4-6 魔剣『不可断』

 魔剣『不可断』は、超常の剣の中でも奇特な剣だ。その理由は、保有する力そのものではなく、その力の発生源にある。

 魔剣『不可断』の固有能力は『触れたものを切断する流体の生成と操作』。そして、それは剣ではなく鞘から発生する。もっと正確に言えば、魔剣『不可断』は鞘の形をした魔剣だと言うべきだろうか。

 そもそも、魔剣というものは必ずしも剣の形を保っているとは限らない。ナナロの剣、奇剣『ラ・トナ』が出来損ないの短剣のような捻れた刃を持つように、その形状が単に人の言う剣に似ている事が多いだけであり、魔剣の定義は現行の常識ではあり得ない超常の力を保有している事ただ一点のみ。つまるところ、魔剣『不可断』はただ形状が人の言葉で言う鞘に似ているだけの『魔剣』に他ならない。

 だが、その単なる奇形は俺にとっての切り札の一つだった。剣と鞘、一対のそれらを携えた姿を見て、鞘の方が魔剣であると気付く者は少ない。事実、虜囚として囚われた時も、魔剣『不可断』は奪われる事なく俺の手元に残っていた。

 だからこそ、ここで俺はアンデラに抗う事ができた。

 それでも、隠し持っていた切り札を切り、最初の交錯で腕を一本奪ったとしても、俺とアンデラの力関係は後者に傾く。

「異形の剣……だけど、戦力としては並らしいね」

 腕の断面を雷撃で焼きながら、アンデラは冷静に告げる。

 魔剣『不可断』の力を解放したところで、俺が剣使として二流である事自体には変わりはない。『不可断』の力、触れたものを切断する流体の生成と操作は性質としては強力なものではあるが、肝心の操れる流体の量が非常に少ない。俺が扱う場合、体積にして一般的な剣の刀身程度が精々だ。

 つまるところ、真正面から戦闘に使うなら、魔剣『不可断』は良く切れる剣の延長程度のものでしかない。アンデラは『不可断』の力の全てを知っているわけではないが、悟られるのは時間の問題だ。

「ああ。だから、こうなるのは避けたかった」

 俺にとって、剣使との戦闘は無謀だ。だから本来、魔剣『不可断』を抜く時には一撃で終わらせるべきだった。

 それができなかったのは、俺とアンデラが互いに、同時に相手を葬る決断をしたため。その引き金となったのは、ハイアットで起きているという武力騒動の報告だった。

 あの瞬間に、俺の価値は落ちた。悠長な根回しや交渉ではなく武力による制圧が必要となった段階で、俺をホールギス兄妹やリースとの交渉に使う事は難しくなった。あるいは事前の説得が成功していれば多少の戦力として見積もられていた可能性もあるが、心を読む魔剣でもない限り説得の成否など確信できるわけがない。

 だから、アンデラが俺を処分しようとするのは明白で、それを俺が悟るのも自明。だとすれば、どうあってもここで対立が生じる以外の結果はあり得なかった。

「だけど、こうなったからには俺はお前を殺す。喜んで、殺させてもらう」

 状況はお世辞にも良いものとは言えないが、俺の口元は自然と吊り上がっていた。

 俺は、アンデラが憎かった。

 クーリアを道具として扱うアンデラに憤りを覚えていたのだろう。それは、あるいは八つ当たりに近い感情なのかもしれない。クーリアの処遇は軍の意向であり、アンデラが全てを決めたわけではない。更にその軍の決定も必要に迫られてのものだ。そもそも、クーリアを人造魔剣に造り変えたのは軍ではなく旧ハイアット市であり、アンデラ一人に怒りをぶつけたところで大した意味はない。

 だが、それでも俺はアンデラが憎い。そう感じているのが事実、それ以外の理屈は全て後付けのものに過ぎない。

「……死ね」

 躊躇を情動で破り、前傾でアンデラへと突進。

 結局のところ、俺の戦闘手段は近接戦以外にない。『不可断』の射程内まで接近し、生成した流体で切り飛ばす。やる事自体は剣のそれと大して変わりはない。

「――っ、フっ」

 胴を狙って放たれた雷撃を『不可断』の刀身、鞘の腹で止め、足元を這うように迫る雷は跳躍で回避。更に宙に放たれた雷の槍には『不可断』の力、流体を割り込ませて対応する。

 聖剣『アンデラの施し』の力は雷。本来なら反応すらできない超高速の力に、しかし俺は勘や運ではなく後出しの対応ができていた。その理由は、『アンデラの施し』の力の持つ性質自体にある。

 聖剣『アンデラの施し』は、雷を生成する直前に一度、僅かに光を放つ。そして、雷はその光の軌道を追うようにして放出される。これまでに二度アンデラと対峙した事により、俺はその性質に気付いていた。

 雷の牽制を抜け、そのままアンデラへと距離を詰める。それを迎え撃つべく、アンデラは左手一本で『アンデラの施し』を握ると、半身の姿勢で構えを取った。

 そして、光の線が俺の頭部へと飛ぶ。

「――チッ!」

 頭部への放雷を、俺は『不可断』の流体を向けて防御。そして、同時に『不可断』本体による刺突をアンデラの胸部へと放ち――勢いのままに宙を切る。

 アンデラは、俺の刺突を寸前で斜め前に跳ぶ事により回避していた。

 互いの身体が交差する瞬間、『アンデラの施し』の斬撃が脇腹を目掛けて襲い来る。体勢の崩れた俺は無理矢理地面を蹴ってそれを躱すも、短剣の切っ先から放たれた雷撃に対処する手段は皆無。直撃を甘んじて受け入れるしかない。

「……っ、くっ……そ」

 飛びかけた意識が、転倒の衝撃で復活。身体、特に雷撃を直接受けた右半身は痺れに覆われ動きが鈍るも、『不可断』を取り落とす前に左手に握り変え、弱みを見せないよう体重移動で出来る限り滑らかに立ち上がる。

 これが、俺とアンデラの力関係を決定付ける最大の要因。

 アンデラ・セニアが俺よりも近接戦闘に長けている可能性こそが、彼と対峙するに当たって俺の最も憂慮していた事だった。

 正確には、剣術で劣っているわけではない。アンデラの反応速度と膂力は異常だが、剣筋自体は基本の域を出ておらず、先読みと技術で対処できるはずだ。

 そして、聖剣『アンデラの施し』の力自体も、他の超常の剣と比べた場合、俺にとってはそれほど驚異的なものではない。超高速の遠距離攻撃は、しかし予備動作がある以上対応できないものではなく、対処し損ねたとしても一撃で戦闘能力を奪われるほどの威力を持ち合わせているわけでもない。

 ただし、その二つが合わさったアンデラ・セニアという剣使は厄介極まりなかった。遠隔では俺に攻撃手段がない以上勝機はなく、接近したところで反応速度に優れたアンデラを切り捨てるには手数が必要、その手数を重ねるより先に雷撃が俺を捉える。現状、どう想定したところで俺が優位に立てる状況は見当たらなかった。

「クソ……この、魔剣使われがっ」

 口にした言葉が負け惜しみである事は、俺自身も理解していた。

 クロナの言った通り、聖剣『アンデラの施し』が雷撃の放出と身体機能の増強を兼ね備えた剣だとしても、こちらも魔剣『不可断』の力、流体の操作を使っている以上、条件はあくまで五分。自らの身体機能を聖剣の力に左右されるアンデラを魔剣使われと罵ってみたところで、そんな言葉遊びに意味はない。

 結局は、同じ事なのだ。どうあっても剣使は、魔剣は理不尽で、それでも俺は屈するわけにはいかないというだけの事。

「・・・・・・・・・・・・」

 苛立ちを抑え、息を整え、正眼の構えでアンデラを見据える。

 今に俺にとって、取れる手段は一つだけ。少しでも視界からアンデラを外せばその瞬間に雷撃の餌食となる以上、逃走は不可。そして、遠距離、近距離問わず戦闘に使える道具は魔剣『不可断』、この手に握った鞘たった一つのみ。接近して斬る、それ以外にはない。

「君を殺すつもりはない。だから、大人しく倒れた方がいいよ」

 だが、アンデラはその接近すらも拒む。

 放たれる雷撃は連続、足から頭、腕に胴。

 如何に光が前兆を告げるとは言え、雷撃の速度自体は超速。鈍った身体では加速した連撃を凌ぐだけで精一杯で、前進を考える余裕はない。

 もっとも、この均衡はいつまでもは続かない。剣使の力は有限、無為に剣の力を放出していればいずれ剣を扱うための力、剣気が尽きる。これまでの様子からして、雷撃の連打は聖剣『アンデラの施し』の扱う力としては大規模なものだ。俺を倒したところでハイアット軍事都市の問題が全て解決するわけでもない以上、ここで攻勢を続けて消耗するのはアンデラにとって望ましい展開ではないはず。

「――何をしている!」

 もっとも、時間切れはそれとは別の形で訪れた。

 俺とアンデラの交戦、それを目に留めたのは軍服を身に着けた一団。ここがハイアット軍事都市の真っ只中である以上、軍人との遭遇はむしろ当然だった。一対一ですら劣勢である現状、他の兵士まで敵に回れば詰みは更に近付く。

 つまり、ここで決めるしかない。

 だが、今の挙動ですら俺の限界に限りなく近い。連続する放雷を全て捌きながら、その上で更に攻勢に打って出るのは不可能だ。

「……くっ、ああぁ!」

 だから、喰らう。

 一撃目の雷に視界が暗転。二撃目の衝撃が意識を再覚醒させるも、半身で前にして受けた右半身の感覚が消失。それでも、地面に突き立ったままの右足は軸にはなる。

 彼我の距離は三歩強、自らの身体を鑑みるに詰めきるのは困難。

 それは想定内だ。最初から無理は承知、それでも強引に動くしかなかった。だから、このまま悪足掻きをするしかない。

 左足で地面を蹴り、身体の反転と同時に左腕を外から振り抜く。握力を緩めた左手に握られた鞘、魔剣『不可断』は腕と身体の勢いそのままにアンデラへと射出される。

 つまるところは、単純な投擲。アンデラの目は雷を喰らいながらの俺の強行への驚きもあってか一度見開かれるも、それは反応の遅れには繋がらず、直後に横へと跳んだ。アンデラの取った対応は回避、短剣での迎撃よりも直撃を逃れる方が容易と考えたのだろう。その判断は間違っていない。

 間違っていたのはそれ以前。俺の、そしてアンデラの状況認識だった。

「――っ……カハっ」

 アンデラは回転しながら飛来する魔剣『不可断』、そしてそこから伸びた流体の両方の届かない位置へと跳んでいた。完璧な回避、俺の打つ手は全て封殺された。

 だが、その口の端からは紅が溢れる。同時に脇腹から噴き出した血が、明後日の方向から飛んできた銀色の円盤を紅く染めていた。

 円盤の射出点は増援。そう俺が勘違いしていた軍服の一団の内、先頭に立った男の手にした曲剣だった。つまり、彼らはアンデラではなく俺に対する救援を行っていた。

「チィっ――」

 そして、アンデラがそれに気付くのは早かった。

 浅くない傷を受けながら、回避の足を逃避へと転換。更に向かってくる銀盤、そして足元から生える土の杭を身のこなしだけで凌ぐと、アンデラはそのまま援軍から見て死角にある建造物の影へと走り去っていく。

「――逃げました、かね?」

「多分ね。正直、こっちとしてもその方が助かるけど」

 援軍の内の二人、共にアンデラへと力を向けた男と女が、土と銀盤の盾を築きながら言葉を交わす。

「……お前達は? 俺達四人の他にも、侵入者がいたのか?」

 剣使の力を振るう二人に、その背後には更に男が二人。全員が軍服姿で、どの顔にも見覚えはないが、アンデラに力を向けたという事は軍の人間ではないのだろう。

「いや、俺達は侵入者でも反逆者でもない。それを始末しに来た側だ」

 返答したのは、手前の強面の男。だが、それではまだ意味がわからない。

「あなたは、シモン・ケトラトスですね?」

「……ええ」

 男を腕で制して前に出た女の問いには、警戒しながらも真実で答える。

「私達は、ハイアット軍事都市における独断研究を是正するために国防軍本部から派遣された部隊です。つまり、今この場において、あなた方はすでに身分を隠して潜入した侵入者ではなく、我々の正当な協力者という事になります」

「国防軍、本部……?」

 そして告げられた内容に、ようやく理解が追いつく。

 つまるところ、彼らはハイアット軍事都市の思想と対を成す国防軍穏健派。国防軍の内部闘争の過激化による余波が、結果として俺の利へと働いていた。

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