2-14 間隙

「――まず、何らかの理由でベイカントが人を作ろうとしていたというのは事実だと思う。普段空を飛ぶものを破壊して回っていたベイカントだけど、時折色々な生物。勿論人間を連れ去っていたっていう報告がある。そしてそれらをもとにリコちゃんを作り出した。対話のためか、研究のためかは別としてね」


 午前7時。リコに気付いた照が飛び起き医務室のICUに運び込み、辛うじてリコは命を取り留めていた。現在は医務室前のソファでノルン、照、有須あるす、鈴、そして基地専属の医師の5人が集まり有須による鈴の立てた仮説を聞いていた。


 その推論はリコが八洲軍基地に来てすぐ立てられたものだった。ノルンも照も承知している。誰かの子どものコピーであるかもしれないということも、受け容れていた。


 現状リコの容態は文字通りの死の淵というべきものだった。ヒトに限りなく近く、しかし違う存在。医者の苦労ともどかしさは想像に難くない。


「――そこで、リコちゃんの成長は成長ではなく変化、なのだとしたら?」


「ベイカントは人をさらってリコちゃんを作った。だけどそのさらってきた人は恐らく死んでる。だからそのままコピーしても循環器がなくすぐにだめになってしまう。その後試行錯誤をして限りなく人に近い存在を作った――としても。ただ人体の活動や反射をトレースしただけでそこには意味が伴ってない。リコちゃんの体はあらゆる臓器が人と同じように機能していても、作った側にとってそれはただのつじつま合わせでしかない。もし死体をもとに作ったのなら、恐らく、直接生存に関係のない成長というプログラムが彼女にはない」


 ベイカントが子どもを育てていた、とは考えにくい。さらってきたものが仮に生きていたとしても、食糧も水もない軌道エレベーターでは1週間ともたないはずだ。恐らく彼らにとって人類や生物はあらゆるサイズのものがいる程度の認識しかなかったのだろう、と有須は付け加える。


「けれどリコちゃんはこの3年で大きく成長した。これがリコちゃんの持つ知識をベースにしてその体を――DDLを変化させているのだとしたら。リコちゃんは同年代の友だちもいない。私たち変化に乏しい大人に囲まれている。昔『何でみんな大きさが違うの?』って聞いてきたことがあったでしょ」


「その時、確か色んなドラマを見せて、年齢と体の変化について簡単に教えたことがあります」


 強い骨や筋肉をつくるために適度な運動や栄養バランスのある食事を、といったようなよくある食育と呼ばれるものも行っていた。


「そう。もしかすると、その『時間とともに体が大きくなる』という知識をもとに自分の体を作り変えていたんじゃないかな。けれど、体の見た目だけを大きくさせるだけでは」


「中身と外側の辻褄があわなくなる」


 リコの内臓器官は、今機能の死んだ部分が多くある。その影響で体は弱り、元気な姿をしてはいるが投薬と検査が欠かせない状態だ。


「そう。完全レーザー治療が主流になった今外科的治療なんてしてこなかったから分からなかったけれど、きっと彼女のお腹を開けば大きくなった外側の辻褄を合わせるために空いたスペースを何の機能も持たないDDLが水増しする形で埋めているんだと考えられる」


「じゃあ、そこに内臓器官のバイナリーコードを送れば!」


「それじゃだめだ。作れたとしてもそれ以上成長するか分からないし、第一私たち人類の内臓がリコちゃんに本当に適合するか分からない」


 じゃあどうするか。小糸は不敵な笑みを浮かべて言った。


「リコちゃんに『生命の成長』の理論と概念を教える。クレイドルシステムとDDLの専門家二人による世紀の一大オペだよ」




 準備は粛々と、速やかに行われた。方法は簡単。クレイドルシステムをリコに接続し、彼女の記憶領域に直接生命の成長をインストールさせる。


 リコの持つDDLを操作する能力が真実であるのなら、彼女自身がDDLと物質の中間であるベイカントであるのなら、以前天螺と共有した映像からフェンリルを再生させたのと同じように、自身の体をその意識のもとに――無意識下であっても――知識でもって操作することができるのではないか、というのが鈴の考えだった。


「けど、クレイドルで拡張した脳領域にあったデータって接続を遮断したときに知覚できなくなるんじゃ……」


 照が問う。クレイドルシステム利用者が最も多く抱える違和感の原因だった。機体の乗り降りを繰り返す度に知らないはずのものを知っていることになったり、知っていたはずのことがわからなくなる。


「あれはただシステム側から脳にそれらの情報が不要であるように認識させて記憶領域からカットしているだけなんだ。だからそこを弄れば特定の情報だけを送り込むことができる。全く恐ろしい技術だよね」


 オペ内容は第四世代クレイドル――戦術情報統合管制処理システム『アダー』を用いた外部からの意識干渉による生命の成長の講義。勿論生徒はリコ。教師役は照が任命された。


「私生物の知識とかないですけど……」


「まず照ちゃんにその知識をインプットさせるから大丈夫。恐らくあの子の力は自分の知識をベースにしなければうまく機能しない。だから君が必要なんだ。上手くあの子が理解できるよう翻訳してあげてほしい。普段からリコちゃんに色々と教育を施しているだろう? 適任だよ」


 照は深呼吸をし、鈴と有須、医師とともにICUで眠るリコのもとへ向かっていった。残されたのはノルン一人。あとはもう、待つことしかできなかった。


 きっと大丈夫だと自分に言い聞かせ、長い一秒を何度も数える中で、それでは、とノルンは思う。自分の知識をベースに意識でもってDDLを操作するのがベイカントの力であるのなら、リコやフェンリル、すべてのベイカントを作ったのは、誰だ?


 行動には目的があるはずだ。地球を征服するのなら空だけでなく対地爆撃を行って徹底するべきだ。それをベイカントはせず、ただ空だけを制圧していた。現在に至ってはベイカントに統制はなくなり、攻撃することもなくただ自らの寿命が失われるまで無意味に飛び続けているだけだ。恐らくこの世界で多くの人が何万回と行ってきたであろう思考を、ノルンは繰り返す。


 ベイカントははじめ武装すら持たなかった。人類の攻撃に対して進化していったと考えられている。故に彼らの目的が人類の制圧であったということは考えにくい。また言語が戦闘であったという仮説は成り立たない。戦闘中旧軌道エレベーターやフェンリルから発せられていた音は大出力の指向性通信が空気を震わせることによって生じたものであると認識されている。その通信が彼らの言語であったなら、彼らは一体どのような会話をしていたのだろうか。ただ行動の指示だけだったのだろうか。


 ではリコはどうだ。彼女は日本語を操りヒトと遜色ない、いやヒト以上にヒトらしい感情表現と行動をとる。アメリカへ行った時のベイカントの編隊やホテルから逃げ出す際のベイカントの援護、また以前フェンリルを呼んだことを見るにベイカントに働きかける力を持っていることは確かだろう。だが彼女がベイカントを作ったというのは考えにくい。


 彼らはどこから来たのか。何のために空を飛び、どこへ向かおうとしているのか。


 自分たちのことすらわからない自分たちにそれが分かるはずもないと、ノルンは思う。時計を見るとまだ5分も経っていなかった。




 結果として、オペは成功。リコは内臓器官全てが正常に稼働する状態となった。静かに、けれど確かに寝息を立てるリコ――また少し大きくなっただろうか――に寄り添いながら、ノルンと照は再び訪れるはずの穏やかな日常を待ち続けた。

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