2-4 故郷へ:Ⅰ

 医務室に向かうと、リコはてるの隣に座り棒付き飴を舐めていた。検査の後にご褒美として必ず貰えるものだ。


「ごめん、お待たせ」


「ノルンおそい!」


 頬を膨らませるリコ。それを見ると自然と頬が緩む。


「照。あのことは?」


「自分で言ってください」


 根に持っているようだ。私は主治医に呼ばれ奥に入る。


 話自体はすぐに終わった。内容は大体いつも通り。リコの身長体重脈拍呼吸血圧からはじまり親代わりである私から見た彼女の所見を話すだけ。たまに自分がカウンセリングを受けているようにも感じてしまう。


 彼女の肉体は限りなく人と同じように作られた未知の物質でできている。当然血も流れているし、あらゆる臓器もその機能も人のものと同じだ。しかし、この三年で彼女の肉体は約七年分成長している。その事実だけで十分彼女を人外の存在と言えた。ベイカントが獲得していた人体を模したパーツ。その完成形が彼女なのだとしたら、彼女は人型ベイカントということになる。


 しかし、しかしだ。彼女には体温がある。心がある。決して空っぽなどではない。あの日リコの体を始めて調べた時、ヒトという存在の再定義を私たちは迫られた。現在は人間として彼女を扱い、このチームで匿っている。それに疑問はない。


「リコは、どれくらい生きられますか」


 一番重要なことを、聞いた。


「全くヒトとは勝手が違うからハッキリしたことは言えないけれど、彼女の体が人体と同じものだと考えるのなら長くて一年。痛み止めが効いていつも通り活動できるのは十か月程度と言うほかない、といったところでしょう」


 人間で言うところの癌に似た症状が、彼女の体を蝕んでいた。肉体の至るところに確認される空白領域。最初は小さいノイズ程度だったそれが、このところ肥大化していた。


 人類にとって癌はすでに克服された病だ。しかしそのための放射線治療も薬も彼女には効かない。そもそも癌とは違うものだ。だから痛み止めとして与えているのが、さっき舐めていた飴だった。


「アメリカに、あの子連れてって大丈夫っすかね」


 医者が馬鹿を見る目でこちらを見ていた。医者も軍医でチームの一員だ。私たちの状況は理解している。


「命に関してはそりゃここだろうがアメリカだろうがそれこそ南極に行っても問題ないでしょうよ。でもね、人として――」


「わかってるよ、そんなこと」


 最低だな、と思った。


「んなこと、わかってますよ……」


 握る手が、痛かった。


 目の前に飴の入った瓶を差し出される。


「念のため一か月分です」


 それだけ言って、医者は奥へ入っていった。やりきれないな、と思った。待合室に戻り、帰る。右に私、左に照が立って真ん中のリコの手を握って、帰る。


 私たちの部屋に着いてすぐ、私はリコに今回の調査のことを伝えた。


「アメリカって、どこ?」


「私の生まれたとこ。まあ、都会」


 ベイカントの墜落したロサンゼルスは、私の生まれ育った町でもあった。一通りリコに危険が伴うことや正体がばれたらいけないこと、ただの外出ではないことを説明する。


「行く。行きたい。ノルンのふるさと」


 リコは迷うことなく、そう言った。


「照にはお土産いっぱい買ってくるから!」


 そう言われた照は、隣で目頭を押さえていた。


 そこからは怒涛だった。期間は五日間。目的は件のベイカントの調査と、里帰り。帰る家などないが、少し長い設定期間はそれも込みということなのだろう。というわけで荷造りだ。一般旅行者を装うための偽装も兼ねた準備はなかなかに重労働だった。昼過ぎに始めて、終わったのは結局夜の七時。夕食は照が作ってくれていた。


 三人で食べて、お風呂に入って、寝る。ベッドの上、右に私、真ん中にリコ、左に照。所謂川の字というやつだ。リコは早々に寝息を立てている。


「リコ、どうなんですか」


「あと一年、らしい」


「そのあとは――」


「多分――」


 そこまで言って、私はやめた。分かりきっていることだし、最後まで言ってしまうと、照が耐えられないと思ったからだ。照は、監視役にしてはあまりに人間的すぎた。


「リコのこと、お願いします」


 わかってる。そう言って、眠りについた。任せろと言う自信は、なかった。




 明朝五時。半分眠っているリコをおんぶして八洲直通海中トンネルのリニアモーターカー発着場に立つ。見送りに来たてる有須あるすすずから視覚情報記録用のコンタクトレンズと手書きの指令書を受け取る。


 専用車両に乗って、八洲へ。約十四時間の超長距離移動。到着する頃には夜だという。はっきり言ってそのままアメリカへ行く方が近いが、八洲軍基地から来た人間がうろついていたらその時点でスパイ認定だ。仕方なくリコと話をしたり遊んだり昼寝をしたりしながら日本国千葉県沖四十キロの地点に存在する八洲の領地である人工島へと到着する。そこからヘリで日本の国際空港へと移動し、すぐ旅客機に乗って出発。これだけで一日が飛んだ。なるほど確かに五日の旅程は妥当だろう。疲れ切ったリコは眠っていた。


 直行便で約十時間。私も眠ろう。リコの手を握り、瞼を閉じる。


 夢を見た。アメリカで何者かがリコを連れていく夢。私の体は抑えられて動けない。雨が降っている。雨と排気ガスの臭いが混じってむせそうになる。脚にひどい痛みがあった。踏まれているだけではない。内部からえぐられるような痛み。痛くて痛くて仕方がなくてリコを助けなくてはいけないのに視界が朦朧として意識がまどろみに落ちて耐えようとしても抗えなくて声もでなくて私は


「ノルン、来るよ!」


 目を覚ます。飛行機の中。確かにここが現実だと認識してあの妙にリアルな夢が夢であることを確認する。


「はら、外!」


 旅客機の小窓から見える雲海。そして、ベイカント。


 目を疑った。数多のベイカントが旅客機を中心に編隊を組んで飛行していた。旧軌道エレベーター倒壊以降、ベイカントが編隊を組んで飛行するなど初めてだった。当然、客室内はパニックになる。日本はベイカントの初期侵攻に巻き込まれた国の一つだった。その時代を知っている者たちは特に騒ぎ立てていたが、若者たちは物珍しそうに写真を撮っていた。


 最前線で戦っていた私はと言えば、恐怖はなかった。


 まるで私たちを、いや、リコを守るかのように、エスコートするかのように静かに飛ぶ彼らの翼は、どこか優しそうにすら見えた。


 旅客機がアプローチに入る。それに合わせベイカントは再び散ってゆく。それぞれの向かう方向へと飛び去ってゆく。


 見えてくる。ワシントンD.C.。ベイカントが堕ちた場所。私がいた場所。これから私たちが向かう場所。


 高度が下がってゆく。ランディングギアが大地に触れる。


 約八年ぶりの、故郷の大地だった。

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