それいけ!T高怪奇探索部

斎藤麟太郎

Case1:阿用郷の鬼

其之一 結成! 怪奇探索部!

 お前は鬼を見たことがあるんだ、と兄貴に聞かされたことがある。僕がまだ五歳だったころ、母に連れられて一緒に上った山の中で、僕らは鬼を見た……らしい。


 それなりに整備された登山道の脇は、一歩踏み外せばそのまま滑り落ちていくしかない、なだらかな斜面が広がっている。その一番底に、鬼がいた。兄貴の話では、その鬼は子どもみたいな無邪気さで狐を追いかけていたという。




 この他にも、鬼についての話を聞いたことはいくらでもあるけれど、鬼についての話をするのは初めてになる。


 僕の名前は藤堂透とうどうとおる、T高校に通う寺生まれだ。これまでも“寺生まれ”ってことで、少し良い目にあったり悪い目にあったりしてきたけれど、今回はどちらかと言えば、悪い部類に入る話から始めたいと思う。




 去年の三月十八日は一つ年下の受験生にとっては合格発表日で、僕らにとっては年度最後の登校日だった。ほとんど在校生を集めるだけの終業式が終わって、先生たちの手が空くと、すぐに体育館前に設置された大きな掲示板の覆いが外されて、校舎の外からは後輩になったりならなかったりする中学生たちの声が聞こえてきていた。


 在校生にしてみれば春休みの始まりで、校舎の中にはなんとなく浮ついた雰囲気が漂っている。僕の気分も、心なしかいつもより明るい。足取り軽く文化部棟を抜けて、『写真部』の扉を開けた。


「ああ、藤堂くん」


「狛田さん」


 生徒会長の見慣れた顔が、部室の中から僕を見返していた。


 なんだろう、と思った。彼女は写真部の部員じゃない。何せ、写真部には僕しか所属していないんだから。


 一応自己弁護をしておくと、うちの学校には写真部と似たような状況の団体はいくつもある。T高校では「今からやります!」って言えば、課外活動団体を立ち上げることが出来る。だから、一人だけで部なり同好会なりが持っている、ということも珍しくはなくて、要するに僕が極端にぼっちというわけじゃない。


「良かった。ちょうど行き違いになるところだったから……」


 狛田さんと僕は、クラスは同じでも会話したことはほとんどない。記憶を探ってみたけれど、やっぱり思い当たる節は無かった。


「それで、えーと……なんだっけ?」

「そうそう、ごめんなさい。部活のことで、ちょっと」


 部活?


「うん、写真部ね。ここ、前から“部”扱いで、部屋と予算をもらってるでしょう」


「確か」


「で、しばらく目立った活動もしてないわよね?」


「……まあ、そうかな」


 本当は全く写真部としては活動していなかったけれど、僕はあいまいにごまかした。狛田さんはため息をつく。


「こないだの議会で、そういう……もちろん写真部に限ってじゃないけど、活動休止状態の部活にリソースを割くのはまずいんじゃないか、って話が先生から出たの。来年度は、部室も予算も、覚悟しておいてね」


 ちょっと待てよ、と思った。あんまり急で、一方的過ぎる。大体、写真部室は僕の仮眠室で、自習室で、食堂で……写真を撮っていないだろうと言われれば、返す言葉は無い。


「まあ、確かに活動はしてないけど……それにしたって、ちょっといきなりすぎない? 昔の機材とか、そのままにはしておけないよ」


「だから、今伝えに来たの! 年度初めの生徒議会で決まって、それから出てけ、なんて言われても困るでしょう。私たちだって、一昨日聞かされたのよ」


「生徒議員は? 誰も反対しなかったの?」


「ムチャ言わないで。あんなの、ほんとは全部先生がやってるんだから」


 無茶を言われているのはこっちのほうだ、と言いかけて、やめた。ピリピリしている相手に噛み付いて喧嘩したって、なんにもならない。


「そうなんだ。……ありがとう、教えてくれて」


 僕が殊勝な態度をとって見せると、生徒会長は少し申し訳なさそうになって、「ごめんね」と言った。でも、すぐにもとの強気な表情になって、他の部活を周りに行った。


 部屋には、僕だけが取り残される。


 生徒会長の来襲で、すっかり浮ついた気分がしぼんでしまっていた。春休みの課題を開こうという気にも、早めの昼飯にしようという気にもならない。


 窓の外のグラウンドでは、運動部が練習を始めていた。一番手前のダイヤモンドでは、野球部のキャプテンが早くも合格者を集めて勧誘に説明会を始めている。部屋の外からざわざわ聞こえてきているのは、文化部棟でも似たようなことをしている所があるらしかった。


 一人でいることは苦じゃないけれど、今日みたいなことがある時は少しばかり応える。僕は掛けようとした椅子を戻して、キャビネットに鍵がかかっているのを確かめて、部屋を出た。


「あの……」


 部室の鍵は、教員室に行ってもらってこないと……それともこの時間なら、開けっ放しで帰っても文句は言われないか?


「あの!」


 引き戸を引いた手を掴まれて、初めて自分が呼ばれていたことに気づく。ジャグリング同好会が廊下で始めたデモンストレーションを囲む輪から、ひときわ大きな歓声が上がった。


「僕?」


 自分を指差して確認すると、知らない女の子がこっくりうなずいた。肌も髪も色素が薄い。グレーでリボンの無い、簡素極まるセーラー服は、隣駅の小中一貫校の制服だ。T高には制服がないので、制服を着ているのは中学の制服を私服にしているやつか、合格発表を見に来た中学生ということになる。


「もしかして、見学希望? もう終わるところなんだけど」


 僕なら、これで引き下がっていただろう。でも、女の子は引き下がらなかった。


「そこをなんとか! ここに入るのが楽しみで、この学校を受けたんです」


「でも、写真部は――まあ、いいか」


 色素の薄い女の子は中学生のほうだったらしい。ここに入るのが楽しみで、とまで言われれば、悪い気はしない。それに、何も合格した日に志望理由が消滅した報せを聞くこともない、と思う。


「じゃあ、入って。鍵を掛ける前でよかったよ」


「やった! ありがとうございます!」


 ちくりと胸が痛んだ。本をただせば、写真部が部で無くなるのはロクに活動してこなかった僕のせいでもある。も、と言うのは、気前の悪いT高当局のせいとも言えるからだ。




 部室に入ると、女の子は「さあ、これからどんな話が聞けるんだろう!」って顔をした。確かに部屋の中は大きな机と、大きなキャビネットと、狭い暗室に繋がるドアくらいしかない。昭和何年だかに発行された写真の雑誌は、見学に来ただけの人に勧めるのははばかられる。僕が、なんとか間を持たせなくちゃならなかった。


「部長の藤堂透です。まあ、適当に座って」


「私、真弓千聡まゆみちさとって言います。よろしくお願いします!」


 エクスクラメーションの多い女の子だ。それだけで、僕は魂を持っていかれるような気分になる。


「で、えーと、写真部なんだけど」


 僕は頭をかいた。


「正直、あんまり盛んな部活じゃないんだ。部員も僕一人で……。本格的にやりたいなら、うちじゃなくて新聞部に行ったほうが良いよ。向こうの方が、新しい機材がそろってるし、色々撮れる」


 実際、ここに残っているのは骨董品みたいなフィルムカメラばかりだ。体育祭やら文化祭やら、学校行事を撮影する機械の多い新聞部のほうが、よっぽど写真を撮ることには詳しい。


「でも、新聞には興味なくて。締め切りも大変らしいし」


 よく調べてきている。同じ学校からの志望者数と偏差値しか見ていなかった去年の僕とはえらい違いだ。


「運動会……じゃなかった、体育祭を撮りたいってわけでもないんです。うちにあった部誌を見て、いいな! って」


「部誌?」


「作ってないんですか、部誌?」


 言われてみれば、キャビネットの底に、手とじの小さな本がいくつか残っていたような気がする。


「そうそう、それです。『怪』」


 本屋で見かけたことのある、赤い判子風のロゴマークが入った、コピー用紙の表紙。ちょっと印刷は荒いけどフルカラーで、なかなか気合が入っている。


「かい?」


「け、ですよ。読みまで同じだとパクリになっちゃうじゃないですか!」


 これでも十分パクリだ。中身はピンボケの写真と、おどろおどろしい震え字で書かれた胡乱な記事。心霊特集……と銘打ってあるけれど、次の号も、その次の号も同じ特集が組まれている。目の前の女の子が「これを読んでここに来た」と言う話を思い出して、思わず顔をしかめた。


「もしかして、真弓さんの撮りたいっていうのは」


「そうなんですよ!」


 目をキラキラさせて、真弓千聡は立ち上がった。寺生まれをしていると、こういう手合いに会うことも少なくない。裏の墓場を撮影させてくれと言う連中や、妙なものが撮れてしまったので祓ってして欲しいと大騒ぎする奴がやって来ることもしばしばある。


「ここなら心霊写真が撮れると思って来たんです、私!」


「……」


 「マジかよ」と同時に「やっぱりか」と思った。心霊写真を撮りたい! と叫んだ中学生は、少し恥ずかしそうにして椅子を引いて、


「すいません、大きな声出して。もちろん、撮影は私一人でやりますし、先輩にご迷惑は掛けませんから」


「から、って言われてもな……」


 そこまで撮影の対象が限定されているなら、穏便に新聞部あたりを選ばせようと言う僕の目論見は完全についえたことになる。落胆させるのは気が進まないけれど、本当のことを伝えるしかなさそうだった。


「その、なんて言うかな。こんな日にこんなことを伝えたくはないんだけど」


「なんですか?」


「写真部は、今年度で終わりそうなんだ。部室も、予算の割り当てもなくなると思う」


 真弓千聡は目を丸くする。


「どうしてです? あ、部員が少ないから? それとも先輩が先生を殴ったとか?」


「違う。来年度に予算の再編があって……活動の休止が長かった部活には、予算も場所も削減されるんだってさ。写真部も、随分写真は撮ってないから――僕も、あんまり続ける気はないし。この写真部は、もう畳むことになると思う」


 風船がしぼむようにして、希望にあふれていた少女の表情は暗くなる。くそ、だから言いたくなかったんだ。


「もちろん、新しく写真同好会を作るのが駄目ってわけじゃないし――」


「カメラは」


 えっ?


「カメラは、どうなりますか? 棚の中身の部誌とか、本とかは」


「それは……機材は新聞部に引き取ってもらえるのかなあ。部誌とか雑誌は、持って行ってもいいし」


 ジャグリング同好会のマイクパフォーマンスが、窓の外から聞こえてきた。いつの間にか、会場を校舎の外に移していたらしい。この様子だと、写真部の空けた部室に入るのはジャグリング部かも知れないな、と思う。


「……なりません」


 不意に口を開いた中学生が、低い声を発した。


「なりませんよ、それは。少なくとも向こう三年間は、部室と予算をつけてもらわなくちゃ。その話、もう本決まりなんですか?」


「いや、まだ――」


「じゃあ、今からでもなんとかなりますよ。活動してないのが悪いなら、活動すればいいんです。まだ新年度には、二週間近くありますし」


 それは、そうだけど。


「入部と順番は前後しますが、この『怪』を復活させます。学校中にばら撒いて、サボってたんじゃないってところを見せ付けてやらなくちゃ」


 サボっていたのは事実だ、と言いかけて、口をつぐむ。さっきまでの明るさが嘘のような目で、真弓千聡は僕を見ていた。


「手を貸してもらえますか? 在校生が作った体にしなくてはならないので」


「それは……まあ。で、でも、まともにやるなら心霊写真が要るんだろ。そんなの、そうそう撮れるものじゃないんじゃ」


「ああ、それについては心配ないです。簡単に撮れますよ、心霊写真の一枚や二枚」


「どうして」


 少女はびしり、と姿勢を正して、顎をつきだした。


「私が視えてるからですよ。視えてるもんなら、撮れます」


 カメラの機構が人間の目を模してるって話、聞いたこと無いですか? 少女はそう続けて、僕の目を見た。


「それに、知ってるんですよ」


 なにを、と聞くまでもなく、嫌な予感がした。


「先輩、含福寺の息子さんでしょう? 知ってるんですよ、寺生まれの藤堂さん!」


「それは――」


 そうだけど。


「それに、さっきも言いましたよね。私、ここの写真部で心霊写真を撮りたくて入ったんです。それが存続危ういのは、在校生の怠慢ってやつなんじゃないですか?」


「それは」


 そうだけど!


「別に、責任を取れって言ってるわけじゃないんです。ただちょっと、写真部が……そう、かつての怪奇探索部としての面目を、できれば私の手によって施すまで! 部員名簿に名前を貸してくれればいいんですよ」


 なんなんだ、その珍妙な部活は。知らない相手と見知らぬ単語に、どんどんエネルギーを持っていかれるのがわかる。


「わかりましたか?」


 真弓千聡の「わかりましたか?」には、「わかりません」と言わせないだけの圧力が伴っていた。そうでなくても、彼女の言葉は僕の罪悪感をチクチク刺激する。僕は心の中で両手をあげた。ついでに、実際に両手を上げた。


「わかった。降参する」


「よっし! ありがとうございます!」


 俄然やる気がわいてきましたね! と叫ぶ少女に、僕はまた、エネルギーを持っていかれる感じがした。




 ――さて、大した情熱と勢いと強引さを兼ね備えていたけれど、彼女は鬼じゃない。僕が実際に鬼と相対するのは、もう少し後のことになる。


 写真部……真弓の言うところに依れば、かつての怪奇探索部が本格的に始動するのは、その日を待たなくちゃならない。でも、本当の本当に始まりについて語るのなら、それはこの日の他には無いと思う。




 もちろん、この日の僕は、そんなことは露とも知らない。真弓が帰ってしまった後は、環境の変化にただ戸惑っていた。


 でも、これは間違いない。


 写真部が廃部に追い込まれて、初めての後輩、真弓千聡と出会った日に、T高怪奇探索部は、僕は、真弓は、それぞれの時間を動かし始めた。


 目には見えなかったけど。誰も気づいてないけれど。それは、間違いない話なんだ。

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