2-10 白夜

「この――フェンリルってやつ。気持ち悪いな」


 八洲軍基地、フェンリルが封印されているドックで解析作業にあたっていたスタッフがそう漏らした。


「どういうところが?」


 現場監督としては納戸のと てるが充てられていた。先日のベイカント襲来以降、司令と照は公式には死亡、天螺は海の藻屑となったことになっている。そのためこういった裏方の任務を請け負っていた。


「機体にアクセスしようとしても接続のための端子がない。まあ当然っちゃ当然なんすけど、それでふざけて端子を装甲面にくっつけてみたら急にスライムみたいに吸い込まれて、接続したんです」


 思い出すだけでも気持ち悪いと言わんばかりにそのスタッフは身震いをする。彼は新型の純八洲製セヴンス開発のスタッフでもあった。


「機械、なのか? まだフェンリルは生きてる……?」


「恐らくDDLでできてる……って鈴さんに耳打ちされた小糸さんが言ってました。けど本当に気持ち悪いのはそこじゃないんですよ」


「どういうこと」


「これ、接続して魚拓取った機体のシステム情報――というかOSに近いものなんすけど、これ多分セヴンスのものなんすよ。それも今作ってる八洲製の。色々バグというか虫食いみたいなのがあって滅茶苦茶になってるけど綺麗なままのところもある。そんでそのコード記述の癖がね、何故か僕のと一緒なんすよ」


「私たちの情報がベイカントに筒抜けってこと……?」


「わかんないです。けどもしこのフェンリルが三年前と同じ個体だとしたらもう未来から来たとしか言えないですよ。これ、僕たちの手に負えるもんなんすかね……」


 照は何も言わなかった。彼女にとってフェンリルは自らの片目と戦友を奪った敵。同時に命を救われた恩人。仕事として割り切ることにしていた。だがこの謎を前にして、底知れない恐怖を覚えないほどに鈍感ではなかった。


 もし何かあれば、私が破壊する。リコに危害が及ぶのなら、必ず。照はそう思った。




 同時刻、ノルンは自室の整頓を行っていた。と言っても物はあまりなく、雑誌や漫画類の整理だけで1時間もかからなかった。ふと、以前叔母に渡された小包が目に留まる。中身はただのオルゴールだった。精査したが、ただのオルゴールだった。恐らく、母の遺品。そういえば鳴らしたことがなかったなとゼンマイを巻き、手を離す。


 短い音楽だった。音楽とも呼べないような代物だった。たった12音。ただそれだけのもの。壊れているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。ジャーナリストをやっていた方の母は音楽への造詣も深かったが、こんなものを大切にする理由がわからなかった。何かの記念品だろうか。


 叔母は先日亡くなった。不慮の事故、だったそうだ。真相は分からない。分からないが、そう納得するしかなかった。


 また、例の端末がリコがクレイドルと接続している間起動していたことがわかった。先輩の形見。3年間動かなかったそれがこのタイミングで起動する。偶然とは思えなかった。


 ふとその端末を手に取ると、起動していた。画面には数列。12の数字。それが何かノルンにはわからなかったが、小糸に見せるとすぐに答えてくれた。


 IPアドレス。それもIPv4。小糸のコンピュータを借りてそれを打ち込むと、真っ白なページが現れた。


「繋がってないわけではないね……リコちゃんが先日通常のネットワークにクレイドルで繋がった時にアクセスしてたページも、ここと一緒で真っ白だったんだ。確かに何かのサイトだよ、これ」


「IPv4ってことは結構古いサイトなんすよね。何かのスパム……?」


「まあ今の主流はIPv10だけど。けどこんな手の込んだことするかなぁ……他に何か心当たりはない?」


「あ、端末が起動したとき、叔母に貰った母のオルゴール鳴らしてました」


「うーん……とりあえず持ってきてもらっていい? 念のため」


 何であろうと、可能性のあるものは全て洗い出す。それがここのやり方だった。


 オルゴールを鳴らす。短い音楽が鳴る。


「それ、さっき言ってたアドレスと同じ」


 奥で眠っていた周詞すのりすずが口を開く。声を聞いたのは初めてだなと思いながら、ノルンは周詞が小糸に耳打ちするのを待っていた。


「鈴ちゃんが言うにはこのオルゴールの音階がドが1、レが2みたいにさっきのアドレスの数字と対応してるかもしれない、って」


「じゃあ……」


「多分意味のある数字だろうね」


「……ここに、クレイドルシステムを使ってアクセスすることってできますか」


 確証はなかった。だがノルンは「ここにクレイドルを使って行け」といった誘いの声が聞こえていた。天螺がリコを通常のネットワークへ接続させた意味は何だ。3年前から聞こえなくなっていた自分の中の自分の声。それがそう言っていた。


「リスクはわかってるんだよね」


「当たり前です。けど、何かしら可能性があるのなら、そこに賭けたい」


「……わかった。セッティングするから、ちょっと待ってて」




 1時間後、準備が整う。通常のネットワークにクレイドルを通して接続することは無際限の情報の濁流に飛び込むのと同じことだ。それを可能な限りシャットアウトし、目的のページ以外に接続しないよう制限をかける。


 使用するのは第二世代クレイドル。ノルンのかつての乗機にして現在照が担当している機体、Gleipnirに実装されていたものと同じものだ。


 小糸が愛用しているソファに腰かけ、各種バイタルをモニターするための機器がノルンに取り付けられる。


 起動開始。視覚にページを投影。ごく一般的な検索エンジンにIPアドレスを入力、アクセスを行う。白いページ。何も記述されていない、ソースコードすら白紙のページ。リダイレクト。別のページへと遷移する。クレイドルの出力が上がる。ノルンは肉体の感覚が消失するのを感じる。頭痛と吐き気が支配する。この感覚をノルンは知っていた。




 ノルンは、広い空間にいた。正確にはノルンの意識だけがそこにいた。


 周囲を見渡す。どこまでも続く白。白。白。次第に平衡感覚が薄れ、上下が曖昧になっていく。そんな時、まるでこの白に擬態するかのように佇む人影を見た。


 腰のあたりで結んだ長い銀色の髪、白い肌。あの時見たリザという少女を大人にしたらこういった感じになるだろうな、といった雰囲気の女性だった。リムレスの眼鏡の奥からのぞく切れ長の瞳は夜明け前の空の色。その体は白衣に包まれ、こちらと目が合った途端、口を開いた。


「ハロー……日本語の方がいい? じゃあ日本語でいこうか。最近よく人が来るね……嬉しくもあるけれど、どちらかと言うと悲しさ……いや、後悔かな。まあいいや。初めまして、ノルン・ルーヴ」


 その女性はまっすぐにノルンを見つめ、その名を呼ぶ。


「私は栞・オルロ。クレイドルシステムの真の発案者にしてリザ・オルロの母、ついでに君のお母さんの親友だ」

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