其之四 発行! 怪奇探索部誌!

 不意に、冷たい風を感じた。一つも嫌なところのない、冬と春の間の風だ。


「おい」


 まぶたを開ける。面白くもなさそうな兄貴の顔がアップで映った。


「こんな所で寝てたら風邪ひくぞ。……そっちの君もな」


 身を起こすと、祠の向こうでやはり起き上がったばかりの真弓が見えた。祠の扉が開いた時と同じ位置で倒れていたらしい。


「悪い、遅くなった。かなり上手く隠れてたんでな、見つけるのに時間がかかったんだ」


「そう、なんだ」


 まだ、頭がぼんやりしている。長い夢から覚めたときのようだった。


「食え」


 押し付けられるまま、銀紙ごと割られた板チョコの欠片をかじった。いつのまにかすっかり日が傾いて、辺りには夕焼けが射している。それでようやく、自分が帰ってきた実感が湧いてきた。現世の夕日には、異界のそれと違って刺すような毒々しさはない。


「先輩……」


 真弓が隣にあぐらをかいた。片手には僕と同じ、銀紙に包まれた板チョコの欠片が握られている。


「服が汚れるぞ」


「今更ですよ」


 僕らはしばらく、空き地に座ってチョコレートを食んだ。真弓の肩越しに、兄貴が祠に異界封じの結界を張るのが見えた。


「あの人、お知り合いですか」


「僕の兄だ」


 ああ、と真弓は納得した顔になった。


「怒られました。見えてる危険に首を突っ込むなって」


「言いそうだな」


「次に先輩を巻き込んだら許さないとも言われました。愛されてますね」


「まあな」


 否定する気もなかったが、少し照れくさくなって、チョコをむしゃむしゃやった。真弓は僕を見ながらチョコを膝に置くと、座ったまま頭を下げた。あぐらのままそうすると、なんだか時代劇に出てくる武士みたいだった。


「今日は、すみませんでした」


「……いいよ」


 真弓に言いたいことはいくらでもあるけれど、今ここで言おうとは思わなかった。確かに主犯は真弓だったけれど、巻き込まれに行ったのは僕の意思だ。それに、今回は写真部がちゃんと活動してれば、はじめから起こらなかった(かもしれない)話だった。


「それより、カメラはちゃんと持って帰ってきたか」


「もちろんです」


 真弓はちぎれたストラップを掴んで、二眼レフをぶら下げた。


「フィルムのとこ、蓋が開いてなくて良かったです。結構高いところから落とされたんで、心配してたんですけど」


 ついてました、と真弓は笑った。そういえば、彼女がちゃんと笑うのを見るのは初めてだった。異界で僕の前を歩いていたときにはもっと老成して見えたのに、こうしていると真弓千聡も歳相応の高校生に見えた。




 チョコを食べ終えた頃、一仕事終えた兄貴が僕らのところまで車を回してきてくれた。真弓を最寄り駅まで送って、ようやく僕は帰路についた。


「そういや、親父はもう帰ってきてるの?」


 うちに車は一台しかない。黒いチェロキーは通勤に使う親父の趣味で、平日の日中には、大抵車は家にない。


「今日は神宮に呼ばれてる日だ。電車で帰ってくるんだろ」


「ああ」


 六時を回ると、一気に日が沈んで暗くなる。テールランプの赤い光が汚れたメガネに滲む。隣でハンドルを握る兄貴が口を開いた。


「お前、大丈夫だったか」


「何が」


「祠の結界に入ったろ。飲み食いはしなかったろうな」


「してないよ」


「何か見たか」


「……僕が良く見えないのは、兄貴も知ってるでしょ。どうしたんだよ」


 別に、と言って、兄貴は口をつぐんだ。信号が青に変わって、車の列が動き出す。


「祓魔もしたか?」


 兄貴の言葉が、ぽつりと車内に響いた。


「した」


 だから、僕も短く返した。兄貴の深いため息が車内に広がる。


「間に合わなかった俺が言うのもなんだが、あんまり無理はするな。寺生まれの責任感なんてもの、お前が感じなくても良いんだから。学生のうちは、普通に学生してろよ」


 俺もそうしてる、と兄貴は言った。今年で大学の五年生になる男が言うと説得力が違う。


「でも、祓えたよ。除霊ビームもちゃんと出た」


「……嫌じゃないなら、止めはしないさ」


 俺や親父の出張る事態にならなきゃな、と兄貴は言った。ごめん、と謝って、僕は助手席のシートベルトに頬を預ける。


 確かに今回は少しばかりやばいラインを見極めそこなったかも知れなかった。藪から飛び出したときのことを思い出しただけで、手のひらが汗ばんでくる。


 でも、一方で奇妙な充実を感じてもいた。自分の前を素通りしていた人生を捕まえなおしたような、そんな気がしてきている。


    ◆


 『怪』が形になってみると、それは少しずつ確信に変わってくるようだった。それはコピー用紙を真ん中からホッチキスでとめた、貧乏部の部誌らしい折本だったけれど、間違いなく僕らの手で形にしたものだった。


「なかなかいいんじゃないですか、初めてにしては! 心配だった先輩の記事も、結構ちゃんとしてますし、文句なしですよ」


 最初の一部を手にして、真弓は満足げにページをめくった。


「でもこの話、どこで仕入れてきたんですか? 私の調べた限りじゃ、こんな話、どこにも載ってなかったんですけど」


「僕もちょっと見たけど、あれは情報が新しすぎるよ。もっと昔の話を調べないと。あそこ、二〇〇〇年より前のことは書いてなかったじゃないか」


 真弓が「なるほど」という顔になったので、得意になって続ける。


「E駅の歴史を調べてみると、六十年代と八十年代に、それぞれ百メートルずつ移転してるんだ。線路を持ってる会社が変わったりとか、住宅地の造成で土地の持ち主が変わったりとかで。祠が立ってたのは、八十年代に移転した駅舎の跡地だよ」


「それは私も見ました。問題はその後ですよ」


「E駅には人身事故の被害者を祀った祠はあるけど、それも駅舎移転のときに一緒に移動してる。駅から降りたとき、小さいのがあったのを覚えてる?」


 僕は話を聞くまで忘れていたが、真弓はこっくりうなずいた。


「だから、あれは別のものを祀ってるんだ。兄に確認したら、祠の中身は慈母観音像だった。これは女の人だとされていて、子どもを慰霊する時によく使われる観音様だよ」


 部誌には、解説の横にネットから引っ張ってきた画像が貼り付けてあるところだ。


「で、当時の新聞を少し捜したら、こういう記事が出てきた。コインロッカーベイビーって、聞いたことあるか?」


 僕が取り出したのは、図書館のアーカイブから引っ張ってきた、地方紙のコピーだ。“コインロッカーに赤ん坊”の見出しが、地方欄に踊る。


「『ブラック・ジャック』で読みました」


「僕もそうだ。……とにかく、E駅でもそれがあったみたいなんだな。見つかったときには、何もかも終わっていて。あの祠は、その子を祀ったものだったんだ」


 だから、上手に隠れていた、というのはそういうことなんだろう。僕らに……真弓千聡に見つけてもらえて、相当に嬉しかったに違いない。真弓を取り込もうとした時に現れて、僕が放り投げたアレは、だから――。


 頭を振った。これは真弓には言わないでおこう。


「なんで阿用郷の鬼が出てきたのかは、分からないけど」


「それは、私の書いたところを読めば分かりますよ。その話の後だと、ちょっと修正したほうがよさそうですけど」


 真弓は持ち込んだラップトップの前に椅子を持っていって、原稿の修正を始めた。


 僕は紙面に視線を落とす。


『……阿用郷に現れた鬼は、目一鬼として表現されている。一つ目の鬼は鍛治職の職業病である片目の失明を表象したものとする意見もあるが、鍛治を司り一つ目の神としては県北には天目一箇神が存在しており……』


「先輩、ちょっと見てもらえませんか」


 部誌を置いて、パソコンの前に椅子を動かした。画面には、文とピンボケの写真がそこそこバランスよく並んでいる。


「……まあ、いいんじゃないの」


 修正部分は他のところとは雰囲気が違って、ちょっと社会派コラムみたいだった。だけど、的を外しているわけじゃない。正確さを期するなら、また兄貴の手を借りないとならないだろうけれど、だいたい、僕も同じ見解だった。


 それに、これは学校の中に置く部誌なんだ。単なるオカルトゴシップより、少しくらい高尚っぽいことを書いておいたほうが、先生方のウケもいいだろう。


 部室の隅でほこりを被っていた印刷機が、本日二度目のうなりをあげた。ほどなくして、のそりのそりと活字に満たされたページが吐き出される。


「ここからですね」


「何が?」


「T高写真部が、ですよ」


 『け』が校内を席巻するのももうすぐです、と真弓がいきまいた。


 もちろん、そんなに都合よくはいかないだろうと思う。現像した写真をスキャンして作った表紙は画質が荒くてザラザラしているし、中身も『ムー』を四、五枚格落ちさせたみたいな文章だし。


 それでも、この達成感は嘘じゃない。真弓が二つ目に製本した完成版を受け取って、またパラパラとめくった。それから、僕もホッチキスを手にとって、製本作業に加わった。

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