2-12 究明

 ノルンが目覚めると、そこはカーテンに仕切られた空間だった。アルコール消毒の臭いがする。体が地面に吸いついているかのように重く感じた。ついでに言うと頭も重かった。物理的ではなく思考の伝達速度が粘性を持ったかのようだった。


 指を動かしてみる。案外問題なく動くことにノルンは安堵する。追って、自分の頭に付けられた吸盤と腕に繋がった点滴、そしてぼけた視界ではあったが、両脇で椅子に座ったまま眠る照とリコに気付いたところで、ここが医務室のベッドであることをようやく理解した。


「ぅ、ん、あ゛……」


 上手く声が出なかったが、それで二人はノルンが目覚めたことに気付いた。


「ノルン!!」


 リコが抱き着いてくる。照は呆れたような、けれど安心したような笑みを浮かべていた。


「無茶しすぎですよ、ノルンさん」


 なんだか、昔の未宙の立場にいるようだとノルンは思った。


「ごめん。……ずっと、いてくれたんだ」


 少し、昔の未宙の真似をしてみる。


「一応……リコとあなた3人の、家族ですから」


 照の左目の下には、小さなくまができていた。


「一応じゃない。家族だよ」


 リコが胸を張ってそう言う。家族。そうだ。リコを保護し、研究に協力させるという目的を遂行するための作戦行動をする上で便宜上必要であった家族という定義は、3年の時間によって変化していたらしい。ノルンは照から眼鏡を受け取り、かける。ぼやけた像が線を結び、世界に確かな境界が生まれる。


「……ただいま」




 ノルンが例のページへアクセスしていたのは、僅か2分足らずのことだった。それから覚醒まで丸3日。脳へのダメージは見られなかったが問題なく動けるまで一日半かかった。


 ノルンが目覚めてすぐ、小糸こいと 有須あるすがやって来た。当然後ろには周詞すのり すず。ノルンは車いすに乗ったまま新しく作られた基地の会議室へ向かう。そこは完全防音と行き届いた対盗聴用の仕掛けが施されており、司令――先日の輸送機事件の件で死亡扱いとなり、後日代理の司令が着任するらしい――をはじめとした非公式ベイカント研究の中核メンバーが揃っていた。リコも照の膝の上に座っている。


「ノルンちゃん、まずは何より無事でよかった。社交辞令じゃなく友人として心から。さて病み上がり早速で本題だけど、いいね」


「はい。あの時――」


「クレイドルの思考ログを見たよ。全くこんな事実があっただなんてね……しかも開発者の人に会えるなんて全く羨ましい限りだよ。しかしクレイドルの本来の機能を知らずとは言え制限しようとしていたなんて……少し申し訳なくなるね」


 小糸が口を開くや否や喋る。ノルンはまだぼーっとした頭でどこか栞さんに似ているなと思った。研究バカは須くこうなるか隣の周詞のようになるかしかないのだろうか。


「あの。何か分かったことがあるんですか」


「うん、まず一つ。第一世代クレイドルのブラックボックスだった部分のデータにかかっていたロックがバックアップデータ全てから外れていた。確かにシステムとの同調が一定ラインを超えた時、意識を電子信号に変換してコピーするようプログラムされてる。同時に肉体を昏睡状態にする信号を発するようにもね。栞――開発者の言うことは恐らく間違いじゃないだろう。次に――鈴ちゃん」


 後ろにいた鈴が手に何かを持っている。何らかの宝石だろうか。ピンクや紅が混ざり合いきらめいている。


「……こ、これ、は。DDLか、から作ったもの」


 その場にいた者全員がざわめく。周詞がここまではっきりと言葉を発したことに。それと同じほどに、伝えられた事実に。


「伝える、か、迷った。けど。事実、だから……私が、私の言葉で、言わなきゃって」


 人一倍大きな体躯を震わせながら、小さな声で周詞は言葉を紡ぐ。ダークブラウンの瞳が涙できらめいて見えた。


「鈴ちゃん、よくがんばった。あとは私に任せて」


 小糸が引き継ぐ。


「栞さんの人格データとノルンちゃんの会話の中にあったDDLの話のログを見て鈴ちゃんが試したんだ。簡単に言うとDDLに任意の物質の組成情報を2進数に変換して、要はバイナリーコードを送る。その過程というか準備で情報伝達用の信号装置を設置したり色々とやることはあるけど、事実ここにそれでできた――何だっけ」


「パ、パパラチア、サファイア。2進数は、宇宙の構造そのもの。だから、できても、不思議じゃない」


 鈴は英語で書かれた数十枚の書類を広げる。『「宇宙にある任意のもの」をバイナリーコードに変換する方法とそのための機器について』というタイトルの論文だった。2065年に発表され実証されたもので、かつて21世紀初頭に提唱された0と1で宇宙の『全て』が記述できるという理論を発展させたものだという。


「そう。バイナリーコードを送り込んだDDLの全質量がこの宝石に置換。いや、変化した。ベイカントも恐らく同じような方法で彼らを生み出していたんだろうね。まさか物理的に信号装置突っ込んで情報を送るだけでいいなんて……」


「ベイカントの無限の生産能力も納得ということか……遂に、解明してしまったか」


 司令が口を開いた。重い空気が場を支配する。DDLが持つ全ての物質に変化する性質。それの実証が意味するのは、新たな資源の奪い合いの始まりだ。


 主な産出地である北極、中東、ニュージーランド諸国、日本、ほかいくつかの地域。そして、旧軌道エレベーター直下。物質の価値が大きく変化する。既存概念が根底から覆る。その火種そのものが、今周詞の手のひらの上で輝いている。


「その状態から、別の状態へ変化させることは可能か?」


 司令からの問いに「これも全部鈴ちゃんからの受け売りだけど」と前置きして、小糸。


「無理。試しに情報記録媒体の性質を与えたDDLはそれ以上変化しなかった。きっと何かしらの性質を得たDDLはその性質で固定されてしまうんだ」


「じゃあ全ての物質に変化したり、これまで活用していたあらゆる衝撃や圧力を遮断する性質は……?」


 照が問う。


「これは仮説だけど、それこそが『まだ性質を持たない物質化した可能性』の持つ性質だと言うほかない。宇宙のたまごとはよく言ったものだよ。一応強調しておくけど、これは鈴ちゃんの発見だからね。間違えないように」


 その後、満場一致でこの事実を完全に黙殺、各自墓場まで持っていくことを決定。周詞もそれを承諾した。


「世紀の発見だというのに。すまない」


 司令が頭を下げる。


「わ、わたしの、仕事は研究すること。そ、そういう、のは興味、ない。ので」


「あの、私からもいいですか」


 ノルンが手を上げる。


「リコの力のことなんすけど……」


 小糸は周詞と一度目線を合わせ、小糸が語る。


「これも仮説でしかない。以前リコちゃんがベイカントをDDLにしていた。私たちの方法では特定の物質に固定することしかできないのに。この可逆性を見るに、ベイカントの体組成はDDLと特定の物質の中間にあるものという仮説が成り立つ。リコちゃんの力はその程度――どちら側に近いか――を操作できるものなんじゃないかな。もしかするとそれこそがベイカントの持っていた力なのかもしれない」


「じゃあ、その気になればベイカントやフェンリルも作れる、ってことですか」


「できるよ」


 リコが口を開く。


「けど、あまりやったらだめ、って白い女の人に言われた。空間? を超えて意志だけでそれができるのはあなただけの力だけど、って。痛いのいやだから、わたしもやりたくない」


 やらなくていいよ、とノルンはリコの頭を撫でる。暖かかった。


 そして、その日は解散となった。別れ際、リコに車いすを押されているノルンに小糸が語り掛ける。


「どちらにせよ――リザちゃんか。私は会ったことないけれど、クレイドルが彼女に合わせてつくられたのなら、あの子の症例も頷くしかないよ。けど、シルバーアローの……未宙ちゃんは一体……」


「多分、愛だと思います」


 ノルンは何となく、そうであると確信していた。自分の在り方を変え、自らを終わらせてでも寄り添う覚悟。それが愛でなくて何だと言うのだろうか。


「そうか。愛か。きっとそうなんだろうね」


「まさか同意されるとは……」


「科学者とは須くロマンチストなものだよ。だからこそ現実を、今を変えるために足掻くんだ」


 その瞳はまっすぐで、しかし少し寂しそうだと、ノルンは思った。

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