2-4 ホールギス兄妹
「シモン君、か。クロナも面白い子を見つけてきたね」
郊外にある巨大な屋敷、シモンが傷の治療のために姿を消したその広間は、普段よりも一際静寂に満ちていた。
「――面白い? 殺そうとしたのに?」
元より、広すぎる空間を持て余すように、住人はたったの二人。その片割れの少女が常の騒がしさを潜ませ、代わりに重い殺気を纏っている状況でも、片割れの青年は口元に笑みすら浮かべていた。
「僕が殺そうとしていたならシモン君は死んでいた。彼もそう言っていただろう?」
「なら、言葉を変える。使えばシモンは死ぬだろうと予想しながら、ナナロは『ラ・トナ』を使った。違う?」
ナナロの言葉を予想していたように、クロナは更に声でにじり寄る。
「どうしてそう思った?」
「『ラ・トナ』の初撃、私がシモンと同じ状況なら死んでた」
「…………」
無言は、つまり肯定だった。
ナナロの知る限り、彼の妹は最強の剣使であると同時に世界で十指に入る剣士だ。そのクロナに避けられない不意打ちは、つまりほとんどの人間には避けられない。当然、ナナロには刃を突き出すまでシモンがその例外である確信などなかった。
「なら、どうして止めなかった?」
「気付いた時には、もう遅かった。それに二撃目からは、そもそも殺す気がなかった」
「それでも万が一があるだろう。本当に彼が大事なら、止めるのが一番だったはずだよ」
「…………」
無言は肯定、今度は妹が押し黙る。
「クロナも、彼を試したかったんだろう?」
「私は――」
「責めるつもりはないよ。シモン・ケトラトス、彼は異様だ」
ナナロがそう語るのは、紛いなりにも聖剣『ラウルの慰め』、そしてナナロの本来の剣である奇剣『ラ・トナ』の攻勢を凌いだ反応速度と剣術の技量について、ではない。
「クロナは僕が彼を殺すつもりだったと言ったけれど、それは正確には間違いだよ。むしろその逆で、多分シモン君の方があの場で死ぬ覚悟をしていたんだと思う」
シモンの剣術が如何に優れていようと、それだけで『ラウルの慰め』の旋風に飛び込むような真似は無謀に過ぎる。ゆえに、ナナロはシモン・ケトラトスが剣術の他に何か奥の手を隠し持っていると予測して『ラ・トナ』の一撃を放った。
だが、結果としてそれを退けたのはシモンが魔剣『不可断』と呼ぶ剣の刀身、純粋な反応速度と突出した剣術の技量だった。
「シモン・ケトラトス。ハイアット実験都市の生き残り、その片割れか。あるいは、彼を引き入れたクロナの判断は良くも悪くも大きく影響するかもしれないね」
「……知ってたの?」
まだ語った事のないはずのシモンの素性を口にしたナナロに、クロナは目を見開く。
「唯一の肉親、妹の恋人の素性を調べるのは当然だろう。例え、調べるまでもなくそれが嘘にしか思えなかったとしてもね」
「なるほど……ね」
クロナも当然、自分の突拍子もない嘘を兄が信じるとは思っていなかった。そして、ナナロがシモンについて調べるであろう事も予想していた。
誤算は、ナナロがシモンの素性に辿り着くのが早すぎた事。そこまでわかれば、彼が人造魔剣の破壊に携わろうとする理由も自ずと浮かび上がってくる。つまりその時点で、シモンの目的を偽るクロナの嘘は意味を成さなくなっていた。
そして、だからこそナナロはシモンを殺す事を躊躇わなかったのだろう。
ナナロ・ホールギスは基本的に温厚な性格をしている。彼を良く知る者はそう語るが、彼を最も良く知る妹、クロナ・ホールギスはそれに同意しない。ナナロが情を抱くのは自分自身とその妹、ナナロに対してのみ。それ以外の者には表面を取り繕ってはいるものの、数字と理屈以外の物差しを向ける事はない。
限りなく疑わしい妹の恋人に対しての情はなくとも、それを介してクロナを傷つける結果をナナロは望まない。そんなクロナの推測が正しいかどうか以前に、シモンの正体を看過していたナナロにとってその肩書は無意味でしかなかった。
「覚えておいた方がいいよ。たしかにシモンは私の恋人じゃないけど、私は彼を使い捨てるつもりはないし、ナナロにそれを許すつもりもない」
だから、クロナは今度こそ真正面からそう告げた。
「……ああ、覚えておくよ。今の彼は僕達と対等の立場だ」
頷くナナロを信じる事はせず、それでもクロナはそれ以上の追求を止める。
「最後に一つ、私も聞かせて」
「何かな?」
「どうして、シモンが私の恋人だと思ってるフリをしたの?」
そして、ただ純粋な疑問を投げかける事にした。
「だって、その方が面白そうだったからね」
「……クソ兄貴」
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