2-6 故郷へ:Ⅲ

 上に指示されたホテルは一般的なものだった。相場などはよく知らないが広くて柔らかいベッドとテレビ、机にライトに観葉植物、風呂も部屋に備え付けられている。先にリコをお風呂に入れ、その間に部屋の物色。電話やテレビ台、観葉植物にコンセント、ベッドの下等を一通り洗い盗聴器やカメラといった不届きなものがないかを探す。


 一通りそういったものがないことを確認し、ベッドに座る。深呼吸をする。ようやく一息つけた気分だ。分厚いカーテンの隙間から街の灯が差し込んでくる。


 シャワーの止まる音がして、リコが出てくる。それをまた浴室に戻して、髪を乾かしてやる。


「そろそろ自分で乾かせるようになってほしいな」


「ノルンにやってもらうのがいいの」


てるは?」


「照もいいけど、ノルンのほうが上手だから好き」


 そう、と言い、続ける。ドライヤーと長いリコの濡れた赤毛の音だけが浴室に響く。




「もし答えたくなかったらそれでいいんだけど、今日の昼間のこと、聞いてもいい?」


「お昼――?」


「赤い破片、拾ったよね」


「帰ってきたんだよ」


「帰ってきた――?」


「そう。探してたところをやっと見つけて、帰ってきたの。最後にがんばって、飛んだんだよ」


「そう、なんだ」


「あの赤いの拾った瞬間、なんかうわーって頭の中に入ってきて、それがそう言ってた。だからおかえりって言った」


 要領を得ない言葉の羅列に聞こえたがあながちそうでもないぞ、と思った。きっとあの周辺には何かある。私たちの、いや、人類すら知らない何か。そしてあの赤い破片――ベイカントの亡骸の一部――は確かにリコの中に吸い込まれた。まるでそれが本来あるべき場所であるかのように。


 リコの髪が一通り乾いたので部屋に戻り二人でカップヌードルを啜る。私はシーフードでリコはプレーン。軍役についてからは間食としてたまに食べていたが照と暮らし始めてからは彼女が完全に私たちの食生活を掌握しているためごくたまにしか食べない。リコがこれを食べるのは初めてだがどうやら気に入ったようで一心不乱に食べている。頬張ってその熱さにはふはふしている姿は小動物のそれだ。少し和みつつ指令書の続きをめくると白紙の中央に大きく


『3日目 自由行動 4日目 1956時の便で日本国成田空港へ』


 とだけ書かれていた。なんじゃそりゃ、と声が出た。その下に小さく『お土産よろしく』とある。拍子抜けと言うか何と言うか、自由に動く国家機密を連れたまま完全アウェーのスタジアムに放り込んでおいてそれかという感想だった。確かにやることはもうないしもう一度あの場所に入り込む策略を今の私は持ち合わせていない。だが、何というかもう少し何かあってもいいではないか。などと考えながらカップヌードルを啜る。濃いめの塩味が心に沁みた。




 深夜。ふと目が覚める。エアコンの駆動音が支配する室内。外は雨が降っているようだ。カーテンの隙間から入り込む街の明かり。気配。隣のリコ、その他に2つ。鍵はかけていたはずだ。強盗、にしては気配の消し方が上手すぎる。足音は厚底のブーツ。薄目を開けて眼球だけで室内を見渡す。影の中に人。装備は明らかに一般人ではない。だとするならば、勘づかれたか。影の一つが近づく。私のベッド。手がシーツにかかる。唾を飲んでしまう。


「こいつ起きて――」


 飛び出す。ベッドからトランポリンの要領で跳躍、接近していた一人にとびかかる。私の膝が胸にヒット、そのまま重力に引かれその不審者は地面に激突、後頭部を打って失神した。すぐさま立ち上がりリコを抱える。リコにカバンを持たせ先程のした不審者を盾にする形で出口に向かう。当然もう一人が出てくる。持っているのは拳銃、とアサルトライフル。用途に応じて自由にカスタムできる米軍のフルアタッチメント仕様だ。まともじゃない。はっきり言って生身の私は強くない。というか弱い。瞬発力と状況判断、そして所謂『勘』を鍛えるための格闘技は一通り教育課程で行ったがいずれも成績は振るわなかった。


 一か八か。盾にしていた不審者をもう一人めがけて突き飛ばす。そのほんの一瞬の隙に扉から出る。銃撃。一心不乱に射線の切れた位置へ向かう。ホテルの明かりは落ちていた。非常灯だけが通路をぼんやりと照らす。


 人数は相当いる。最低3。当然もっといるだろう。では目的は何か。リコはまずない。今日初めて外界に触れ、それまで徹底的に秘匿されていた存在だ。最も可能性のあるのは進入禁止区域への侵入。しかしそれだけでここまで大がかりなことをするだろうか。だとしたら先程受け取った荷物。一体中に何があるかは分からないが、リコや私の存在が割れているという線はなさそうだ。だが。


「てことは私たちの生死は関係ないってこと……」


 それはそれでまずい。というか発砲許可が出ている時点でまずい。幸いここは二階。まずは外に出るところからだ。


 前方から足音。銃を構える。一応持っていけとてるに渡されたものだ。SIG P224の復刻モデルらしい。人に向けて撃つのは初めてだ。クレイドルシステムがあれば外したことなどない銃を暗闇に向ける。引金が重い。ただ、勇気がないだけだ。気持ちを振り切って放つ。衝撃で手が痺れる。同時にリコを抱えたまま駆け出す。弾が金属に弾かれたような音が後方から聞こえる。どうやって下に降りる。恐らく階段は抑えられている。エレベーターは論外。ふと天井に格子が見えた。


 ダクト。リコなら通れる。リコにそれを伝えようとした瞬間、後方が爆ぜた。フラッシュバンでもハンドグレネードでもない。貫かれた外壁。そして紅の外殻を持った、全長15メートルほどの扁平のオブジェクト。


 ベイカントが、墜落してきた。私たちを追う者たちと分断される。配管が破れ汚水がまき散らされる。リコは静かにそのベイカントに近付き、触れ、慈しむように撫でた。するとベイカントの形状が途端に揺らぎ、紫色の粘性を持った液体に変化した。


 雨の降る街明かりに照らされ、リコは言う。


「行こう、ノルン」


 頷き、崩壊した壁面を伝って地上に降りる。ついでにベイカントが変化した液体をすくってカバンのポケットに入れる。雨が降っていた。土砂降りの雨だ。路地に入り撒こうとするがすぐにそれは悪手であると悟る。土地勘のない人間が取るべき選択肢ではない。そうすれば当然、袋小路に陥るのは自明の理。リコの顔を隠す。雨と暑さで思考が揺らぐ。覚悟を決め銃を構えた刹那、前方にいた追手が次々と倒れてゆく。銃声と怒号が建物に反響し、しかしそれは雨音にかき消され、


「迎えに来ました、ノルンさん、リコも」


 そこにいたのは数人の男女――恐らくボディーガード――を引き連れたてるだった。


 照が先導し私たちがそれに続く。


「まさかあんなに早く向こうが動いてくるとは……無事でよかったです」


「こっちは死にかけたんだけど……ちゃんと説明してくれるよね」


 私たちはおとり、というかあの連中を釣るための餌でもあったのか、と気付いた瞬間苛立ちを覚える。


「まあそこらへんは司令に言ってください。私も無理言ってここにいるんで……こっちです」


 川岸に小型のボート。二班に分かれて乗り込みエンジンを吹かす。どこかの映画でありそうな状況だ。ここで夜明けが来れば完璧なのだが。


 結局その後ボートとヘリと大きめのクルージング船に飛行機と例の海底トンネルを経由して八洲基地に帰り着いたのは結局二日後のことだった。


 一通りの報告を済ませラウンジで伸びをする。リコは照とともに自室で旅の疲れを癒していることだろう。


「よく戻ってくれた、ノルン」


 司令の声。


「あんなことになるなら初めから言っといてくださいよ」


「申し訳ない。騙すような真似をした」


 結局分かったことはあまりない。ベイカントについての情報を秘匿しようとする者がいるという確証が生まれたくらいか。叔母に渡された荷物はベイカントの変化した液体の入ったカバンとともに解析に回している。


「まあ、とんだ里帰りでしたけど、無事に帰ってこれたんでいいとしますよ」


 先輩を追うには、どうしようとここにいなければならない。それが事実だ。いや、ただここ以外の場所で生きる方法を見つけることができないだけなのか。


 どちらにせよ、ここの人間は信用できる。そう自分に言い聞かせる。


「小糸大尉からの伝言だ。周詞すのりが呼んでいる。時間のある時にいつもの場所で、とのことだ」


 わかりました、と言って部屋を後にし天螺あまつみ弐型にがたの納められた空間へ向かう。


「ノルンちゃん、お帰り」


 小糸こいと 有須あるす。クレイドルシステムの開発・研究スタッフの小柄な女性だ。今日もぼさぼさの髪を揺らし飄々とした空気を纏っている。


「ただいま、もどりました」


「うん、すずちゃんが呼んでる。ラボにご招待しよう」


 そう言われて案内されたラボは散らかっていた。非常に散らかっていた。足の踏み場もなさそうな室内を小糸さんはひょういひょいと八艘飛びのように進んでいく。ここが私たちベイカント研究チームの主任研究員、周詞すのり すず小糸こいと有須あるすのラボだった。


 何とか後を追い奥のデスクにたどり着くと、いくつもの空間投影式モニターに囲まれた周詞さんがいた。


「鈴ちゃん、連れてきた」


 彼女は「ん」とだけ言うといくつかのモニターを私の前に投影する。


「これは……」


「ノルンちゃんが持って帰ってきた液体の解析結果。確かベイカントが変化したものなんだよね」


「はい……リコが触れた途端、それになったんです」


「映像記録はないし信じられないけど、嘘つく理由ないもんね。だから雨とか配管の水とかの不純物をどけて組成を調べてみたんだよ」


 モニターに二つのテキストボックスが生まれ、そこに文字が羅列されていく。


「右がDDL、左がノルンちゃんの持って帰った液体の組成解析」


「何も一致してないですよ」


「そう。一致しない。けれど一部完全一致の部分も場合によって観測される。けどそれは正しいんだ。DDLはどの物質とも組成が一致しない。というより解析するたび組成が変わる――正しくは私たちが観測できる情報より遥かに膨大な情報がDDLには含まれていて、観測できるのはその一部、というのが鈴ちゃんの仮設」


 円周率の話を思い出した。すべてのパターンの数列が含まれた数列。


「で、私が持って帰ってきたものは」


「同じく、地球上のどの物質とも一致しない」


「ということは、私の持って帰ってきたこれは、DDL、ってことですか」


「そう。お土産お願いって書いたら想像以上のものを持って帰ってきてくれて嬉しいよ。ここで一つ仮説が立てられる」


 何となく次の言葉の予想はできていた。


「ベイカントは、DDLでできている」


 そしてそれが示すことは。


「私たちはベイカントの力を以てベイカントと戦っていた――今はそれはいいか。ベイカントの体がDDLに変化したということが事実なら――」


 赤毛の少女が脳裏に浮かぶ。その表情は笑顔ばかりだ。


「リコちゃん、あの子の体は、DDLでできてる」


 だとしたら、なんだ。


「DDLがただの重力を遮断するだけの物質じゃなく、全ての存在に変化する神の物質なのだとすれば。人さえ模造することのできる物質なのだとすれば」


 そう言う小糸さんは、薄く笑いながら震えていた。


「それが露見し、その方法が確立されたた途端戦争が始まる。DDL研究とDDLそのものを懸けた奪い合いが」

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