2-19 粒子


「ポイント通過。リコ、ゆっくりでいい。行くよ」


 羅刹が気化DDLの充満する領域へ足を踏み入れる。文字通り時空の歪んだこの異界において高度や方位磁針といった計器類は意味を成さない。辛うじて機能するDDL濃度を確認できるレーダーを用いて、流動する航行可能領域を探しながら自分たちの目だけを頼りに目的地である旧軌道エレベーター内部を目指す。


「ノルン、リコ、聞こえますか。Gleipnir《グレイプニール》の接近限界に到達。こちらからは羅刹を目視で確認しています。以降は有線通信のみでの……ます」


 有線通信だというのにノイズが混じり始める。着実に、ゆっくりと接近していく。DDLの濃度の感知は計器よりもリコの直感の方が正しいようだった。羅刹の機体制御能力も幸いしかつてないほどスムーズに進行していた。


 しかしノルンは妙な違和感を感じていた。枕が絶妙にフィットしないような座りの悪さとでも言うべき違和感。言語化するのが難しい。不要な計器はすべてオフにしている。


 80km地点を通過したとき、リコが何かに反応した。


「――いる」


 リコの意識と接続していたノルンも同時にそれに気付く。右前方、紅い影。取り残されたベイカントだった。


 ロックオン警報。ミサイルの射出を確認。上空のGleipnirが狙撃を試みるがDDLに阻まれ弾丸が“ブレる”。照準した地点から約150メートル離れた虚空を弾頭が貫く。


 羅刹は身を翻し高度を下げながら加速。ベイカントのミサイルは気化DDLに飲まれ、一瞬3つに分裂したように見えた後に消滅した。目視による操縦を行うため換装されたコクピットにはDDLが通常の機体の三分の一しか注入されていない。二人を猛烈な重力加速度が襲い、パイロットスーツが体の血液を制御しようと締め上げる。


「リコ、無茶はできないけど上手く接近して倒すしかない」


「わかった」


 通常のセヴンスではGに耐えるための体作りなどしなくてよかったためトレーニングを怠っていた過去の自分に説教したくなる。しかしリコの体がどこまでもつか。それが問題だった。


 航行可能領域を通りながら接近。装備している短機関銃の射程に入る。機体のレーダーは使用不能のため目視による完全マニュアル射撃だ。目標の下側から近づき、機体の右腕を前に突き出し、交差する瞬間に引金を引く。瞬間、ノルンとリコの接続した意識の間に何かが割り込んでくる。


 違和感が明確な嫌悪感に変わる。知らない何かが頭の中に滑り込んでくる。ノルンは即座にクレイドルの接続解除を図るがしかし信号を受け付けない。羅刹は二人の操作を撥ねのけ加速してゆく。物理的にコードを引き抜くことも考えたが強制終了のリスクはあまりに大きすぎる。ノルンは発声によってリコに直接呼びかける。


「リコ、コードを抜いちゃだめ。そのまま、機体の姿勢制御に集中して」


 二人の間に割り込む何か。それは意識よりももっと原始的な、衝動に近いものだった。急旋回し、さらに増速。横向きのGが二人を殴りつける。羅刹は武装を投げ捨て先程のベイカントに素手でとりつき、両の手でそれを圧し潰した。


「なんで……なんでここに……」


 リコの声が聞こえる。ノルンは何者かの衝動の濁流の中からリコの意識を探す。リコはこの存在が何かを知っている――掴む。フェンリル。あの紅のベイカント。その瞬間、この流れ込んでくるものの性質を理解する。怒り。いや、混乱にも似た叫び。


 羅刹に発声器官はない。だが何かを叫ぶように空中をのたうち回った末、再び速力を上げる。


 その異常を、照はすぐに気付く。二人に向けて呼びかけるが返答がない。カメラズームによって目視でも確認することはできたが瞬間移動のように動き回る羅刹。壊れた映像データを見ているかのようだった。


 羅刹はひとりでに取り残されたベイカントを次々と破壊してゆく。そしてそのまま旧軌道エレベーター内部へ侵入、かつて天螺あまつみが開けた大穴から飛び込み、その反対側に新たな穴を開け外に出る。DDL濃度の高い空間にも構わず飛び込み、その影響で翼端や肩、足先のフレームに歪みが生じていた。


 照はこのままでは二人の生命に関わると判断。このGleipnirのみに搭載されている緊急離脱用ロケットブースター。座席下部に増設されているその起動ピンを引き抜き、起動ボタンを押す。大気に煙を吐き出し羅刹に接続していたデータ転送用コードを巻き取りながらGleipnirは一直線に羅刹のもとへ飛び込む。コード切断。気化DDLによって機体と自分が“ブレる”感覚への嫌悪感を抑え込み、機体の外装を歪ませながらもマッハ2.2で飛行する羅刹に追いつき、速度を合わせ後方から抱くように確保する。Gleipnirの腕の中で暴れる羅刹。羅刹のフレームとバーニアが照の乗るコクピットの装甲を削り、燃やそうとする。


 照は羅刹を180度回転させ正面から向き合う。二本目のコードを放ち、羅刹のフレームに接続。透明素材に換装された羅刹のコクピットの中、リコとノルンが見えた。二人は意識を失っている。幸いと言うべきか、吐血や目立った外傷などはない。Gleipnirの噴射飛翔翼をはじめとした全ての推進器を全開で稼働させる。まずはこの領域から抜け出さなければならない。最大出力で直進すれば10秒で抜け出せる。持ってくれ、と照は祈り、羅刹を抱いたまま増速――抜ける。計器類が復活する。


 八洲軍基地へコール、状況を伝達。しかし増援を送るという返答しかない。


「照――フェンリルが、いる――」


「ノルン? どういうことですか、ノルン!」


 ノルンが意識を取り戻す。――フェンリルがいる。その言葉の意味を照は思考する。


「この機体の中――」


 記憶の底。フェンリルの残骸を解析していたスタッフの言葉を思い出す。


 フェンリルの機体情報がセヴンスと同じものだったということ。それが当時建造されていた八洲製の機体――即ちこの羅刹のものだったということ。コード記述の癖がそのスタッフのものと同じだったということ。


 最悪の予想が照の頭をよぎる。再度基地に連絡をとる。そのスタッフを呼びつけ、本当に羅刹のシステムが人の手によるものか問いただす。


「僕は、ちゃんと自分の手で打ちました。けどこういう大規模なシステムは一人で作るものじゃないのでメンバーから集めた後それをまとめて組み込んだのは八洲本国のチームです……ただ、フェンリルのデータもそこが管理してます。万一、羅刹の中にフェンリルのコードが混ざっていたとしたら――」


 ノイズ混じりではあったがその声に嘘はないようだった。照は覚悟を決める。


「ここで羅刹を抑え込みながら羅刹のコードを書き換えます。機体と一緒に納品された羅刹本来のシステムコードを送ってください。接続してるコードから実機の情報と比較してうまいことやってみます!」


 我ながら無茶苦茶なことを言っていた。しかし本当にフェンリルが自己の情報をコードに乗せていたのだとしたら、こうするしかないだろう。


 暴れる羅刹を抑え、墜落しないよう姿勢制御を行いながらのプログラミング。無茶なことは十二分に承知していた。だが。


「やってやる。フェンリル。お前を!!」


 羅刹の機体情報を抜き出す。セヴンス一機のOSが持つ情報量があまりに膨大だった。照の思考をそれらが埋め尽くしてゆく。無理矢理自我を引き留め、基地から送られてきたデータと照合。セヴンス一機では間に合わないので基地のコンピュータと分担して作業を行う。


 羅刹の右腕がGleipnirの拘束を外れ振り下ろされる。咄嗟に機体の左腕でそれを防ぐ照。フレームが軋む。


「こんなプロレスできるように作られてないっての――」


 照合作業はまだ終わらない。燃料の尽きたロケットブースターを投棄ジェッソン。突如羅刹が加速、制止するGleipnirを起点に円運動を描き海面に向け落下を始める。


 擦り減ってゆく高度計の数字。照は機体の両腕で掴んだ羅刹を掴んだまま上方――海面に向けて投げ出す形で振り上げる。羅刹のスラスターの推進方向が機体ごと変化。減速が始まる。Gleipnirも姿勢を反転、前推力を用いて高度を再度とっていく。本来Gleipnirは近接格闘戦など想定されていないセヴンスだ。しかも気化DDLの中を飛んだダメージも相当なものとなっている。照は機体そのものの限界が近いことを察する。


 羅刹の頭部の口らしき部位が開く。内部に見えたのは砲口。


「ロマン兵器なんて詰め込んでんじゃないッ!」


 右手を羅刹頭部の口に突っ込む。閃光。Gleipnirの右肘から先が爆ぜる。エラーの警告が現れるが照は全てカット。照合作業のためにメモリを開放する。


 しかし拘束を外れた羅刹は自由となった左腕をGleipnirのコクピットに向け振り下ろした。衝撃。コクピット内部に亀裂が走りDDLが漏れ出す。再度、衝撃。照の体が大きく揺さぶられる。モニターがダウン。残る照合作業を照はクレイドルシステムのみで行う。


 三度目の衝撃。操縦桿から手が離れ、コクピットのフレームで照は右腕を強打。激痛。しかしそれを押し殺しなおも羅刹を離すことなく――見つけた。


 納品データと異なる部分。基地からも情報が送られてくる。フェンリルの残滓。照は叫び己を鼓舞し、削除し、書き換え、その部分を羅刹のシステムに上書きする。


 停止。Gleipnirに抱き止められたまま、羅刹はその動きを止める。


「ノルン、リコも起きてください。無事ですか、応答してください二人ともッ!」


 叫ぶ。モニターが破損し照からは直接二人の状態が確認できない。


「……照……?」


 少女の声。リコだった。


「生きてるよ、なんとか……羅刹も動く」


 ノルンも無事だった。照の全身から力が抜け、途端に強打した右腕が痛み出した。


「すみません、モニターやられちゃって外見えないんでナビゲートお願いできますか」


「リコ、大丈夫?」


「……うん。大丈夫。……帰ろう」


 帰投許可が下りる。羅刹にエスコートされ、二機は基地へ帰還する。


「リコ。フェンリルは――」


「私のせい。本当はもう戦わなくてよかったのに、私が無理矢理起こしたから。それで、自分と同じのを、殺させたから」


「リコのせいじゃないです。全部、人間がやったことですから」


「もう、あの子はいないよ。消えちゃった。けど。それでよかったんだと思う」


 照は思う。フェンリルにとって、ベイカントが同じ存在――自分の体と同じだったら、かつて自分と司令を助けたあのフェンリルの行動は自殺に近いものだったのかもしれない。一度死んで、甦らせられ、自殺を強いられ、今度こそ死ぬことができたにも関わらず人間によって羅刹に組み込まれ、再び自らと同じ存在を殺せと――自殺せよと命じられたら。


 リコ以外のベイカントに意識というものがなかったとしても。ただ命令を実行するだけのユニットに過ぎなかったとしても。狂うのは仕方のないことだと。


 自分はフェンリルを憎んでいる。自分の幼馴染と右目を奪ったあのベイカントを自分の手で殺せたらと願い、遂にそれを達成した。しかし。


「――案外、嬉しくないですね」






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

2102年 10月21日

第二十九次旧軌道エレベーター跡地突入作戦報告書

水流する 隆人りゅうと



時刻


0800  羅刹及びGleipnir 離陸


0940  羅刹 旧軌道エレベーター指定空域に侵入


1010  羅刹 ベイカントと交戦 謎の暴走を開始


1015  羅刹 旧軌道エレベーター内部へ突入成功。内部映像及び機体に付着した内部の    物質を確認


1020  Gleipnir 羅刹を捕縛


1035  羅刹 機能停止


1235  両機 八洲軍基地へ帰投




銀の矢作戦オペレーションシルバーアロー以来初の旧軌道エレベーター内部への侵入、内部情報の入手に成功。


パイロット二名及び特級秘匿回収物A号、すべて命に別条なし。

  ノルン・ルーヴ 大尉 軽度の脳震盪

  納戸 照    中尉 脳震盪、右腕骨折


尚、当該作戦における該当指定機体ログは速やかに削除のこと


八洲軍基地への強制査察の準備を始めよ




以上

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