颯の場合9

「俺がこいつを好き? なわけないじゃないですか。俺はこいつのこと反吐が出るほど大っ嫌いですよ」


 部長は濁った瞳で鼻を鳴らす。昔の瞳の方が俺は好きだった。そんなことを言ったって何も変わりはしないし、余計に嫌われることを知っている。


 俺はこいつ、男子弓道部部長の神楽樹かぐらたつきと特別仲が悪い訳では無い。だが、今は険悪の中と言っても過言でもない。しかし、昔は仲がよかった時期もあった。昔と言いつつも中学の時のことだが、お互いの部活が休みの時放課後バカをしたり一緒に登下校するぐらいには仲が良かったと思う。


 神楽と噛み合わなくなったのは高校の初めだ。俺が弓道部に入部し、成果を出し始めた時だった。神楽からすればつまらなかったのだろう。

 彼は中学から弓道を始め、地区大会では優勝を当たり前とし、県でも上位だった。それが先輩達に期待させ彼は中学の時とは比べ物にならないプレッシャーを背負った。3年の先輩最後の大会。神楽は入部仕立てで二三年を押しのけ、さらに1年で1人だけ選ばれた団体メンバーになった。


 今の俺ならわかるが、弓道というものはいくらもし練習中百発百中だったとしても肝が座ってなければ本番はその通りに行かない。いくら練習で成果を出せていても本番で当たらなければ意味が無いのだ。


 彼は団体メンバーで1人だけ、的に当たらなかった。


 何とか、先輩達のお陰で次には進めたが神楽がまた同じ舞台に立つことは無かった。


 それからだ。神楽が早気になったのは。


 理由は何となくわかる気もするが、きっと本人も物として現れる原因でないからよくわかっていないとは思う。

 神楽は今まで少なからず4本中3本は射ていた矢を地面に落とすようになった。


 その時期に丁度俺はコツを掴んできて射ることが出来るようになってきた。それから徐々に俺と神楽は話さなくなっていき、目を合わすことも無くなった。


 そんな時期だった、あの噂を聞いたのは。


『知ってるか? 誠司先輩と颯ができてるって噂』


『でもあいつよく女と一緒にいるだろ』


『それがふりなんだってよ。俺はゲイじゃないですよーって、まぁつまりカモフラージュ? 』


『うわっありえねー』


『そーいや、あの二人ってよく残って練習してるもんな』


『でも誠司先輩ってあっちゃん先輩が好きじゃなかったっけ?』


『馬鹿。 あっちゃん先輩先週彼女できたって嬉しそうに俺らに言ってきただろ』


『あの人よくわかんねぇーよな。俺、普通に誠司先輩のこと好きなんだと思ってたわ』


『誠司先輩、俺でもいけねぇかな?』


『は、お前先輩狙ってたのか?!』


『そういうわけじゃねぇけど、あの人ならイケるなーと』


『分からなくもないが、ダメだろ』


『まぁ、そうだよなー』


 部室に忘れ物を取りに行こうとした時に聞いたアイツらの声を俺は忘れない。俺の事について言われたのが気に食わなかったんじゃない。そういう感情で俺の事を面倒見てくれた訳では無いのに誤解されてる先輩にも申し訳なくて、あっちゃん先輩のこと想ってる先輩を侮辱されたような気がしてならなかった。


 それから俺は今まで以上に部員と距離を置くようになって今のような状況になった。ただでさえ人付き合いが悪かった俺が己から距離を置くと脆くすぐ壊れた。



「俺もお前のこと大嫌いだよ。気に食わないことがあるなら正面から言えよ。あいつらとつるんで影で言う暇があるなら俺に言えばいいだろ」



 俺が言ったことに彼は驚いたのか目を丸くしていた。そしてその彼を見て俺はさらに驚いた。鳩に豆鉄砲だ。なんで、そんな寂しそうな顔をしたんだよ。お前は俺が嫌いなんだろ? 普通そこは鼻で笑うところだろ。



「……お前、やっぱ気に食わないわ」



 それじゃあ、先輩失礼しますね。神楽は何食わぬ顔で去って行った。

 あの時の彼の表情はなんだったのか、よく分からない。ほのかに上がった口角も垂れ下がった眉も震えた瞳も何も言われなければ俺にわかるはずがない。

 他人の感情の読むなんて高度な技、俺が出来ると思っていたら大間違いだ。人間違いだ。そういうことが出来るのは俺じゃない。あいつだ。


 俺は誠司先輩を見る。彼はあいつに似ているところがある。彼が俺に返した瞳は神楽とは違う鋭い震えが走っていた。

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