1-3 国防軍上等兵 リース・コルテット

 依頼人の指示に従い金庫を開けるのは、誇張でなく一瞬で終わった。

 こうなるとむしろ往復時間を勿体なく感じるくらいだが、仕事の簡単さに比べて十分過ぎる報酬が手に入ったと思えば、腹が立たないどころかありがたい事には間違いない。

「……これからどうするかな」

 ただ、中途半端に空いた時間の処理にはどうにも困る。元から剣を振るくらいしか趣味らしきものもないが、今から再び剣術場に向かうのもどうにも間抜けで、だからと言って家であり店でもある場所に戻ってやるべき事もない。

 結果として、俺は目的を決めずに街を徘徊する事を選んでいた。

 現在俺の暮らすラトア市は、その中心に国防軍本部がある事からリロス共和国における軍事の中心部として知られる。都市の発展度合いでは中部に位置する経済都市群には劣るものの、市街に出れば必需品から嗜好品まで一通り揃う程度には都市としても栄えており、適当に見て回るだけでも暇潰しには事欠かない。

「号外! 号外!」

 見るだけならそれなりに好ましい(買うには高価すぎる)絨毯屋の窓の外から値札の0の数を数えていると、軽快な足音と共に甲高い声が近付いてくるのが聞こえた。

 と、思った瞬間には、手の中には一枚の紙。

「……やるな、配り子」

 国営新聞社は、こうして時たま街中で号外を配る事がある。そして、それを配る彼ら彼女らは相手の意思を無視して新聞を押し付ける事に関してとてつもなく高い技量を持っていた。これまで気付いて拒否できたのが一度、受け取らされたのはこれで三度目で、それなりに鍛えているつもりの俺でも勝率は一勝三敗と著しく低い。こうして受け取ってしまったからには、善良な市民である俺としては道に放り捨てるわけにもいかず、配り子の思惑通りひとまず紙面に目を通す。

「…………」

 そこに書かれていたのは、やはりというべきか特に大規模なものでもない国防軍の反乱鎮圧活動における功績で。真面目に読む気もないので、手の中で丸めて握りつぶす。

 国営新聞社が国防軍と繋がっているというのは有名な話だが、こうして号外を配る事で国防軍のイメージアップを計る事にどれほど意味があるのかは疑問だ。今でも市民がは軍に対して激しい不満を募らせているというわけではないし、だからと言ってそれ以上の英雄視を求めるのは流石に難しい。

「帰るか」

 なんとなく気勢が削がれてしまい、爪先を家路へと向け直す。本来なら、今は家で依頼を待っている時間だ。どうせ依頼など来ないだろうが、時間を潰すのには慣れている。

「ん?」

 ほどなくして仕事場兼依頼所でもある自宅の前まで辿り着くと、見慣れない人影が扉の前に立っているのが見て取れた。

「……噛み合わないな、色々と」

 徘徊を手早く切り上げた事を後悔するが、やはり今更引き返すつもりにもならず、人影へとゆっくり距離を詰める。

「……………………」

「……あれ? その、少しいいだろうか」

 人影を無視して家に入ってしまおうとするも、当然失敗して声を掛けられる。

「はい? 国防軍の方が、俺に何の用でしょうか?」

「……どうして、私が国防軍の者だと?」

 戸惑い半分、警戒半分といった顔色を浮かべる女は、たしかに国防軍の所属を示すモノを身に着けているわけではなかった。兵士らしからぬ上品な顔立ち、それに見合った落ち着いた服装と、見た目の印象にも軍属を想起させるものはない。

「大した理由はないですよ。ただ、これに顔が乗ってたんで」

 女の疑問に答えるのは、衣嚢の中で丸めておいた号外だった。紙面の中の軍の功労者を載せた一角には、目の前の女の顔が一際大きく載せられていた。

「ああ……新聞社の宣伝か。まぁ、それなら話が早い」

 どこか疲れたように溜息を吐くと、女は続ける。

「そこにも書いてあるだろうが、私はリース。リース・コルテット上等兵だ。個人としてではなく、軍の使いとしてここに来た」

 リースの言葉を聞くなり、俺は無意識に身構えていた。軍に目を付けられるような真似をした覚えはないが、軍から報奨を得るような事など尚更だ。どちらかと言えば、軍からの訪問は俺にとって都合の悪い案件である可能性の方が高い。

「……いや、そう言い切ってしまうべきではないか。何というか、そこは曖昧なままという事でお願いしてもいいだろうか?」

「はい?」

 しかし、それにしてはどうにも旗色がおかしかった。リースが軍との関係を公にしたくない事情を抱えているのだとすれば、少なくとも俺が今ここで反逆罪の名の元に斬り捨てられるという事ではないのだろう。

「とりあえず、中に入りますか?」

「ああ、そうだな。すまない、それではお言葉に甘えよう」

 どうせ話を切り上げられないなら、立ち話よりは楽な体勢で時間を過ごしたい。律儀に頭を下げるリースにも、個人としてそれほど嫌な印象は感じなかった。

「せっかく上げてもらって何だが、話は手短に済むはずだ」

「と、言うと?」

「私……そうだな、私は君の仕事とその手法について興味を持っている」

「つまり、依頼ですか?」

 偶然にも、というわけでもないが、室内の俺とリースの位置関係は依頼人とのそれとまったく同じだった。それならば、相手の立場がどうであろうと、持ち込まれた依頼に対してはそれを受けるかどうか判断するだけだ。

「依頼、か。結果的にはそうなるかもしれない」

 含みのある言葉には、今更嫌な予感を感じるまでもない。

「その前に、一つ聞かせてもらってもいいだろうか」

「どうぞ」

 リースが国防軍の階級を名乗った時から、それがただの依頼ではない事はわかっていたのだから。

「君のその剣は、魔剣だろうか?」

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