2-17 鳴動
八洲軍の基地司令としてインタビューに答える
『この機体は現在不干渉となっているベイカントとの共存、共生を目指す意思を表したデザインであり――』
「まともじゃないですよ。あれ。絶対に」
テレビを消し、照が呟く。照にとってフェンリルは自分の右目を奪った宿敵だ。気持ちは分かるけど、とノルンはたしなめる。
「システム自体は問題なし。第四世代クレイドルの内部データも大丈夫だって小糸さんのお墨付きも貰ってる。操作は複雑らしいけど、クレイドルがあれば問題ない」
「そうですけど……」
この日は新型セヴンス、『羅刹』の飛行試験だった。ノルンは久しぶりのパイロットスーツに身を包み、リコの着替えを手伝っている。リコは二人と同じ――特注のサイズではあったが――服を着られたことが嬉しいようだった。
ノルンは書類上退役していたが、過去二十八回の旧軌道エレベーター跡地突入作戦すべてに参加していることを鑑みて今回の作戦にも登用された。
新たな機体が鎮座するドックに辿り着く。
羅刹。人を惑わし血肉を食らう、夜において最強の悪鬼の名。人類にとって長い夜となった対ベイカント戦争。それに真の終止符を打つべくして名付けられたそれが、ノルンとリコの前に立ちはだかっている。
照は開発中、既にオンラインシミュレーションでの操縦を行っていた。機体の大きさとしては警戒管制機であるGleipnirに近いが足元が覚束なくなる不気味さを感じると言っていた。たった一度、それもシミュレーションで飛ぶだけで相当消耗しているたことをノルンは覚えている。戦士の直感を侮ってはいけない。ノルンはその事実を知っていた。
ベースとなった機体は八洲本国の技術研究部で既に飛行試験が終了している。なので実質慣熟訓練だった。
リコはコクピットへ足早に飛び込み、座席に張られたビニールを破っている。少しやりたいなという衝動がノルンと照を襲うがぐっとこらえた。
内部は複座型とはいえやはりシンプルなつくりだった。リコの座る前席、後席ともにフットペダル二つとスロットルレバーと操縦桿。座席は深く腰掛けられるよう設計されておりパイロットへの身体的負担を可能な限り排するようになっている。座席下方にはバーチャルキーボード投影用のレーザー発振器。あとは脱出用レバーと、その他諸々を操作するためのキーボードが備え付けられている。
コクピット内の各種点検を終え、試験開始時刻まで数分のインターバル。ノルンはリコのクレイドル接続用デバイスをしっかりとつけなおし、コクピットとの固定ベルトを再度締めてやる。
「本当に飛ぶよ。怖くない?」
「大丈夫だよ。ノルンがいるもん」
「そっか」
定刻。リコ、ノルン両名は首筋にクレイドルシステム用のコードを接続。起動待機。羅刹のメインジェネレータ起動。コクピットハッチ閉鎖。内部が闇に包まれる。ややあって非常灯が点灯。赤黒い光で視界が確保される。酸素供給正常確認。DDL注水開始。コクピットと装甲の隙間にDDLが満たされ、内部が疑似的な無重力状態となる。
第四世代クレイドル『アダー』起動。脳が拡がり、自分の輪郭がぶれる感覚。ノルンにとって三年ぶりのセヴンスとの接続だった。機体情報が流れ込んでくる。確かに異質な機体だとノルンは思う。出力、操作系。高速飛行性能と精密な機動という相反する二つを力技で実現した、既存のセヴンスとは明らかに異なるものだった。
リコの意識と接続する。ここからの会話は思考発話による圧縮言語を用いて行われる。
「ノルン、すごい、これ――」
「大丈夫。慣れていけばいい。多分外はもっとすごいよ」
コクピットの座席が変形する。連結していたコクピットが前席は下方に、後席は上方にずれ、階段のような形になることで広い視界が確保される。同時に外部カメラが起動。羅刹の四つの瞳に光が宿る。コクピット内部の全周モニターに機体各部のカメラから統合処理された外部映像が出力される。計器類はすべて映像に表示されていた。
手足のない旧型戦闘機と違う点と言えば、やはり視界の広さだった。ノルンの座る後部座席からも前に座るリコの姿がよく見える。また前席と後席の仕事はマニュアル上分かれていない。第四世代クレイドル『アダー』によって互いの意識を接続、パイロット同士の判断で適宜仕事を分担する。また通常の倍である12基のコンピューターが搭載されており、それ故の演算負荷は二人で負う。
接続異常なし。ジェネレータ出力正常。機体の背後の巨大な扉が開き、羅刹は地上へ続くエレベーターに固定される。今回は
地上。雲一つない青空が広がっていた。気温32度、湿度72%。風は南西3メートル。ノルンとリコの眼前には一直線に伸びる滑走路。
折りたたまれていた翼を左右九十度傾けて広げ、離陸姿勢をとる。
右側第一エンジン始動。続けて右第二、左側エンジンを起動してゆく。挿気開始。一見双発式と思われていたが、羅刹は四発のエンジンを備え更にその全てが推力偏向ノズルを搭載している。唸り声のような駆動音がコクピット内部にまで届く。ノイズキャンセリング起動。再び静寂が訪れる。動翼テスト開始。四対の翼を最大角度で固定。フラップ最大、各種ライト点灯確認。
『ランウェイ02、クリアーフォーテイクオフ。ご安全に』
管制塔にいる照からのカタカナ英語な通信が入る。
「照!」
「リコもご安全に。今日の晩ご飯はカレーですよ」
「Roger, cleared for takeoff……リコ、エンジン出力最大、全部真後ろに。あとはゆっくり右手の操縦桿をそっと引いてやればいい」
わかった、とリコ。四基のエンジンが咆哮を上げる。ノルンは羅刹の脚部滑走用ホイールのロックを解除。鎖から解き放たれた獣のごとく、羅刹は前方へと突き飛ばされるように駆け出していく。二秒足らずで離陸速度に到達。重力に逆らい、空へ。
「空だ――空だ!!」
リコの興奮がノルンにも伝わってくる。自分で自由に空を飛ぶというその行為の興奮は、きっと何百年経っても変わらないのだろうとノルンは思う。
「リコ。テストコースをモニターに表示する」
全周モニターに連続する四角い図形が表示される。
「その枠を全部通りさえすればいい。行きはリコが自由に。帰りは私が操縦する」
「ううん、二人がいい」
急加速。一瞬にしてマッハ2を突破。そのままつづら折り状に設定されたコースを一切減速することなく駆け抜けてゆく。
滅茶苦茶だった。このままでは落ちてしまう。ノルンは翼を制御し機体が自己崩壊を起こさないよう最適な機体の動かし方を算出し、それを実行する。だが同時に、ノルンはこれこそが第四世代クレイドルの真の性能であることに気付いた。
分担ではなく一体化。リコの飛びたいコースが、リコのしたい動きがノルンに伝わり、ノルンはそれを理解できていた。それに合わせてノルンは翼を操作する。無理だと判断した動作はリコが咄嗟に中止しリカバリーをする。相手に対する全幅の信頼をお互いが持つからこそできる芸当だった。
そうか。未宙は――先輩は、こんな風に空を飛んでいたんだ。相手の飛びたいように、自分の飛びたいように、二人の息と心を重ねて戦っていたんだ。
今、あの時の未宙が見ていた景色を自分も見ることができている。
「リコ!」
「ノルン!」
こんなに自由な空は初めてだった。最強の悪鬼を名乗るだけのことはある、とノルンは思った。
羅刹は鋭角な軌跡を描きながら踊るように空を飛ぶ。加減速も、旋回も、すべてのレスポンスが最早異様と言うべきだった。その運動性能は瞬間的に3年前天螺が見せた限界を超えた機動にも及んだ。
成層圏へ到達する。地球の果てが見えた。眼下に青い星が見えた。二人はこの瞬間、ひとつになっていた。機首引き起こし、急降下。羅刹の名を関したセヴンスは四基のエンジンと八枚の翼、手足全てを自在にうごめかせながら、この空すべて我が物であるというかのように、舞う。
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