其之二 出動! 怪奇探索部!

 ほうほうの体で家に帰ってみると、珍しく兄貴が起きてきていた。僕よりずっと早くに春休みに入った大学生の兄弟は、生活リズムが狂ってしまっていて、最近は同じ家にいるのに顔を合わせる機会は少ない。


 僕が自称“見える人”に会ったと言って、真弓千聡との顛末を話すと、兄貴はちょっと顔をしかめた。


「そりゃ、入ろうと思った部活が潰れてたら怒るよな」


「怒るっていうか……確かに僕の怠慢だけど」


 当番をサボり続けていた兄貴をひっぱたいて作らせた味噌汁は、具が繋がっていた。この際、全部自分でやってしまえば良かった、と後悔する。


「で、その子はマジに見えてるヤツなのか」


 箸で大根を切り離しながら、兄貴は僕に水を向ける。


「まあ、そこそこ。かなりはっきり見えてるんじゃないかな。少なくとも、僕よりよっぽど」


「見えるやつは大体、お前より良く見えるだろ。もっとないのか」


 そんなことを言われても仕方がない。


 寺生まれだとか教会育ちの家には、いわゆる見える人が結構いる。うちの家系は特にその傾向が強くて、先祖代々、普通の坊主としての仕事以外にも、祓魔だの祈祷だのをやって生計を立ててきた。住職をやってる親父もその一人だし、兄貴にも僕にも、多少は心得がある。


 でも、僕には見たり聞いたりするほうの才能はなかったらしい。それらしいものが見えるときでも黒っぽいもやみたいなものしか見えないし、彼らのたてる音にしたって、壊れかけのレディオのようにしか聞こえない。


「とにかく、注意しといてよ。手始めに“出そう”なところを周るんだ、って息巻いてるんだ」


「つってもな……その子、中学生だろ。俺が下手にでしゃばってもおかしいじゃん、お前がなんとかしろよ」


「具体的には?」


「縛って、うちの本殿に閉じ込めとく」


 そりゃ、なんとかなるだろうけど。


「もっと現実的な策は無いの?」


「無い。いらんことに首突っ込むやつは何言っても突っ込む。そういう風に出来てるんだ」


そのお陰で俺らは飯が食えるわけ。兄貴はめんどくさそうにそう言って、ばらし終わった大根を食べ始めた。それから、僕の顔色を見て、実に頼もしい言葉をくれた。


「まあ、心配すんな。本格的にやばくなったら電話しろ。助けに行けたら助けに行くぜ」


    ◆


 真弓についていくのは、難しくなかった。合格発表の二日後、新入生予定の中学生を集める、合格者登校日というのがある。新入生の集会が済んだあと、またぞろ騒がしくなり始めた文化部棟で、僕は真弓を捕まえた。


「え、あなたも来るんですか?」


 その声に思ったほどのトゲはなくて、ほっとする。


「駄目かな。一応、その、部長だし」


「いえ、もともと声はかけるつもりだったんです。まだ入学してない私一人でT高写真部を名乗るのは、ちょっと」


 そう言って、真弓千聡は少し笑う。「私一人でいいのに」とか「私は一人がいいのに」とか、少なくとも口に出して言われなかっただけで、僕はかなり安心した。


「じゃ、行きましょう。私がエスコートしますよ」


 部活選びに盛り上がる喧騒とは反対側に、真弓千聡はずんずん歩き出す。あわてて追いかけて、目的地を聞いていないことに気づいた。


「今日、今から行くの? そんなの聞いてないぞ」


「行くのを決めたのは今なので。そっちから来るって言ってもらえると思ってなかったし……この後、予定がありました?」


 ない。僕は基本的に、いつでも暇している。


「この辺に出そうなところがあったかな」


「ありますよ。E駅のそば」


 思い当たるところがない。不用意に近寄るとまずい、という場所は、親父と兄貴に注意されているけれど、E駅のそばにはそんな所、なかった気がする。


「……行けばわかりますよ」


 真弓はそっけなく言って、再び早足に歩き出す。置いていかれないように、僕も、いつもより早足で歩き出した。




 E駅は、T高校の最寄り駅から二駅離れている。都心ならいざ知らず、地方都市の二駅は、徒歩で行くにはそれなりに時間のかかる距離だ。


 線路沿いの道をだらだら歩きながら、僕は先導する女子をぼんやり眺めた。


 昨日は灰色のセーラー服を着ていた真弓千聡は、今日は紺色の、セーラー服とワンピースのあいのこみたいな服を着て、腹のところにベルトを締めている。首から提げた鮮やかなマゼンタのカメラが、歩くたびに揺れていた。


「それ、部室にあったやつ?」


 僕はカメラを指差した。二眼レフというのか、長方形の箱にレンズが縦に二つ並んでいる。


「そうです。フィルムカメラのほうが、心霊写真は撮れますから」


「デジカメじゃ駄目なの? 本にするには楽そうだけど」


「駄目です。ここは手間を掛ける所です」


「そうなんだ……」


 小豆色の列車が走ってきて、僕と真弓を追い越した。また、会話が途切れる。見たところ、僕はあまり歓迎されていないようだった。


 人間には二種類いる。仲良くない相手と二人になった時の沈黙に耐えられるやつと、耐えられないやつだ。僕は後者のタイプで、気詰まりな沈黙には我慢できない。なにか話題を探して――。


「セーラー服、好きなの?」


 結局おっさんみたいなセリフが出た。口にしてみて、これは無かった、と思う。見ろ、女の子からのこんな冷たい視線に晒されることになるなら黙っていたほうがマシだった。


「……浮いてますか」


 意外にも、まともに返事が来た。少し考えて、学校に着ていく服の話だと分かる。T高校に制服はない。


「別に、普通なんじゃないの」


「教室で浮きませんかね」


「大丈夫だよ、たぶん。もっと……目立つ服を着てくるやつはいっぱいいるし。先輩には、毎日和服を着てくる人もいたって聞くから」


 同学年だとロリータ趣味全開で、フリルまみれの服を着てくるやつもいた。とかく雑な連中も多い高校生のこと、汚れるのを嫌って、すぐに普通のパーカーとスカートを着るようになっていたけれど。


「そうですか」


 真弓の声色は、さっきまでと同じに冷めていた。それでも、張り詰めていたような雰囲気は無くなって、空気が緩んだような感じがした。程なくして、少しだけその足取りが軽くなる。受験から解放された高校一年生に特有の、浮かれた空気が流れ出したのが分かった。


 また、小豆色の電車が僕らを追い越した。道の向こうに、E駅の姿が見えてきていた。


    ◆


 E駅は、国立大学の最寄り駅になっている。そのせいか、無人化が進む一方のこの路線では珍しく駅員が常駐しているし、駅前に並んだ店は全部ちゃんと営業している。シャッターが下りているのは、この時間はやっていない飲み屋だ。


 そういう目に見える要素以外にも、E駅前はどことなく活気があった。若者の姿が他の駅よりたくさん見られるからそう感じるのかも知れない。


どちらにせよ、“出そう”な雰囲気は微塵も無かった。


「ここの踏み切り、渡りますから」


 駅の反対側には量産型の住宅地が広がっている。真弓の背中は、線路沿いの道を来た方角に引き返した。


「こっちに来るなら、一つ前の踏み切りで渡ったほうがよかったんじゃないの」


「……もう着きましたから、文句言わないで下さい」


 そう言って、真弓は足を止めた。家並みが途切れて、家一つ分の狭い空き地がむき出しの地面をさらしていた。草がぼうぼう茂っている土地の真ん中には、ぽつんと祠が立っている。


「目的地ってのは、これのこと?」


「そうです。電車で通るときに見えたきりですが、ただならぬ気配が漂っていました」


 駅のほうから、踏み切りがカンカン鳴るのが聞こえてきた。


「私の見立てですが、これは人身事故の被害者を祀ったものです」


「そうなの?」


「ええ。直近だと、去年も一人亡くなってます」


「それにしては古そうだけど」


「きっと、古い被害者と合祀してるんですよ」


「なるほど」


 これ以上は真弓に質問するのをやめて、自分の乏しい霊感に頼ることにした。とはいえ、見ても聞いても、何の異常もない。ここは何の変哲もない線路沿いの空き地で、あるのはただの古びた祠に過ぎない。


 それにしても、と思う。空き地に隣接しているのは、僕も毎日通学に使っている路線の線路だ。この辺りの家並みや、立ち木の感じには見覚えがある。なのに、こんな祠があるなんてのは、全然気がつかなかった。


「ちょっと、何してるんだ?」


 思考を打ち切って、真弓に声をかける。かなり強い調子になったのは、彼女が祠の中に手を突っ込もうとしていたからだ。


「中に、扉がついてるんです。被写体の姿がないので、こちらから何かアクションを起こそうかと」


「バカ、変なちょっかいかけんな!」


 バカはムッとした顔をした。


「怖いなら帰っても良いですよ。撮影なら私一人で大丈夫ですから」


「大丈夫じゃ――」


 なくなるかもしれないだろ、と言いかけた時、真弓が手を動かしたのが見えた。留め金の外れるカシャン、と言う音が妙に大きく聞こえて、雰囲気が変わる。


 兄貴を呼ばないと、と思ったのと、空き地の景色が吹き飛ぶのが同時だった。


「……?」


 真弓が留め金を開けたときのポーズのまま、辺りを見回した。空き地と一緒に祠もなくなったせいで、パントマイムの途中で水を差された芸人みたいになっている。


 蛍光灯が点いているのに、辺りは妙に薄暗かった。目の前にはコインロッカーと、自動改札。ICカードを認識できない、今はもうすっかり撤去されてしまったやつだ。その向こうには線路が広がって、ものすごい夕焼けが射している。


「どこですか、ここ」


 ぽつりと後輩が言った。


「駅だ」


 単純明快だった。祠を開けた途端に、空き地は駅に変わっていた。問題なのは――。


「だから、どこの駅ですか?」


 ということだった。

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