2-11 揺篭
クレイドルシステムの開発者と名乗る女性。しかし以前見た資料に彼女の名はなかった。
「そりゃそうだよ、私の開発したデータをぶっこ抜いてあいつらが兵器転用したんだから。その勢いで私まで殺されたんだからかなわないよねぇ」
「待ってください、色々聞きたいことがあるんですけど……」
「何が訊きたい? ここまで飛び込んできたご褒美だ。何でも答えてあげよう」
つかみどころのない人だとノルンは思った。飄々としていて、けれど底知れない何かがある。その子どものような笑顔と美貌の裏で何を考えているのか、想像することもできない。
「まずは――あなたと、この場所のこと」
「栞でいいよ。私は栞が死ぬ前にクレイドルシステムで予備サーバーにコピーした人格データ。それでここは私を保存するためのページ。私が信頼した数人の部下がメンテナンスをしてる。ついでに言うと君がアクセスに使ったIPアドレスは私が君のお母さん……そう、ジャーナリストを生業にして私に付きまとってきた方……に伝えたものだね」
「……栞さん、母を知ってるんですか」
「ああ。どこからかクレイドルができたことを嗅ぎ付けてやってきたね。あれはいい人だった。彼女は今どうしてる?」
「亡くなりました。7年前」
「そうか。情報だけは知っていたけど、肉親が言うんだ。真実なんだろうね。多分……いやきっと、それは私のせいだ。すまない」
「いえ。もう、終わってしまったことなので。じゃあ、次に」
ノルンは息を吸う。正確には、吸ったような気になる。そして、本題。
「クレイドルシステム――さっきも人格データをどうこう言ってましたけど、一体あれは何なんですか。先輩は、どこにいったんですか」
栞と名乗った女性は、少し思案するような素振りを見せ、ため息をつき、口を開いた。
「長くなる。それも身の上話だ。それでもいいかい?」
「構わない。……構いませんよ」
「よし。じゃあ始めよう。圧縮言語と映像と音声、あと文字媒体、どれがいいかい?」
「あまり私、並列処理以外クレイドルの適性ないんで一番負荷が少ないのでお願いします」
じゃあ文字媒体だ。そう言って栞と名乗った女性は口を開く。
それは2081年の3月のことだった。アメリカ、マサチューセッツ州ボストンの大学病院。脳科学を専門に大学で研究をしていた栞は、亡き妻との子を身籠っていたにも関わらず研究に没頭。過労で倒れ併設されていた医学部の病院に運び込まれ、出産した。
未熟児だった。すぐに保育器に移され、全身に管を繋げられて生かされている自分の娘を見た時、栞は愛しさと、同時に後悔した。愛しさ。それは栞が生きてきて初めて得た感情だった。いや、これはただの亡き妻に対する思いでしかないのかもしれない。それでも構わない。栞はそう思った。
医者は生命には問題ないが、現代の医療をもってしても成長に問題が起こる可能性は高い、と言った。
脳性麻痺だった。小さくも成長していく娘。それを見た栞は思った。せめて、たくさんの世界を見せてあげたい。できれば自由に世界を見て欲しい。脳や神経の損傷を受けた部位をインプラント等で代替する技術は既にあったが、娘はその手術に耐えられるだけの体力をまだ持たない。それに元々持たなかった能力を後天的に得たとしても、脳にそれを処理する知識と経験がなければその能力を活用することができない。
娘は特に視覚と聴覚に重度のハンデを持っているらしい。
栞は思った。
では、代替する機能とそれを処理する経験を既にもったものを、娘の脳と接続したらどうなるのか。思い立ってすぐ、夜中に病室を抜け出しそのままそれを実現するためのシステムの構築を開始した。
最初に、カメラと集音器と、受け取ったデータを処理するマイコンを繋げたものを作った。娘の頭に無針タイプの電極を取り付けてそれらと接続させる。
結果は成功だった。自分が動いたり声をかけると、ぎこちなくではあるがそれに合わせて反応を示すようになった。
栞は娘をリザと名付けた。Resurrection。復活。必ずこの娘が自由に世界を見て、聴いて、感じられるようにしようと、そう思った。
それからしばらくして、娘は退院した。しかし寝返りすら打てない娘を見て、体を拡張するサブアームと、体を動かすための知識と機能をインストールしたシステムを作り出した。娘は見事それを使いこなすようになった。
だんだんとその開発はエスカレートしていった。次第に娘は全身に取り付けられた様々な機械を自在に操るようになっていった。娘の脳が動かしているのか、娘の脳に取り付けられた外部コンピュータが動かしているのか定かではないが、確かに娘は同年代の赤ん坊より自由な行動が可能になっていた。
しかし身体機能は思うように発達しなかった。筋肉が発達しなければならないのと同時に、自分の体そのものの動かし方を知らなければならない。
栞は自分と同じ銀色の髪をした娘の頭を撫でながら決意した。同大学の生物学の研究室に単身殴り込み、女性型の脳以外再現された精巧なオルガノイドを手に入れた。そして自ら研究して再現した娘の脳波形に最も適合するヒト脳のシミュレータが搭載されたコンピュータを作り出した。だがヒト脳の容量は約150TB。それだけのメモリーを脳のサイズに収めるのはあまりに無理があった。
そこで栞はDDLに目をつけた。別次元が内包されている物質と噂されているその新物質。次元、もしくは宇宙をデータの集積体として解釈するならば、その別次元そのものを記録媒体として代用できないかという発想だった。栞はそれを実現した。世界初の液体型コンピュータの誕生である。容量が無限大を示すそれを脳に収め、ついにそれを娘と接続した。
結果は、またしても成功だった。娘は自由に動く体を手に入れ、栞と会話し、体の動かし方を学んでいった。勿論、本体のリハビリテーションも同じく行った。
ある日、栞はオルガノイドを動かす娘と、それとは別に動く娘の本体があることに気付いた。
すなわち、娘の意識はコピーされ、オルガノイド内と本体内で分かれている。オルガノイドのシャットダウン時に統合され、接続・起動するとまた意識が二つに分かれてしまう。
この現象の結果引き起こされることは想像すらつかないが、きっとよくないことが起こる。その直感のもと栞は娘が別の存在に意識を移している間は本体の意識をシャットダウンするようシステムを追記した。
そして栞は名付けた。ヒト脳を拡張し、補助するためのもの。体を動かせない者でも意識を別のコンピュータに転送し、自由に動かせるようにするもの。肉体を眠りにつかせ、夢のように自由な現実をもたらすシステム――我が子のための揺篭、“クレイドルシステム”と。
その後娘は手術を行い、脳性麻痺はほぼ回復。2083年の5月のことだった。
栞はクレイドルシステムを発表しようとした。しかしそれを実験過程で一般人に対して使用したところ、多くの人が脳の負荷に耐えられず廃人化した。当然、大学はこれを黙殺し、クレイドルシステムは闇に葬られることになる、はずだった。
どこから嗅ぎ付けたのか、クレイドルシステムを利用したいという企業が現れた。北欧の航空機企業を名乗る者は、セヴンスという人型戦闘機を操縦する過程で必要だ、と言った。
兵器転用。当然、栞は突っぱねた。栞は研究室のメンバーに即時身を隠すよう伝えた。その1週間後、栞の自宅に何者かが侵入した。栞はクレイドルシステムのデータのコピーとリザを連れて逃げ出した。以降、親戚を転々とする生活が始まる。
2084年1月。テレビでは人類反撃の最大の一手としてセヴンスという戦闘機が開発されたと喧伝していた。しかも制御システムをクレイドルシステムなどと呼んでいた。戦士のための揺り篭として。西海岸では関係のないベイカントとの戦争。それに加担したのだなと栞は思った。
それでもまだ、栞を追う者たちはいた。部屋に残してきたデータはDDLの使用方法等を残していない未完成のものだった。兵器の操縦サポート程度ならそれでいいはずだ。目的は恐らく、娘だろう。クレイドルシステム開発のテストベッドとして。
それだけは嫌だった。娘は娘である以上に、亡き妻の唯一の形見だった。真面目な人だったが、体が弱い人だった。25まで生きられたことが何よりうれしいと言って、ただ子どもに会えないことが何よりの心残りだと言い残し、逝った。
栞は思う。自分がもう少し早くこのシステムを完成させていたら、あの人は生きたいと言ったろうか。それとも、変わらず命を使い切っていただろうか。
小さく体の弱い娘とともに逃げるのは簡単ではなかった。そんなある日、一人の女性が話しかけてきた。
ジャーナリストを自称するその女性は、自らを「ウルズ」と名乗った。明らかな偽名だったことと、人間不信に陥っていたために栞は何度もウルズの言葉を撥ねつけてきたが、
「その子を守るために力になりたいんすよ」
同じくらいの娘がいる、とその女性は語った。見せてきた写真には、その女性と同じ茶色い髪の女の子が写っていた。その言葉に、負けた。ウルズの隠れ家の一つに身を潜め、栞は現状を理解した。
クレイドルシステムの事故が多発していること。その改善策を彼らは探っていること。リザに目をつけていること。そして、クレイドルシステムの原型を作り出した栞を消すこと。
そもそもクレイドルはリザの脳波形に合うようにチューニングしたものである上に、リザは生まれてすぐクレイドルとの接続を始めた存在だ。脳の若さ等以前に適性が違う。出力を抑え脳への負担を減らす以外にはないだろう。だがリザは、リザだけは渡すわけにはいかない。明らかに人体実験をしたがっている連中に渡すわけにはいかない。
結論として、栞はリザをウルズに託し、追ってきた者たちにその身を晒し、身代わりとなる形でクレイドル開発の手助けをすることを決めた。それと同時にクレイドルシステムを用いて自らの意識のコピーをネットワーク上に転送し、いずれ真実が必要となる日まで眠りにつかせた。クレイドルの正しい真実が白日の下に晒される時まで。
「っと、ここまでが“私”が経験してきた私のことね。このあとのことは全て伝聞でしかないけれど、翌年本当の私は理由は不明だけれど死亡。多分拷問でもされたんじゃないかな。ウルズさん、あなたのお母さんはアメリカの小さな養護施設へリザを匿わせた。その後リザが10の時にその養護施設が例の企業に襲撃を受け、偶然居合わせたウルズさんが救出。その後八洲の孤児院へ送られたと聞いているわ」
「色々と……ちょっと整理させてください」
「・私はクレイドルシステムの開発者
・クレイドルシステムは本来娘のためのもの
・意識がクレイドルシステムに取り込まれるのはシステム本来の機能
・あなたのお母さんが娘を救ってくれた」
「その文字媒体なのか音声発話なのか分からない喋り方やめてください」
「ごめんね。じゃあ結論だけ。君のお母さんが死んだのも、娘や、君の想い人がああなったのも、全部私のせいなんだよ」
申し訳なさそうに、栞は言った。自虐するかのように。自らを冷笑するかのように。けれどノルンは、責めようとは思わなかった。
「娘さんのことを想った結果なら、何も悪くないじゃないっすか。母も、ああいう職業って色んな人から恨まれるだろうし。それに、」
人類を救ったじゃないか、と言いかけて、ノルンはやめた。
「やっぱり、あなたも責めてくれないんだね」
「じゃあ何すか。あんたのせいでみんな不幸になって、今もいっぱいの人が空で死んでんだよって言ったらいいんすか? 馬鹿にしないでほしいっすよ。先輩も、あたしも、自分の意思でアレに乗ったんだ。目的はなんであれ、自分のために、自分が大好きな人のために戦ったんだ。ほかの人たちだってそうだ。それを全部自分のせいみたいに。人が背負ってるもんを馬鹿にするのもいい加減にしろ! ……だって、だってそうじゃないと、そうじゃないと栞さんも、誰も……」
ただ純粋な、娘への愛によって生まれた
「——ありがとう」
「いえ、多分、礼を言うべきなのは私たちなんです。私たちに翼をくれて、ありがとうございます」
栞は「私にも聞かせてやりたかった」と言い、肩の荷が下りたような笑みを浮かべた。
「ほかに、何か聞きたいことは?」
「DDLについてっす。何か知ってることがあれば教えて欲しいです」
「あれはさっき言った通り超巨大な情報の集積体。まだ未確定の事象を内包し、それぞれ個々に分裂しても内部は全てのDDLで繋がっている――と、思われる。宇宙のたまごと言っていいかもね」
「宇宙の、たまご……」
「可能性、という意味でのね。君たちも大体見当がついているんだろ?」
「リコがやったように――任意の物質を生成するための元になる、とかそういう感じで解釈しています」
「解釈としては概ね同じだ。けれどもっと大きな視点を持ったほうがいい。あれは私たちが思うよりも更に大きな、あまりに大きなものだ。娘はそこに意識を移し、それでも何事もなくしていたがね」
我ながらとんでもない娘だよ、と栞は笑った。
「聞きたいことはこれが最後かい?」
「あの、そういえばIPアドレスが端末……私の持ってるものにも送られてきたんです。それがオルゴールの暗号と一致して……」
「? ああ、それはきっと未宙ちゃんが送ったものだろうね。多分気付かないだろうからって言ってたよ」
「先輩が来たんですか」
驚くべきことがいくつもあったが、最大の驚きがここにきてやってきた。ノルンは食いつくように栞に接近する。
「ああ。つい先日だ。娘と一緒に来たよ。真面目な子だった。私がリザの母親と知るや否や『娘さんをください』なんてさ。今時いるもんなんだね。いい子に出会えたようで嬉しかったよ。けどアレに惚れると苦労しそうだね」
「それは同感です。二人は、どこへ?」
「旅をしているそうだ。無限の世界を、行ける所まで行くと言っていた。そしてさようなら、とも」
「そう、ですか。けど、よかった。二人、一緒にいるんですね」
それが事実なら、未宙は生きている。愛したひととともに。どこかで生きていてくれている。確証を得た。ならばいつか、辿り着ける。ノルンは泣いた。何年ぶりだったか。涙を流す器官も機能もない意識だけで、確かに泣いた。
「ああ。君の想い人は、とてもまっすぐな人だ。誇っていい。あとリコという少女も来たが、あの子のことは大切にするんだよ」
「……はい」
ようやく、前に進めそうな気がした。命の果てを超えた彼女たちに追いつくことはできなくても、自分の足で、自分の歩幅で歩ける、そんな気がした。
「そろそろ君の脳も限界だ。帰るといい」
「はい。お世話になりました。」
意識が再び遠くなる。真っ白の視界が更に白んでいく。
言い忘れていたが、と栞は再びノルンに声をかける。
「世界は恋によって生まれ、愛によって終わる。その繰り返しなんだ。恋と愛は同じようで全く違う。私は愛ではなく恋によって突き進むだけの愚か者だったが、君はそうじゃないだろう」
栞は手を振る。送りだすように。
「うまくやるといい。君にはきっと、それができる」
ノルンも手を振る。意識だけで、手を振る。感謝を伝えるために。
「幸運を、ノルン・ルーヴ」
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