2-3 剣士と剣使
剣は、魔剣は命よりも重い。
誰に告げられたわけでもなく、ただその時の目の前に存在する世界において、その事実は揺るがしようのないものだった。
だから、感じた。
俺達は剣に使われている。剣を使うために人を使う側の人間だったはずの俺は、しかし結局は自分も剣に振り回されているだけに過ぎないと直感していた。
それは絶望であり、諦観であり、そして――おそらくは一種の救いでもあったのだろう。
「それは、本気で言っているのかい?」
「ええ、残念ながら」
だがそれは、あくまでかつての俺の自分自身の状況に対するものでしかない。
ナナロ、そしてクロナは剣使だ。剣をもって名を馳せ、複数の剣を手元に置く。彼らを魔剣使われと詰るのは、負け犬の遠吠えに過ぎないだろう。
「ここにあるどの剣も、俺には使えません」
だから、素直に負けを認める事にした。
「……信じられないね。この場に用意した剣は、それぞれに性質も大きく異なるものだ。そのどれとも適合しないなんて、相性が極端過ぎる。あるいは一切の適性が無いのか――いずれにしても、そんな話は聞いた事がない」
剣使の才は、一般に適性と呼ばれる『どれだけ剣の力を引き出せるか』という点において語られる事が多いが、それとは別に剣との相性というものが存在する。
剣との相性は、つまり一か零か。手に取った瞬間に超常の力を感じ、その剣の名前が自然と頭に浮かぶか、あるいは否かという二択でしかない。前者であればその剣は程度の差こそあれど扱う事ができ、後者の場合は逆にその剣の一切の力を使う事ができない。ただ、多くの人間にとって相性の悪い剣などごく稀にしか存在しないため、あえて意識される事の少ない要因だという話ではあるのだが。
「シモン君が嘘を吐いているのか、それともそうではないのか。どちらにしても、ここでの結論は変わらない」
理由や理屈はともかく、この場ではナナロの言葉が正解だ。
「シモン君は、元々の所有物であるその剣を使う事になる」
他に選択肢がない以上、それは必然。今この場で俺に扱える超常の剣は、魔剣『不可断』をおいて他にない。
「だけど、その剣は――少なくとも僕達が確認したところでは、その剣は魔剣とは呼べない」
ナナロの言葉に、クロナも小さく頷く。
俺が九本の剣を試している間、クロナとナナロもまた俺の剣を手に取り、その力を確かめていた。その上で、二人はその力を否定した。
もっとも、それも無理はないだろう。俺の剣が単体で持つ力は刃に触れたモノの切断、性質的にも戦力的にもただの剣の延長線上のものでしかない。つまり、剣使として戦うにはあまりに無力過ぎる。
「僕には君の……君達の考えはわからない。だから、ただ結論だけを伝えよう。現時点の情報から判断すると、君を人造魔剣の破壊に関わらせる事はできない」
ナナロの言葉は至極妥当なもので。要するに、超常の剣を扱えない俺は足手まといだという事だろう。あるいは、仮に用意された剣を使う事ができたとしても、扱える力の程度次第ではナナロは俺に戦力外を告げるつもりだったのかもしれない。
「それは……困りますね」
とは言え、俺としてはそれに黙って従うわけにはいかない。
「それでも、着いて行きます。この剣でも、俺は戦える」
「そうかもしれないね」
悪足掻きにも似た俺の言葉に、しかしナナロは驚くでも撥ね付けるでもなく頷いた。
「なら、試してみよう」
そして一言、それと同時にナナロの手首が返る。
瞬間、風が吹き荒れた。
「――っ」
咄嗟に抜き放った剣を前に構えて盾にするも、刃の幅では風を防ぎ切るにはとても足りない。浮きかける足を堪え、だが腕に走った痛みに自ら後方に跳ぶ。
開いた彼我、ナナロまでの距離はおよそ十二歩。ナナロの手の先には、この場に用意された九本の超常の剣の内の一本が握られていた。
「くっ……」
俺が体勢を立て直すよりも先に、再びナナロの左手が動く。ナナロの、彼の手にした剣の力は風。短い音と共に迫る無色透明の空気の刃は、とても人の足で回避しきれるような範囲には留まらない。咄嗟に木の影に隠れて難を逃れるも、それ以上は手詰まり。俺に遠距離からの攻撃手段は無い上、壁にした木もおそらく長くは保たない。
これがナナロの用意した力試しだというなら、俺にとっては相性が悪すぎる。ナナロの手に取った剣、『ラウルの慰め』が操る力は風。遠距離から一方的に叩きつけるようなその力には、刃で斬りつける以外の戦闘方法のない俺では手も足も出ない。
「っ、ははっ」
ふと、零れたのは自嘲の笑みだった。
俺が無力なのは、何も『ラウルの慰め』相手に限った事ではない。大抵の超常の剣は遠距離からの攻撃を可能とし、そうでない一部の剣であっても近距離戦においては人を遥かに凌駕する力を持つ。中には微弱な力しか持たない例外もあるが、そもそもそんなものは有用な剣として剣使に扱われる事すらないため想定する意味はない。
理不尽で絶望的、そして不条理。それが魔剣の類だという事は、とうの昔に知っていた。
劣勢を承知で、その上で取るべき行動を分析する。
魔剣『不可断』には、遠距離からナナロに攻撃を仕掛けられるような力はない。ゆえに選択肢は二択、攻勢に出るか、それともこのまま守勢を続けるかだ。
超常の剣の力を扱う際には、体力や熱量、あるいはその他の剣使の身体に自覚や観測され得るような消耗というものはない。だが、それでも超常の剣の力は決して無尽蔵というわけではない。
超常の剣の力を引き出す際、剣使は現行の技術では観測できず自覚もできない何か、俗に剣気と呼ばれるものを消費していると仮定されている。その根拠としては、剣使が超常の剣の力を使い続けた場合、ある一時を境に一切の力を扱う事ができなくなるため。そうなった場合の剣使が他の剣を手に取った場合も結果は同じで、反対に他の剣使が剣を手に取った場合は問題なく力を扱う事ができるという検証結果もあって、消耗は剣ではなく人の中の剣気である、あるいは少なくとも人の消耗の方が剣のそれよりも早いというのが通説だ。
つまるところ、ナナロが剣気を使い果たすまで耐えれば、俺から攻勢に出ずとも勝機がないわけではない。剣気の消耗具合は一か零、力を使えなくなるその時まで一切自覚はできないため、ナナロが消耗を見誤る可能性もあり得る。
「白旗を上げるなら、そう言ってくれて構わないよ。無意味に君を傷つけたくはない」
もっとも、ナナロの声には当然の余裕。
そして、その降伏勧告とは裏腹に、風はナナロの声を掻き消すほどの勢いで俺の隠れる木へと殺到し続けていた。やはり時間稼ぎなどは大甘な楽観で、すぐにでも木は薙ぎ払われ俺は『ラウルの慰め』の生み出した風に真っ向から晒される羽目になるだろう。そうなればもはや、俺に防御手段などは存在しない。ナナロの剣気の消耗など待つよりも早く、塵屑のように引き裂かれるはずだ。
「……安いもんだ」
この一瞬で、膠着を保つ選択肢も潰された。
だが当然、それも想定内だ。
ならば取るべき行動は一つ、ナナロへの前進。他の手段も、選択肢も存在しない以上、そこに迷いが生じる余地はなかった。
木の影を出た瞬間、風が前進を後ろへと押す。それでも、前へと進む。
「なっ――」
吹き荒ぶ風音の中、聞こえたクロナの声は悲鳴にも似た驚愕。だが、女の姿は視界の端で動きかけた形のまま止まっていた。
そう、助けなど要らない。烈風の中、それでも俺は命を繋ぐ事ができていた。
『ラウルの慰め』の操るのは風。しかし、厳密にはそれも二つに分けられる。
一つは今も俺の身体を面で叩く空気の流れ。だが、『ラウルの慰め』の攻撃手段はもう一つ、空気の流れに混じった鋭い風の刃こそが殺傷能力の主たる部分だ。
初撃、全身で風を受けたはずが、腕の一部だけが切り裂かれた事。そして、盾にした木が吹き飛ぶのではなく引き裂かれるように破壊された事で、俺は『ラウルの慰め』の性質に当たりを付ける事ができていた。ならば、後は風刃の部分に俺も刃を合わせるだけでいい。
俺にとって幸いな事に、超常の剣の類は、それぞれ固有の力に加えて全ての剣に共通した能力、あるいは性質を兼ね備えている。
それが、自身以外の発する超常の力の無効化。
もっとも、無効化と言っても大層なものではなく、力の内の刃に直接触れた部分だけを消し去るというごく小規模なものだ。よって、突風の全てを無効化する事はできないが、その性質は風刃を掻き消す助けくらいにはなってくれていた。
「シモン!」
再び、響いたのはクロナの悲鳴。それは、おそらく俺の首筋から吹き出た紅に対してのものだろう。。
如何に風刃を打ち消せると言えど、それは触れられればの話だ。吹き荒れる風の中、無数に生じる風刃を全て見切り全てに刃を合わせるような芸当は、俺では不可能に近い。
それに、そんな芸当は不要だ。傷など受けても構わない。生きて目的を達成できれば、それ以外の事はどうだっていいはずだ。
「…………しよう」
一人、おそらく誰に伝えるためでもない呟き。
微かにナナロの零したそれが聞こえたのは、風音が止んだからだった。『ラウルの慰め』はナナロの手を離れ、しかしいつの間にかその手には短剣が握られていた。
彼我の距離はまだ『不可断』の間合いの外、だがナナロは俺の剣の半分ほどしかない長さの短剣を愚直に前へと突き出した。
瞬間、視界の端に鈍い光が掠めた。
「痛っ……」
切り裂かれたのは胸、その表面の皮。もっとも、それで済んでいたのは幸運だったというべきだろう。前進を緩め、後ろに跳べたのは直感と予感によるものでしかない。それも、時が違えば従わなかったかもしれない程度のおぼろげなものだ。
「……へぇ」
感嘆の声の意味は考えない、その余裕はない。
俺の視界の端、死角ギリギリから飛んできたのは歪に捻れた形をした刃だった。そしてそれと同じ形の血を滴らせた刃が今、ナナロの握る剣の柄から生えている。
投げた、というわけではないだろう。刃を遠隔操作する力にしても、着弾から手元に戻るまでが速すぎる。もし刃がそれほどの超高速で飛来していたなら、俺は回避どころか知覚すらできなかったはずだ。だとすれば――
「っぁ!」
再びの刃には、俺も剣を振って迎撃。剣越しに硬質の感覚が腕に伝わるも、次の瞬間には全く別の方向から襲い来る刃に身を捻って躱す。更に崩れた体勢への宙空からの刺突には、辛うじて引き戻した刃を割り込ませて防ぐ。
ナナロの剣の力、視認する限りその正体は『自身から離れた空間から刃を生やす』というものだ。あまりにも不条理なその力には、反応だけならまだしも、回避と防御を追いつかせるのには限界がある。
だが、それも結局は先程と同じ事だ。防ぎきれないのであれば、その前にナナロを斬り伏せるしかない。
宙から伸びる刃は腕や脚、胴に頬へと傷を刻んでいくが、どれも浅く俺の動きを鈍らせるには至らない。そして、傷が一つ増えるごとに俺とナナロの距離は縮まっていく。短剣の性質は異様ではあるが、全身で風の抵抗を受けない分、俺にとってはむしろ『ラウルの慰め』を相手にするよりはやりやすい。最初から距離がそれほど離れていなかった事もあり、ナナロの身体が俺の間合いに入るまでは一瞬だった。
「フ……っ、ッ」
左に流れていた剣を腰元まで落とし、居合の動きで一気に抜き放つ。先端はまだナナロに届かない、だがそれでいい。
「!」
俺の放ったそれは投擲。横薙ぎの勢いで振るった剣を、そのまま手元から放り出し前方へと飛ばす。横回転で飛んで来るそれを歪に捻れた短剣で防ぐのは容易ではないはず。それにもし防げたとしても――
「――なっ」
だが、ナナロは、剣の投擲を防ぐのではなく避けた――おそらく、そうなのだろう。正確には、ナナロは一瞬にして俺の目の前から姿を消した。
「驚いたよ、シモン・ケトラトス。そして、納得もした」
声の発生源は、俺の背後。
「君はとても優れた剣術使いだ。クロナが君に惹かれたのも、それが理由だろう」
首で振り向いた先、ナナロの腕の先の刃は俺の背に、そして俺の後ろに伸ばした腕、その先に伸びた魔剣『不可断』、その鞘はナナロの喉元に突き付けられていた。
「まさか、だな。下手な褒め言葉はやめろ」
短剣を引くナナロを見て、俺も警戒しながら鞘を引き戻す。
「お前の剣の力は、空間転移だ。つまり、俺の背後から刃を生やせばそれで終わってた」
刃だけならともかく、ナナロ自身までもが位置を転移した事で、その剣の力の正体は明らかになった。短剣を手元に引こうと、そこから一歩二歩と離れていこうと、ナナロはその気になれば今にも俺へと刃を伸ばす事ができる。いつでも俺を殺せる。そうしていないという事は、つまりこれまでの攻防はナナロにとって単なる力試しだったという事だ。最初からそのつもりではあったはずだが、いつの間にかそんな事も忘れるほど必死になっていた。
「正確には少し違うかな。この奇剣『ラ・トナ』の力は空間の歪曲。転移はあくまでその引き起こす結果の一つだ」
答え合わせをする青年の瞳は、自身の剣をどこか複雑そうに眺めていた。
「それに、背後からやれば勝てたというのも正しいかどうか。初撃はともかく、二度目からの君の反応速度なら対処されていたかもしれない。背後からの攻撃では、君の接近を妨げる事もできないしね」
「だとしても、本気ではなかった。転移で逃げながら戦う、攻撃手段を変える、他にもいくらでもやりようはあったはずだ」
最後にわざわざ背後を取って直接刺しに来たのもそうだが、ナナロは俺の土俵に上がって戦いすぎていた。俺の力を試すためだったのだろうが、俺が剣を手放した時、いや、それ以前から距離を取りながら戦っていればナナロは負け筋がなかった。
「君の方こそ、あまり僕を過信する事はないよ。『ラ・トナ』の力は、君が思っているほど万能ではない。そもそも、僕が不意打ちで始めておいて全力で殺しにいったら、それこそ対等な条件とは言えないだろう?」
「……なら、それでいい」
不毛な譲り合いは、結局はどこまで行っても答えの出るようなものではない。それに、今は他にするべき事がある。
「それで、結果は? これで認めてもらえたって事でいいのか?」
不意打ちで殺しに来たなら目的は俺の死で済むが、力試しなら他に目的が要る。この状況での目的は、俺を人造魔剣の破壊に同行させるか否かを確かめる事以外にない。
「ああ、そうだね。認めざるを得ないだろう。そして、君は今をもって正式に僕達、世界平和維持協会の理事だ」
そして、俺は晴れて人造魔剣の件に関わる許可と胡散臭い組織の理事の立場を得た。
「いや、それは要らん」
とりあえず今は、人を一方的に危険に晒しておいて下らない冗談を飛ばす男の顔色を伺わずに済むようになった事が何よりも喜ばしかった。
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