2-13 幸福
「
二人は構わずそんなベッドに身を預け、鈴はその大きな体を猫のように丸め、
「ほんとは、秘密にしておくべきだったかもしれない……」
鈴は消え入りそうな声で呟く。有須の前でのみ、彼女は普通に会話することができていた。
「そんなことないよ。きっといずれ誰かが――同じ答えに行きつく日が来る。そうしたら鈴ちゃんがほんとは一番乗りだったんだぞーって証明してくれる人は多い方がいいじゃん」
鈴の頭を撫でながら、有須は諭すように呟く。
「もし、もしわたしのせいで戦争が起きたら……!」
「道具を使うのは人間だよ。だから大丈夫。鈴ちゃんは悪くない」
「けど……」
「そうだね。人々の集合した願いや欲、怒りといったあらゆる感情が混ざり合ってできた人の形をした怪物は、最早人には止められなくなる。けれど、ここにいる人たちは信じていいよ。大丈夫。それにもし、そうなったとしても、私だけは鈴ちゃんを許してあげる」
見つめ合う。鈴のダークブラウンの瞳が、有須は好きだった。勿論彼女の声や髪、極度の対人恐怖症だけれど筋を通すべき時は通しきる性格、一度始めたらそれが終わるか自分が倒れるまで集中するところなど爪先の爪に至るまで好きなところを上げ出せばきりがない。有須にとって、クレイドルシステムという狂気に、DDLという同じく謎と危険に満ちたものを研究するという狂気でもって寄り添ってくれる鈴は心の拠り所だった。
籍を入れるにあたって鈴の両親からは大反対に会ってあわや殺されかけたことも今となってはいい想い出だ。
「ねえ鈴ちゃん。今しあわせ?」
「わかんない……けど。有須がいてくれるなら、ずっとしあわせだよ」
「そっか。私もしあわせ。鈴ちゃん体温高いね……あったかい」
足が触れる。今一度、互いを強く抱きしめる。小柄な有須と大柄な鈴が抱き合うと親子のように見えないこともなかった。
「もし何があっても、一緒にいるよ。もう一度約束する。鈴ちゃん」
「――有須」
今日はおやすみ、と有須は鈴とともに眠りに落ちる。84時間ぶりの睡眠に、二人は身を委ね、沈んでゆく。
「――ただいま」
ノルンは呟き、部屋の敷居を車椅子でまたぐ。まだふらつくため念のため今日はそうしておけという医師からの助言だった。
「おかえり!」
「おかえりなさい」
リコと照。リコはノルンの車椅子をずっと押していて少し誇らしげだった。
「ありがとう。重くなかった?」
「全然!」
踊るようにくるくると回りながらそう言うリコ。その姿は健康そのもので、余命いくばくもない少女の姿には見えなかった。
「今日はリコとノルンさんの快気祝いですね」
そういえば二人とも立て続けに倒れたことをノルンは思い出す。
「ついでに照の生還祝いもね。何作ろうか」
「私がやります。色々買い込んできてるんですよ」
一つに結んだ黒髪を尻尾のように揺らし意気込む照。わたしもやる、とリコもキッチンへと走っていく。とたとたとた、というフローリングに響く足音を聞いて初めて、帰ってきたんだなとノルンは思った。
「ということで、けが人はそこに座っててください」
ノルンにとってこの光景はいつか見た夢のような時間で。未宙にあげたかった時間そのものでもあった。
穏やかな時間。火薬や電子機器や機体が切り裂く風といった耳を刺すような音ではない、ゆっくりとした優しい音がこだまする空間。この何気ない日常を、未宙にあげたかったはずなのに。今は私が享受している。
「ねえ、二人は好きな人いる?」
何となく、そんなことをノルンは訊ねていた。
「ノルンと照!」
屈託なく、一切迷わずリコはそう言う。いつか彼女が本当に誰かを好きになることができるようになる日がくるだろうか。もしそんな未来があるのなら、どれほど幸せなことか。ノルンは思う。
「私はリコ~」
じゃれ合う二人。
「ノルンは?」
「私もリコが大好き!」
ノルンの本心だった。リコのことが大好きで、愛していると断言できた。
「? じゃあ、照とノルンは?」
思わず二人とも返答に詰まる。少しの間があって、笑う。三人で。
なくしたものを忘れることで人は前に進み、それを思い出すことで人は自分の進んできた道を思い出すことができる。
「愛してますよ、全力で」
「私も。最高に」
友愛。この関係性を定義するのであればその言葉があてはまるのだろう。しかし同時に、家族愛と言い換えてもいいかもしれない。3年という時間の末ノルンは、照は、それほどに互いが当たり前になっていた。
「できたよ!」
リコが料理の乗った皿を並べる。焼けた肉のいい匂いがダイニングを包む。この三年間で一番大きなハンバーグだった。
「しかもチーズ入りです」
ナイフを通し、中を開くと肉汁とともに溶けたチーズが音もなく現れた。
「いただきます」
三人の声が重なる。ノルンも照も、とてもそれが久しぶりのような気がして、同時に愛おしいと思った。
幸せな時間はゆったりと、しかし足早に過ぎていく。夜。読書灯の淡いオレンジの光が照らす部屋、三人はベッドに並んで寝転んでいた。いつも通り、リコが真ん中、リコから見て右にノルン、左に照。これが三人のルーティンのひとつだった。
「この前ね、白い髪の人に聞かれたの。しあわせか、って」
栞・オルロ。クレイドルの真の開発者にして、リザ・オルロの母。彼女とリコがあの時どんな会話をしていたのか、ログは残っていない。
「リコは今幸せ?」
「うん。ノルンがいて、照がいて。色んな人がいて。朝起きて、遊んで、勉強して、ご飯食べて、お風呂入って、二人と寝るの。病院は好きじゃないけど……わたし、しあわせだよ」
「……リコ。世界にはもっと面白いものがいっぱいあります。ここだけじゃない。この前みたいに怖いこともない。楽しいことも、綺麗なものも。人だっていっぱいいる。だから、いつか行きましょう。色んな、楽しい所に。三人で」
照の声が震えているのを、ノルンは気付いていた。三人、と照が言ったことが、当たり前のはずなのに少しむず痒かった。
「まずは日本に行こう。照の故郷」
「じゃあ愛知ですね。今はもう復興してて美味しいものいっぱいありますよ」
「じゃあその次ね、あそこ行きたい。前にテレビで――」
そんな未来予想図を立てながら、三人の夜は更けていく。平和な日常という文化をかみしめながら、消費していく。
その夜、ノルンと照はとても幸福な夢を見た。描いた未来予想図の通り、三人で色々なところを旅する夢だった。
朝、いつまで経っても目覚めないリコが息をしていないことに気付いたのは、いつも一番最後まで寝ているはずの照だった。
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