其之二 勘繰り! 怪奇探索部!
M大は県内だと唯一の国立大学だ。T高からM大に進学したって地元のおばちゃんに話せば、「結構いいところに行ったわね」って感じの反応が返ってくる。最寄のE駅は通学途中の停車駅で、M大生も良く見かける。この沿線に住んでいるやつからすれば、一番身近な大学だと言えるだろう。
でも、僕にとって、この辺にまつわる直近の記憶は鬼退治のそれだ。真弓千聡に引っ張られて行った、最初の心霊撮影会。その後の経過はともかく、あんまり愉快な思い出じゃない。
「また、ここに来ちゃいましたね」
ホームの上で合流した真弓は、つまらなさそうにそう言った。
「現実ならなんでもいいだろ。今日の撮影は、全うなやつなんだから」
そうですね、と疲れた感じで答えて、真弓はさっさと歩き出した。なんだかいつもと比べてテンションが低い。
「……被服部の一年生ってのは、待たなくても?」
「あ、言いませんでしたっけ。翔子ちゃんとは現地集合です。自転車で来るらしいので」
家がこの辺なら、学校にも自転車で通学しているんだろう。今日は一日、晴れ予報が出ている。
「そうなんだ」
「はい」
今日のことは自分で言い出したくせに、真弓の足取りは重い。「調子が悪いのか」と聞きかけて、やめた。女の子が調子の悪いときに「調子のが悪いのか」と聞くのは、あんまり素敵なことにはならないこともある……まあ、これは兄貴の受け売りだけど。
そんな風に、僕の方から口をつぐんだので、いつぞや二人で初めて撮影に行ったときよりも、よっぽど僕らの間の会話は少なかった。M大構内に入った後も、真弓は「こっちです」とか「やっぱりあっちでした」くらいのことしか言わなかった。
「翔子ちゃん!」
だから、後輩がいきなり自転車置き場に向かって大声を上げたときは、僕はむしろ、少しほっとした。待ち合わせ相手を見つけたらしい。いつもの真弓だ。
「ごめんね、いきなり。ちょっと迷っちゃってて」
ここで、ちらっと僕を見る。気を使わなくても、迷っていることはわかっていたぞ。
「でも、ここで合流出来てよかった!」
「ううん、いいよ」
自転車に鍵をかけて、でこぼこのひさしの下から出てきたのは、セーラー服を着た女の子だった。肩のところで黒い髪を切りそろえて、日本人形みたいに整った顔立ちをしている。
「連絡が上手くいってないかも、とは思っていたの。サークルの人に任せてしまったから」
はてな、と思った。どこかで見たことのある顔だ。僕がじろじろ眺めていると、女の子は申し訳なさそうに伏せていた顔を上げて、こっちを見た。
「ちさちゃん、こちらの方があなたの先輩? 紹介してくれるかしら?」
「ああ、そうだった。藤堂透先輩。写真部の部長。先輩、こっちが山崎翔子ちゃん、私の友達です」
「よろしくお願いします」
山崎翔子の挨拶に、僕もあわてて会釈する。挨拶のタイミングをなくしたのは、立て続けに紹介されたせいだ。そうでなくても、男女比一対二の状況じゃ、調子が乱れる。それが初対面の、可愛い子ならなおさらだった。
案の定、二人の下級生は並んで歩き始める。僕は一人で、迷わないようにその後をついていった。休みだからか知らないが、構内に人気は少ない。
「その服、どうしたの?」
真弓が、僕とは違うやり方で山崎翔子をじろじろ眺めた。そんなに危ない感じがしないのは、女の子同士だからなんだろうな……。
「やっと聞いてくれた! 聞いてね、ちさちゃん。私も制服部、始めようと思うの」
「えーっ、ほんと?」
「本当本当! これだって、無理を言って買ってもらったんだから。ちさちゃんの言う通り、今しか着られない服だものね」
「あはは、そうだね……」
真弓は頬をかいて、何か後ろめたいことでもあるのか、視線をよそに向ける。僕は二人の間に手刀を差し込んだ。
「ちょっと失礼。目的地のサークル棟ってのには、まだつかないの?」
話に交じりがてら、助け船を出してやることにした。山崎翔子は「ああ」と微笑む。
「やっぱり、ちゃんと書いてなかったんですね、あの人……。本当は、M大学にはサークル棟なんて建物はないんです。課外活動棟が俗にそう呼ばれているだけなの」
「なるほど」
「それに、今日用事があるのは教育学部の棟なんです。ここからなら、集合せずに直接向かった方が近いんですよ」
山崎翔子が話したところによれば、M大には被服学科なんて大層なものはない。教育学部の、家政教育の部門で、被服学に関する活動が出来るようになっているということだった。彼女がT高校の被服部として一枚かんでいるのは、課外活動で被服学をやろうという有志が集まったサークルなのだという。
真弓が顔をしかめた。
「ややこしいね」
「一から成り立ちを追えば、なんでもそうよ? 中身は真面目なサークル活動なんだから」
“真面目なサークル活動”なんてものがあり得るのだろうか。兄貴のような大学生を見ていると、それは“清楚なAV女優”と同じくらいちぐはぐな形容のように思われる。
いや、いや。僕は頭を振って、大学生についての固定観念を振り払う。大学生の全体からすれば、酒とゲームと二度寝に溺れて留年する兄貴のような手合いは、ほんの一握りのはずだ。“真面目なサークル活動”が世の中に存在していたって、なにもおかしくはない。
「さあ、ここですよ」
慣れた様子で、山崎翔子は扉を開けた。
小奇麗な広い部屋の中にスペースが作ってあって、博物館だか美術館だかの展示みたいに、深い色の和服が広げて吊るされている。
「あれ――」
もう組み立てられてるの? 真弓が肩透かしを食ったような声を上げた。
「新聞部の方には洗張のところから撮ってもらう予定だったのだけれど。予定があわなかったから」
ごめんなさいね、と被服部の一年生は苦笑した。申し訳ないと思っているならもっと申し訳なさそうにして欲しい。
こっちは楽でいいけど、とかなんとか、真弓が言ったときだった。背後の扉をからりと開けて、背の高い男が顔を見せた。白いマスクとシャツがまぶしい。
「なんだ、こっちに来てたんだ。連絡してくれれば良かったのに」
「連絡なら来てたわよ」
ぱしん、とその頭を叩いたのは後ろから出てきた女だった。高校じゃあまり見ないタイプの、派手な人だ。吊り目気味の目つきがおっかない。
「もうちょっとマメになりなさいよね。たまには予定をすっぽかされる側の気持ちになりなさいってのよ」
「いってえな、怪我人だぞ、こっちは」
「どこか、怪我をなさったんですか!?」
山崎翔子が血相を変えた。実はね、と言って、男がマスクを取る。顔の半分が、赤くただれていた。
「ピペットの薬品を吸い込みすぎて火傷しちゃったんだ」
「ばっかねえ」
「大丈夫なんですか? 病院に……」
「大したことないわよ、こんなの。そっちの二人が、T高の?」
「あ、はい」
真弓が所在無さげにうなずいた。居心地の悪いのは、僕もそうだ。他人のうちでどうこうするのは苦手だ。
「新聞部の」
「写真部です」
「あれ、そうだったの。私は世古一葉。こっちは伊藤ヤサヒト」
「ゆうと、な。優しい人で、ゆうと」
「どっちで呼んでもいいでしょ。今日はよろしくね」
「お願い、します」
肩から提げたバッグを下ろして、真弓はカメラを引っ張り出す。部室に残っていた、フィルムカメラの一眼レフだ。
「骨董品だな。これなら、うちで撮った写真を分けても良かったのに」
山崎翔子が微笑んだ。
「T高の部活だけで全てやるのが大切なんですよ。それに皆さん、あんまり写真が得意じゃないんですから」
「ひどいな、翔子ちゃんは」
「だって、本当のことですもの」
着物を直した二人の学生は、ねー! と言ってけらけら笑った。こうなると、男に出来ることはない。外様の僕なら、ますますできることはなかった。それでも、伊藤さんはこっちに寄って、僕の後ろに移った。
「……君ら、写真撮りに来たんだろ。早く撮っちゃいなよ」
ぼそりとそう言って、やつれた大学生は僕の提げた三脚を引っ張った。
「え? オープンキャンパスをサボりに来たの」
折りたたみ式のレフ板を構える僕の隣で、やっぱり伊藤さんはぼそぼそ言った。
「そうなんです」
「まあ、いいけど。一度くらい行っておいたらどうかな。レポートはともかく、進路はちゃんと考えた方がいいよ」
「そうですかね」
僕は適当に相槌を打って、レフ板の角度を直した。上げっぱなしの腕がぎしぎし言う。
伊藤さんは世古さんを顎でしゃくった。
「あいつも、先生なんかなりたくないのに教育学部に来ちゃってな。毎日ヒーヒー言ってる」
「はあ……」
下がってくる腕を固定しながら、真弓がシャッターを切りまくるのを眺めた。デジタルカメラなら、こういう時すぐに確認できるんだけど、フィルムを使っているとそうはいかない。あとで手直しが効かない分、一定数ちゃんと撮っておく必要があった。
「次、右から撮りますね。先輩も移動してください」
三脚ごとカメラを移動させる真弓の手際は、思ったよりもずっと様になっていた。毎日部室で宿題している僕とは違って、ちゃんと写真部らしい手際を見せている。彼女は山崎さんと世古さんを呼び寄せて、構図の打ち合わせを始めていた。
「伊藤さんは、行かなくて良いんですか」
「一葉がいれば大丈夫。第一、そんなに興味ないんだ、着物には。ここでももっぱら会計で」
「着物に興味ないなら、なんでこんなことしてるんです?」
僕はレフ板を傍らの机に下ろして、二の腕を揉んだ。
「一葉が、どうしてもって言うからさ。俺には、着物のきれいなのはわかっても、どのくらいの価値があるのかはわからない」
でも、あいつはすごくノリノリでさ。これも、どこぞの蔵に眠ってたのを、どうしてもって言って修繕させてもらってるんだ。
「華やかだとは思いますけど」
どこかうつろな目線で世古さんを眺める伊藤さんを横目に、レフ板をいじる。
「なんだったかな。紫縮緬の畝織に、荒磯と菊が染め抜いてあるらしい」
「なんだ、詳しいじゃないですか」
「一葉が何度も言うからさ。嫌でも覚える。寝てる時でも、でかい声でブツブツ言うんだぜ」
僕は、伊藤さんと世古さんを見比べた。ちょっと意外な組み合わせだ、と思う。
「……伊藤さんは、世古さんと?」
「まあね」
自信ありげに言い切っておいて、少し気恥しくなったらしい。一つ咳払いをして、伊藤さんはきまり悪そうに僕を見下ろした。
「……君らは、翔子ちゃんと親しいんだろう?」
「そこの真弓はともかく、僕は今日は着いて来ただけで、山崎さんとは今日が初対面ですよ」
「そうか。じゃあ、ちょっと彼女を経由してもいいから、翔子ちゃんに伝えてくれないかな。俺、結構一途なんだよ」
ドロドロの髪を揺らして、大学生は少し得意げに続ける。
「今は、他の誰とも付き合う気はないんだ」
そこまで言われてみれば、僕にも大体、何を言いたいのか見当はついた。やっぱり、健全なサークル活動なんてものは幻想の代物だったらしい。
むかつく話だ。複数の女の子に惚れられているような奴は、全員死ねばいい。
◆
真弓が何枚か写真を撮って、カメラを移動して更に何枚か写真を撮った後、世古さんは「一休みしましょ」と言って伊藤さんを自販機までパシリに出した。明らかに伊藤さんは尻に敷かれているみたいだけど、本人の話を聞く限りではまんざらでもないのかも知れない。
教室の外、廊下に設置されたベンチに、女性陣は並んで腰かけた。レフ板を脇に抱えたまま突っ立っている僕に向かって、世古さんが口を開いた。
「ずいぶんあいつに絡まれてたわね。何話してたの?」
「進路の話とか、オープンキャンパスのこととか。参考になりました」
「君、なかなか世辞がいいなあ。ごめんね、あいつもT高出身だから。先輩風吹かしたくて仕方なかったんでしょ」
今回は奢りだから、勘弁してやって。世古さんはそう言って、歯を見せた。
「……ヤサヒトさん、遅いですね」
山崎翔子が廊下の向こうを見通せるかのように首をめぐらせた。
「また、どっかで油売ってるんでしょ。そのうち帰ってくるわよ」
「私、ちょっと見て来ます」
後輩の同級生はパッと立ち上がった。
「あ、ちょっと……」
片手を上げて引きとめようとした世古さんの言葉を振り切って、山崎翔子は足早に廊下を抜けて、階段を下っていった。
「ったく、もう」
椅子から腰をちょっと上げた姿勢から、世古さんはそのまま立ち上がった。席の空いたベンチに座って、僕はレフ板を下ろす。
真弓がすすっと寄ってきて、嬉しそうな低い声で言った。
「三角関係ですね、先輩」
だから、それが問題なんだって。
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