師の託宣――今この瞬間に引き当てたのは何十分の一の幸運だろう。それで構わない。


「!」


 二回まではまぐれと切り捨てられても、三度起きればそうはいかない。刃先から伝わる僅かな動揺。それを見のがす猫魔導ではなかった。攻術師の勘の最も冴えわたる瞬間とは、守勢から攻勢に転じる機の見極めである。


「【燎原火】!!」


 足元から円を描くように火の手が上がる。

 いかに速く動けようが、周囲一面全てが燃えていればどうだろうか。ルストーヴェから見て唯一の逃げ道である術者の立ち位置が鍔迫り合いで塞がる一瞬のうちに、悪夢のような猛火が地を舐め視界を焼き尽くした。

 火のエレメントを呼び出し、恐るべき速度で燃え広がらせながらノーシュの周囲には焦げ跡一つない。杖を握る手も、雪の手袋を嵌めたかのような美しい毛並みのままである。赤い炎に照らされて、色素の薄い瞳が煌々と輝いていた。


 一分ほどそうしていただろうか。彼が杖を持ち上げてトンと床を衝くと、瞬く間に炎が引いていった。

 静寂。


「すご……」


「倒した――んですか?」


 猫魔導は首を振る。


「手ごたえ……というのも妙な話ですが、攻術師は自らの魔技が引き起こす破壊の感覚に鋭敏なのです。だから分かります。彼は何らかの方法で火を逃れた」


 それは……そうだろうなと思っていた。あれほどの冒険者だ。いくつかの奥の手を握っているだろう。やがて、風に乗って声が聞こえてきた。


<確かに割に合わん仕事だ。金はよかったが同業殺しの咎を負ってまで達人二人を相手取る程でもない。お前たちからは手を引くとしよう>


「勝手なやつだな! 詫びはないのか?」


<置いていったぜ。口止め料だ。俺には使い道のないものだが、お前にはそうでもないだろう>


 そう言われて周囲を見やると、通路の端に燃え残った何かがある。

 灰の中から取り出すと、それは白く小さな石細工だった。六対の翼を畳んだ気高い竜の似姿は、美と豊穣を司るラシュラン精霊神を象ったもの。旧文明の遺産だろうか、確かな力が蓄えられているのを感じた。

 ミナトゥがむにゃむにゃと何事か占うと、ぺたり、と座り込む。


「はぁ~~~~。こわかったぁ~~」


 無理もない。私もくたりと脱力し、緊張の糸を切って腰を下ろした。果実酒を取り出して口内を湿らせる。


「まぁ、いろいろ話したいことはあるけど」


 ノーシュが寝転んで伸びをしている。足が派手に開いて、なんだかまじまじと見つめると倫理的にまずそうな姿勢だ。見るのだが。誰も私の視線に注意を払っている様子がないので。


「とりあえず、休もうか」


 サイレンフォイル迷宮、地下十三層。未だミナトゥの氷球は下を指している。彼女の兄は何をしているのか。ミナトゥはなぜ命を狙われたのか。前途は多難だ。それでも。

 ルストーヴェは私を同格に近いと認識したようだし、もうミナトゥを狙いはしないだろう。私が奴の襲撃に真っ先に反応したことで、ミナトゥ達も暫く私の実力に疑問を持つことはない筈だ。

 、という気持ちが先に来た。


『あなたは実力を隠しておいでです』


 ミナトゥの言葉が思い起こされる。彼女も私がほんとうは達人相当の使い手であるという噂を聞いて、いずれかの神にこう伺いを立てたのだろう。


 シタン・ネルサは実力を隠しているのか、否か。


 是だ。自らが登録証に記されたレベルより格上であるかのように振舞って、ここサイレンフォイルでの立場を築いている。予備動作なしで行った達人級の召喚とやらにも、暗殺者の襲撃に対応したことにも、ふたを開ければ棚ぼたな幸運か、くだらないからくりがある。


 ハッタリと虚仮脅しで保っている輩が破滅するのをあのギルドで幾度となく見てきたはずだ。食堂で誇張した武勇伝を語っていた、あの貴族くずれの騎士のように。無慈悲に臓腑を食い散らかされた、中央からやってきたあの神官のように。


 これまでが出来すぎていた。こんな綱渡りはいつまでも続かない。今回の依頼の間には、そろそろ自分の番が訪れる。そんな気がするのだ。




――――――――――――――――――――



[ルストーヴェ・ガナン]

暗殺者

レベル:☆☆☆☆☆☆★

主な技能:【隠形】【縮地】【短剣術】【操屍】【???】

黒髪黒目に無精髭、山羊角の蹄人フォーン、32歳。サイレンフォイル都市の擁する2人の達人の片割れであり、対人戦においておそらく最強の男。攻撃動作によって隠形が解けるのであまりナイフ投擲は行わない。


[予備動作]

術者のレベルによって使用できる魔法には限りがあり、レベル1の魔法職が使用できる魔法は難度1、レベル2が使用可能な魔法は難度2と定義されている。しかし、呪文の詠唱と魔法陣という二つの予備動作によって、使用可能な魔法の難度をそれぞれレベル1つ分拡張することができる。

 例えばレベル4であるミナトゥなら、十分な準備があれば難度6の魔法を使用できる、といった具合。

 

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