2-5 故郷へ:Ⅱ

 午前八時丁度。ロナルド・レーガン・ワシントンナショナル空港に到着。のびをする間もなく税関等々のチェックを受けて外に出る。タクシーを捕まえて市街地へ。隣に座るリコは楽しそうに外の景色を眺めている。


 移動に次ぐ移動で退屈にやられてしまうかと思ったが非常に元気なものだ。無理もない。彼女は八洲基地にやってきてから一度も基地の外に出ていない。飛行機もタクシーも本当の陸地も、地面も、街並みも、彼女にとっては初めて見るものなのだ。


 対して私はと言えば、景色の変化の無さに少し拍子抜けしていた。八年。あの日議員をしていた方の母に手を引かれ飛び立ったこの街は、まるでタイムスリップしてきたかのようにそのままの姿だ。だというのに、帰ってきた、という気持ちはなかった。生まれ育った街だというのに懐かしさや、そういった感慨というものが何も湧いてこなかった。


 ここは何一つ変わらないのに、私が変わってしまったのだろうか。


 そんなことを考えつつ市街地に到着、降りて近場のマクドナルドで腹ごしらえをし、件の墜落現場まで向かう。思えばジャンクフードも八年ぶりだ。八年経っても変わらず美味しかった。


 郊外にある墜落現場付近は当然ながら封鎖されていた。食堂で流されているドラマとかでよく見たのと同じ、黄色と黒の警告色の主張が激しいテープが張られている。


テープの周囲をうろついていると当然、警備員が声をかけてくる。


「ここで何をしている。3日前から立ち入り禁止のはずだ」


「すみません、妹と二人で叔父の家にお世話になっていたんですが、帰ってくるとこの状態で入れなくて……」


 実際、この規制線の先に昔住んでいた家があったのは事実だが、よくもまあこんなに簡単に嘘がつけるものだ、自分という女は。長らく英語を話すことはなかったにも関わらず存外普通に喋ることができたのが驚きだった。


「ここの住民はすべて政府の与えた仮設住宅に移るよう発令されている。」


「妹の薬だけでも取りには行けないでしょうか。それがないとこの子……」


 後ろのリコを見やる。フードを被って私の後に隠れたままだ。ここでは病弱な女の子のフリをしてもらっている。夏場には似つかわしくないが念のためと着せたそれを警備員は案外都合よく解釈してくれたらしい。暫く悩むような素振りを見せ、こちらを向く。


「そんなに悪いのか」


「薬があれば問題ないのですが……」


 ちょっと俯き、自虐的な笑いを浮かべながらそう言う。


「――網膜情報をこれに登録しろ。1時間で戻れ」


 警備員が端末を取り出す。軍用の複合型端末。一般に流通している板状の通信端末に似た形状をしているがそれより幾分かごつごつとしている。堅牢かつ機能豊富なものだ。それを持っているということはこの警備員はこの国の軍人、もしくはその関係者ということになる。


 私は警備員に従い端末のレンズ部分に目を近づける。出がけに渡された視覚情報記録用のコンタクトレンズが私の虹彩を偽装しているため身元が割れる危険性はない。


 チェックを受けて規制線の中へ。


「ニュースで知っていると思うけど、飛行機の一部が落下したらしい。一応人体に影響はないらしいけど、気をつけて」


 そう言う警備員に小さく手を振って『自宅』へ向かう。ベイカントが侵攻したのはこの国のテキサス州あたりまでだ。東海岸に近いこの周辺では、実際に戦闘機やセヴンスに乗って直接対峙したことのある者以外、ベイカントに対する恐怖感やそれに関する危機感は少ないのだろう。セヴンスの実用化からは戦場が太平洋の基地周辺のみになったこともあり、もう既にベイカントは過去の危機となりつつある。


 アジア・ヨーロッパ方面へは一時期カスピ海付近まで侵攻されたという。故にセヴンスの開発はヨーロッパ系の企業から始まり、現在でも第一線で開発が行われている。その中でも特に元々無人機開発を行っていた北欧企業の機体は安定性に優れており、現在八洲軍でもそのメーカーの機体を基盤に開発を行っている。機体名を北欧神話になぞらえているものは基本的にそのメーカーのものだ。ちなみに今度八洲は初の純国産機を建造するとかなんとか。


 などと考えているうちに警備員から死角の位置まで進んだ。ここも、昔から何も変わらない。人が私たち以外いないという以外は、見覚えのある景色だった。リコに合図してフードを外していいと伝える。


「あつかったー」


「ごめん。けど上手くいったね」


「作戦通り、だね」


 顔を向き合わせてししし、と笑ってやる。スパイごっこ、というか事実スパイなのだが、なかなかどうして面白いと思ってしまう自分がいた。リコもかなり乗り気である。


 紙媒体の指令書の一枚目を開く。墜落位置の簡素な地図と一言汚い文字で、『危なくなったらすぐ逃げろ』とだけ書かれている。それに従って周囲を警戒しながら進む。


 私は突然立ち止まった。意識していた訳ではない。立ち止まるつもりもなかった。私の視線の先には一軒の家があった。そこまで大きいわけでもない、周りの建物と変わりない、普通の家。十五年過ごした家。


「ノルン……?」


「リコ、ここが、私の家――だったところ」


「ここ――? すごい、ノルンの家だ!」


 走って入ろうとするリコを制止する。


「何で止めるの?」


「もう、私の家じゃないから」


 そう言って表札を見る。『Louve』という私の苗字は、どこにも刻まれていなかった。


「ほらリコ、今はほかの人が住んでるから」


「――ただいま」


 リコがつぶやく。なんというか、むず痒い感じだ。けれど、確かに挨拶は大事だ。


「お母さん。ただいま」


 もう私を受け入れることはないかつての家に向かって、そう言う。


「行こう。お仕事しなくちゃね」


 地図を頼りに暫く進むと、家屋が何件も瓦礫と化しているのが見えた。別の路地に身を隠す。


 恐らく墜落現場だろう。目をこらしたものの、本体は当然どこにもなかった。数名の軍人らしき人影がその周囲をうろついている。話を通しているとはいえ流石にこれ以上は難しい。見つかれば八洲の面々にも迷惑がかかる。戻ろう、とリコのほうを振り向いたとき。


 リコが、紅の破片を手にしていた。それは割れたビンのように半透明で、彼女は太陽に透かすかのように掲げている。紅の破片よりも深く赤い髪が陽光を受けきらめく。誰もいない道の真ん中で、ひとり。


 天使のようだ、と思った。


 あれがベイカントの破片なのだとしたら回収しなければ、と声をかけようとした瞬間、その破片は液状に変化しリコの手に吸い込まれていった。


「お帰りなさい――」


 両手を祈るように胸の前で組み、リコがつぶやく。倒れる。何があったのか一瞬分からなかった。私はすぐに駆け寄ってリコの状態を確認する。幸い息はあった。眠っているようだ。熱中症でもない。恐らくさっきの現象の影響だろう。リコにフードをかぶせ、おんぶする。


 リコを背負ったまま指示されたホテルへ向かう。起きたらリコに少し話を聞かなければならない。しかし真夏は蒸し暑い。八洲基地は赤道付近の洋上だが基本的に空調の効いた屋内で生活しているため暑さには弱くなっている。その道中、横断歩道の真ん中で、声をかけられた。


「ノルン……ちゃん……?」


 私の名前。友人も家族もいない私の名前を呼ぶ声。振り向くとそこにいたのは叔母――ジャーナリストをしていた方の母の姉だった。ここにいた頃、両親が不在の際にたまに食事や家事の手伝いに来てくれていた。


「……おばさん……?」


「やっぱり……やっぱり! いつ戻ってきたの? これまでどうしてたの? 家は……」


 質問攻めにしてくる叔母をなだめ、近くの喫茶店に入る。カメラや人がいる都合上一応、私の名前は別の名で呼ぶように頼んだ。思いつかなかったのでネーミングを任せると、『子猫ちゃん』なんて言うので『ウルズ』と呼ぶように言った。


 私が話せることは、ほとんどなかった。今では敵地でもあるこの国で、容易に自分のことは話せない。だから簡単に、かいつまんで、ぼかして、必要最低限の嘘を混ぜてこれまでのことを話した。


 叔母はきっと、私がわざとぼかした話し方をしていることに気付いて、それでも何も言わなかった。


「……ノルン……?」


 あくび交じりにリコがこちらを見る。


「リコ、起きた?」


「この子は……?」


 そういえばリコをどう説明するのかを考えていなかった。


「まあ、何というか……家族みたいなものです。ほら、挨拶して」


 これは、紛れもない事実だ。けれど、同時に自分の目的のために家族を利用してもいいのだろうか、と少し胸が痛んだ。


「そう。てっきり娘かと思っちゃった」


 とんでもない勘違いだ。しかし娘というのもあながち間違いでないかもしれない。だとしたらもう一人の母親はてるだろうか。いや、どちらかというとシスコン姉だ。あれは。


 先輩を思い出す。あの人の家族に、私はなれなかった。あの人の隣には、あの人の最も愛した人がいた。三年経っても傷心は癒えないものだ。全く未練たらしい。沈む夕日を見ながら、そう思った。


「――そうだ。ウル……ウル……」


「ウルズ、です」


「ノルンはノルンだよ?」


「リコ、今は“仕事中”だから」


 なんだか偽名を使うのが恥ずかしくなってきた。けれど叔母の目が急に真剣になり、私も身構える。


「そう、ウルズちゃん。……これ、渡しておくわね」


 差し出されたのは小包だった。一見するとどこかのお洒落な商店の紙袋。中身を確認しようとしたが「これは一人で、あなたが一番安全だと思う場所で開けて頂戴」と言われ思いとどまった。


 私のための荷物を、いつ会えるか分からない、ともすれば一生会えないかもしれない私のためにいつも持ち歩いていたのか。とんでもない執念と言うべきだろうか。流石かつて報道の第一線で戦っていた母の姉だと思った。


 「また会いましょう」。それだけ言って、私たちは別れた。連絡先の交換もしなかった。日が暮れてもこの街は溢れんばかりの人が行き交っている。手をつないだリコとともに流されてしまいそうだ。人の波が、時間の波が、私という存在を流してゆく。変えてゆく。けれど、私を覚えてくれている人がいた。私がここにいた証明があった。そして今、私の隣にリコがいる。それが、嬉しかった。


 それを気付かせてくれた叔母が事故で亡くなったと聞いたのは、まだ暫く先のことである。

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