2-18 朋友

 羅刹の飛行試験から二週間後、10月21日午前3時24分。第二十九次旧軌道エレベーター跡地突入作戦が行われる朝、ノルンと照はリビングにいた。


 静かな空間。リコはベッドで眠っている。歯切れのよいハサミの音だけが聞こえる。


「ノルンさん、急に髪切るなんて言い出してどうしたんですか」


「ちょっと、ね。一大作戦の前だしさ」


「失恋とか」


「3年前に済ませてる――わけでもないか」


 肩あたりまで切ってくれ、とノルンは照に頼んだ。3年伸ばしたノルンの長い髪が少しずつ切り落とされていく。これからクレイドルと接続することも増えるだろう。首筋にコードを繋ぐ関係上、どちらにせよ長い髪は邪魔だった。


「司令――前司令のほうからの手紙、見ましたか」


「わざわざ紙の暗号で手渡ししてきたあれでしょ? まあ、覚悟はしておく」


「っと、動かないでください」


 前司令からの手紙、というより指令書。八洲本国による大規模査察の可能性についてのものだった。本国はDDLやリコの力について何かしら嗅ぎ付けつつある、とのことだ。そしてそれを強硬手段で奪いに出てきた際のノルンや照をはじめとした研究メンバーが行うべき対処についてが記されていた。


 紙のような物理メディアはすべてデータ化して処分せよ。そのデータは一か所にまとめ、奪われる可能性が生まれたなら物理的に破壊せよ。各員は指定の経路を辿り脱出機へ乗り込め。亡命先を伝えることはできないが、中立国である。


 パイロットは速やかに司令室へ集合、通常勤務の者たちも含め可能な限り誘導、救助せよ。


 最悪の場合基地を分解、パージし放棄する。基地のパージ順番はマニュアルを確認せよ。


 この基地には民間人も、DDL関係の事実を知らない者も多い。彼らの生命を可能な限り守れ。


 遅かれ早かれDDLの物質化の性質に辿り着く者は出てくるだろう。しかしそれを可能な限り引き延ばすことが、我々の使命だ、と結ばれていた。


「ほんとにそんなことあるんですかね」


「ないとは言えない。だって外から見たら私たち、ある意味世界の敵だし」


 ノルンは思う。物質という概念に革命を起こすこの真実を自分たちだけで秘匿する私たちは、一体世界からどういう風に見えるだろうと。欲を出し呪われた黄金を守るため怪物と化した醜い小人にでも見えるのだろうか。


「ノルンさん、私、あなたに会えてよかったです」


「どうしたの急に」


「ずっと私、未宙さんに憧れてました。軍学校に入って、初めて自分より凄い人に会ったんです。セヴンスの操縦も身体能力もトップクラスの未宙さんが――私は一つ下だったから何度か訓練で一緒になったくらいでしたけど――私の目標でした」


 ノルンの髪を切りながら、照は続ける。


「だからいつも隣にいるノルンさんが羨ましかった。憎んですらいたと思います」


「知ってるよ。初めて会った時の照怖かったもん」


 その話をしながらハサミを持っているのもかなり怖かったが、それは言わないでおいた。


「あの時は仲間もいなくなって、片目もなくして大変でしたからね」


 それから軍学校でのこと、実際に戦場に出てからのこと。照がノルンに過去のことを話すのはこれが初めてだった。


「銀の矢作戦オペレーションシルバーアローの時、初めて仲間が死にました。幼馴染で、ずっと一緒にいたのに。フェンリルにやられて、一緒に海に落ちて、私だけが生き残りました。その時その子が、辛うじて繋がった無線で言ったんです」


 ――なくしたものを忘れることで人は前に進めるし、たまにそれを思い出すことで人は自分の進んできた道を思い出せる。だから私のことは忘れて、もしよかったら、もし、照の中に私の居場所があったなら、たまにでいいから思い出して欲しい。


「あの作戦が終わって、3年前ノルンさんに初めて会った時――こんな腑抜けがあの未宙さんの隣にいたなんて、許せなかった。自分だけ生き残ったことが許せなかっただけなのに。これから一緒に暮らすなんて正直無理だと思ってました。けど、時間って不思議で――今では一緒にいるのが当たり前になってる」


 鏡に映る照の顔は、とても穏やかだった。


「——そうだ、枝奈えなだ。名前、どうして忘れてたんだろう」


 照の大切な人。きっといい人なのだろう。けれどその人も、もういない。


「私も、照がいてくれて救われた」


 ノルンにとって、誰かが近くにいるということそれだけが、大きな救いになっていた。それはきっと、照も同じで。


「色々なくしたね、私たち」


「けれど――得たものもありました。それだけは、忘れないでいたいです」


 二人は眠っているリコのことを思う。大切な家族。ノルンと照。二人を繋ぎ止めてくれた娘。子は鎹とはよく言ったものだった。

 

 似た者同士だ、とノルンは思った。好きな人の隣の席は既に埋まっていて、失って。けれど照の凄いところは、それを自分の力で乗り越えたことだった。


「その中に、ノルンさんもいます。家族で、友人として。出会えてよかったです」


「うん。照に出会えて、私もよかった」


 気恥ずかしかったが、伝えなければいけないと思った。それが真摯さというものだと、ノルンは思う。


「今日の作戦、私もGleipnir《グレイプニール》で空に上がって羅刹のモニタリングを行います。ちゃんと手綱は握っておくので安心してください――はい、できましたよ」


 ノルンの髪は3年前と同じ、肩までに揃えられていた。横の髪を左右それぞれ三つ編みにし、後ろでまとめリボンをつける。眼鏡を置き、この日のために買っていたコンタクトをつける。


「ありがとう――どう?」


 照の正面に立ち、ノルンは笑う。


「似合ってます。準備完了、って感じで」


「でしょ? やっぱりこれが落ち着くや。……あと、ノルンでいいよ」


「わかりました――ノルン」


 時刻は午前5時。リコを起こし、朝食をとり、作戦の準備に移る。


 ノルンとリコ、照の三人はパイロットスーツに着替え、ドックに向かう。


 赤と白の羅刹。今回の作戦では完全有視界操縦を行うため羅刹のコクピット外装は透明素材のものに換装されていた。

 

 その隣、明け方の空のような薄い青に塗装された、かつてノルンの乗機であった照のGleipnir。武装は多薬室超長距離狙撃ライフル二門。UAV フェアリィが取り付けられていた部分には羅刹に接続するための巻き取り式データ転送用コードが予備含め二本装備されていた。


 各自の機体の前で、照による作戦の最終確認が行われる。


「ブリーフィング通り羅刹が先行、Gleipnirは高空からの管制を行います。目標は旧軌道エレベーター内部への侵入と情報及び内部にある物資の回収。万一敵対ベイカントが残っていた場合は可能な限り応戦を避けてください。私が空からの狙撃を試みますがあの空間内で外からの狙撃の有効性は不明です。どうしてもという場合に限り交戦を許可します」


「了解」


「了解!」


「じゃああとひとつ。三人で無事に帰ること!」


 三人でハイタッチをし、機体へ乗り込む。起動、クレイドル接続、エレベーターで地上へ。


 ノルンとリコは機体の最終チェックを行い、離陸許可を待つ。眼前の滑走路の遥か彼方には空を切り裂く一本の柱、旧軌道エレベーター。隣の滑走路には照の乗るGleipnirが見えた。


 Gleipnirが先に離陸する。巨体が大地から離れてゆく。数秒後、羅刹の離陸許可。


 加速し、離陸。音速突破。四対の翼をうごめかせ、先に待つGleipnirへ追いつく。


 二機編隊で目的地へと向かう。旧軌道エレベーターの500km手前、Gleipnirは羅刹の後頭部にデータ転送用コードを接続し、速度を合わせたまま高度を二万五千メートルまで上げてゆく。


 暫くして、ノルンとリコの視界の先に目的地がはっきりと見えてくる。半径150kmの海が干上がった異界。気化DDLが支配する異界へ、羅刹は飛び込んでゆく。

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