其之四 澱

 昼だというのに、街は眠りについているようだった。夢の中にいるように、何もかもが覚束ない。


「それで私はベラベラした金属製の乗り物に乗せられて、戦場らしい退廃都市に連れて行かれたんですね。道中には極彩色の火葬をした子ども達が並んで手裏剣を投げてきたり遊園地を通って冷たい水を浴びたりしたんですが、到着した街は灰色のオフィス街でね……」


 教師の話が遠くに聞こえる。何曜日の何時間目かはわからないけれど、話している声は英語教師の笹軌だ。いつの間に復帰したのか、そんな話は誰からも聞いてない。


「辺りはスターウォーズの怪物を百倍醜悪にしたような連中が歩き回っていてね、私はいつものようにターゲットして撃つ真似をしたんですが」


 教室の中に、霧が出ている。白いよどみが床に低く這って、どろりと視界を濁らせていた。そのせいなのか、教室にいる人達は誰も、教師の話に耳を傾けてはいなかった。


「敵は死なない。リアルだからですね」


 それどころか、周りの皆は、自分以外の何かに対して関心を持つということを忘れてしまっているようだった。内職をするのでもほかのことを考えているのでも、もちろん授業に集中するのでもなくて、ただ俯いてるだけだ。


「お兄」


 息をするのがつらい。肺の中に入れた空気がずしりと重かった。


「お兄」


 尻と足の裏が、それぞれ椅子と床に根を張ってしまったように動かない。頭も、眠ってしまう直前みたいに重かった。


「もういい。代われ」


「どうすんの?」


「いいからそいつを貸せ。こういうやつの目を覚まさせる方法は神宮じゃ教えてないだろ」


 垂れたよだれを拭う気にもならないで、僕は虚空を眺め――その時、バシッと首筋に衝撃を受けた。


「……痛ぇ!」


 反射的に机に手を突いて、背後を振り向いた。


「目は覚めたか?」


「目は覚めたかー?」


 抜き身の刀を担いでいる兄貴と、つぐみがいた。妹の方は、鞘だけ持って腰に手を当てている。見たところ、僕は刀の峰で首筋をぶん殴られたらしい。


「なにが」


「何がもクソもない。陰気を払いのけて、さっさと立て」


「陰気ィ?」


「今朝方言ったろうが、のこのこ出て行きやがって……後をつけたらこのザマだ! 自覚が足りてないぞ!」


「そっちは説明が足りてないだろ! 陰気を払えって、どうすんだよ。大体この状況……」


 僕は辺りを見回した。それから、まだ喋り続けている笹軌先生を見た。


「この状況!」


 パン、と障子を破るような音がして、呪縛が解けた。僕は椅子を蹴っ飛ばすと、隣の誰かの肩を引っつかむ。名前は……もやの中に溶けていて、わからなかった。


「わかったか? 状況は一刻を争うぞ。これ以上手間をかけさせるな」


「皆はどうするんだよ」


「皆はどうするだと? お前が思ってるより“皆”は多いんだよ。いいから早く立て」


「急いで」


 兄貴のイラついた顔より、つぐみに小声で急かされるほうがよっぽど効いた。リュックを引っ掛け、二人に続いて足早に教室を飛び出す。昇降口を出てチェロキーに乗り込む時、派手な音を立てて車が電柱に突っ込むのが見えた。


「こんな時に」


 運転席に座った兄貴は舌打ちして、事故現場に車を回した。「待ってろ」と言い残して、車を飛び降りる。エアバッグが作動しているのが、後部座席からも見えていた。


「街中……」


 顔から血の気が引いていくのがわかった。


「街中、これなのか? T市全部が? この朝から、ずっとか?」


 隣のつぐみが、刀を握りしめた。


「うん」


「マジかよ。これから――」


 運転席のドアが開いた。


「もう、神宮のやつらには動いてもらってる。陰気払いは時間がかかるからな。俺たちはこれから、元凶を探して叩く」


「そこの人は?」


「大したことない。ダラダラ走ってたところをぶつけただけだ。救急車は呼んどいたが」


 本当に街中がこのザマなら、あまり期待はできない。救急隊員が正気を保っている確証はなかった。


「とにかく、俺達には暇がない。行くぞ。ベルトはちゃんと締めろよ」


 兄貴は叩きつけるようにドアを閉めると、かなり荒っぽく車を回した。後部座席で振り回されながら、僕はつぐみを振り向いた。


「説明してくれ」


「今朝してたじゃん。忘れたの?」


 さっきも兄貴に言われたが、僕にはそんな記憶はない。まだ昼にもなっていないはずだったが、今朝目を覚ましてからの記憶は、酷くあいまいだった。


「思えば、お前はボーッとしてたな。あの時から、もう陰気に当てられてたんだろう」


 信じられん、と言いたげに兄貴は首を振った。ちゃんと前を見て運転して欲しい。


「お兄は感覚型だからねえ。とりあえず大事無かったんだからいいじゃない」


「とりあえずはな」


 運転席の兄貴はそれきり黙って、チェロキーのスピードを上げた。沈殿するように靄のかかった国道には、ほとんど車の姿はない。法廷速度はとっくにぶっちぎっていた。


「じゃ、全然覚えてないんだね?」


「……ごめん」


「仕方ない。もう一度説明してあげよう。ええーとね」


 つぐみは少し唸ってから、口を開いた。


「靄が出始めたのは、昨日の夜中。それ自体はこっちで把握してたんだけど、それが霊的攻撃だってわかったのは今朝の未明ね。夜からずっと、靄は濃くなり続けてる」


 カーブを曲がるのに、チェロキーが減速する。道沿いの店から、ボンヤリした顔の客が出てくるところだった。辺りに立ち込めているのと同じ靄が、店の中からも流れ出している。


「この靄って」


「鬼界からの侵食……だと思う。靄に見えてるのは、漏れ出してる陰の気ね。今のところ、ぼんやりする以外の実害はないけど、この状況が続いたらかなりやばい。街中から陽の気が失せてる。パンピーなら三日ともたないよ」


「対策は?」


「それは、これから。靄の濃いところでは、もう鬼界の怪物が出始めてる。敵は陰気の最も濃くなる今日、陰月十四日に合わせて揺さぶりをかけてきてる。たぶん、本格的に鬼界の門を開くつもりなんだ。私たちはその前に、術者を叩く」


「術者ってのは?」


「今向かってるところだ」


 低い声で答えたのは、運転席の兄貴だった。家に帰るものとばかり思っていたけど、同じなのは方角だけで、含福寺に行くにはちょっと遠回り過ぎる。チェロキーはすでに住宅地の中に入って、流石にかなり速度を落としていた。


 ミラー越しに、兄貴と視線がかち合う。車が停まった。


「透」


「なに」


「……いや。行くぞ」


 ドアを蹴り開けるようにして、兄貴とつぐみが飛び出した。少し遅れて、僕もアスファルトの道路に飛び降りる。二人は迷いない足取りで一つの民家に向かって、閉ざされた門扉を躊躇なく開けた。


 門扉のすぐ横にはめ込まれた表札には、“狛田”の二文字が刻まれて、自転車のケーブルロックが落ちている。ここは――。


 つぐみが玄関ドアを引っ張って、ガチャン! と音を立てた。


「鍵がかかってる!」


「どけ。今開ける」


 ポケットから針金とドライバーを取り出して、兄貴がかがんだ。


「待て待て、ちょっと待てよ。ここ、普通の家でしょ? チャイムを鳴らすのが先じゃないの?」


「そんな余裕はない」


「……じゃあ言うけど、ここ、同級生の家だよ。僕が話すほうが八方丸いだろ?」


「お兄さあ」


 キン、と軽い音を立てて鍵が開いた。すかさずつぐみの引いた扉ががつん、と動きを止めたのは、チェーンがかけられていたかららしい。


「ペンチを取ってくる」


「待って。時間が惜しい」


 押さえてて、とドアノブを兄貴に託して、つぐみは鯉口を切った。鈍い緊張感があたりに広がる。


「……どうするつもりなんだよ」


「だからさあ、それがもうズレてるんだって。向こうがこっちをどうするつもりなのかって段階なんだ。遊んでないで、いい加減構えてよ」


 叱られると、心がぐっと萎縮する感じがある。不承不承、僕は手のひらに除霊ビームのアイドリングを始める。


「いつでもいいよ」


 つぐみがちょっとうなずいて、次の瞬間には刀身を地に垂らしていた。音もなく断たれたチェーンが悲しげに垂れ下がって揺れているのが見えた。


 危惧したように何かが飛び出してくることはなかったけれど、代わりに開いた扉からは濃い靄が際限なく溢れてきている。兄貴が顎をしゃくった。


「行くぞ。家人をまず連れ出す。靄はあまり吸い込みすぎるな」


 土足で上がった。室内の空気はむせ返るようで、ちゃんと防御に意識を割いてるはずなのに頭がくらくらする。


「こんなところに、生きてる人がいるかな」


「つぐみ」


 妹を咎めた僕を、まとめて兄貴が咎めた。


「無駄口叩くな。探せ」


 他人の家は勝手がわからない。僕らは靴底の音を鳴らしながら散って、片端から部屋の扉を開けた。


「いないぜ。出かけてるんじゃないのかな」


 風呂場の扉を閉めた兄貴が戻ってきて、かぶりを振った。


「玄関に靴が残ってる。車もな。狛田家の夫婦は県庁勤めのはずだから――」


 ちょっと来てえ!と声が飛んできて、兄貴の推理は中断した。二階だ。


「開かない部屋がある」


「鍵か?」


「ううん、つっかえ棒みたいのがしてあるのかな。ぶち破ってもいいと思う?」


「俺に確認するな。緊急時だぞ」


 つぐみは返事をしないで、待ってましたとばかりに部屋の扉を滅多切りにした。ちょうつがいのすぐ脇に一度、それから扉の面に十文字の光が走って、開かない扉はばらりと散った。


「うわっ」


 つぐみが顔の前に腕をかざした。爆煙に近い靄が吹き出して、家中に広がった。


「くそ、大当たりだぜ! 大兄ちゃん、早く!」


 兄貴が走り出した気配を感じて、手をちょっと払った。辺りの空間を除霊ビームがなぎ払って、靄を吹き飛ばす。


「ナイスだ、透」


「すぐ元通りだよ」


「とりあえず視界が大事だ。見てみろ、大した結界じゃねえか」


 狛田史の部屋だった。お世辞にも綺麗とは言えない。辺りにはほとんど無秩序に書籍が積み上げられて、足の踏み場もない。かろうじて片付いているのは机の上だけで、そこには白木の祭壇が鎮座していた。


 ベッドには、無理やり押し込められるようにして、中年の男女が眠っている。


「狛田史は見当たらない?」


 ベッドの下を確認して、兄貴が顔をしかめた。


「親しかいないな。こっちは二人で運び出して、車に乗せとけ。かなり衰弱してる」


 神棚からはしゅうしゅうと靄が吐き出されている。わかった、とうなずいて、つぐみは狛田夫婦の婦の方を担ぎ上げた。大した力だ。


「兄貴は?」


 つぐみの手を駆りながら夫のほうを背負った僕は、よたよたしながら兄貴を振り向く。詳細はわからないが、祭壇はかなりやばそうに見えた。


「俺はこいつを始末する。心配は要らない、一人で十分だ。車で待ってろ」


 言うなり、兄貴は祭壇を取り巻く結界を解いた。狛田夫の足を地面に引きずりながら部屋を出たとき、兄貴が舌打ちしたのが聞こえた。




 眠ったままの狛田夫妻を乗せると、車の中はかなり狭くなった。つぐみは助手席に移って、僕は後部座席に押し込められたまま、兄貴を待った。


「やられた。デコイだ」


「デコイ? 祭壇は?」


「確かに鬼門を開いていた……が、街の状況を左右するには規模が小さすぎる。家に残った住民の症状を進めるには十分だが、逆に言えばその程度の効果しかない」


 エンジンをかけて、兄貴は車を出す。当てが外れて行き先をなくしたチェロキーは、ゆるやかに加速した。


「家を密閉して、局地的に陰気の濃度を上げたんだ。まんまと引っかかった」


「じゃあ……」


「かなりまずい。この際、本尊を完全に解放するか……この期に及んで振り出しに戻っちまった。とにかく一度、寺に向かうぞ」


「あのさ」


 僕は後部座席から、声をかけた。


「神宮の応援を頼むわけにはいかないのかな。本尊を使うなら、そっちのほうが先だと思うんだけど」


「それはな」


 兄貴はため息をついて、煙草に火をつけた。窓を開けて煙を逃がす。防御式が組んであるのか、外の靄が入ってくることはなかった。


「言いそびれてたが、今神宮からの応援は望めない。辺り一帯に、強烈な霊的封鎖がかかってる。車も通れなきゃ電話も通じない。今のT市は、陸の孤島なんだよ」


「嘘だろ」


「本当だ。今ごろは神宮でカバーストーリーを作っているところだろうが、それも長くは持たない。敵については俺達でなんとかするしかない――その敵こそ、狛田史だと思っていたわけだがな。見ての通り、完全に空振った」


「狛田史が、ってのは、なんで」


 お前なあ、と呆れた声を出して、兄貴は懐に手を入れた。ジャケットの内ポケットから出てきたのは、“水”と書かれたコピー紙の切れ端だ。


「これを見つけたのはお前だろう。筆跡と指紋で、狛田史が作ったものだと特定した。俺だって、大学をサボってるだけじゃないんだ」


「それは……でも、なんで?」


「動機は知らん。今は、一にも二にも彼女の捕まえ方を考えないと……俺たちが現場にいけさえすれば、本尊砲で焼き尽くせるんだ。同級生だろ、どこか狛田史の行きそうなところ、心当たりはないか?」


 心当たり、と言われても。僕と狛田さんは、仲が悪いわけじゃないけれど、特別仲良しってわけじゃない。学校で会えば挨拶するし、多少の雑談くらいはする。でも、それだけだ。最近じゃ、写真部を手伝ってくれてることすら、知らなかったし。生徒会長なのは、よく知ってるけど――。


「学校……」


「なに?」


「学校に戻ってみよう。狛田さんが逃げただけじゃなくて、まだ何かをするための準備を隠してるなら、一番長く時間を過ごしている場所でするんじゃないかな。狛田さんは、塾にも行ってないみたいだし――」


 高校生の世界は狭い。狛田さんが、家と学校以外に自分の世界を持っていれば、お手上げだったけど。


「確認くらいはする価値あるんじゃないかな」


「ふむ」


 兄貴は強引なUターンをかけた。視界の端に、ものすごい光が立ち上ったのが、見えた。


「どうやら、お前の推測が当たりのようだ。学校に行こう」


 目的地を見つけたチェロキーは再び加速を始めた。また後手に回ったかな、とつぐみが呟いたのには、僕も兄も、気づかない振りをした。

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