颯の場合5

 家に帰ると珍しく莉音の靴が無かった。カバンを床に置いて洗面所で手洗いうがいをしてからリビングへと向かう。


「あ、颯お帰りー」


 拓磨が、エプロン姿で俺を出迎える。


「……ただいま」


 俺は小さくつぶやくと拓磨は嬉しそうに微笑んだ。その姿を見ていつもながらの罪悪感を覚えたが、習慣となってしまったものはなかなか治らない。


「莉音は?」


 制服を脱ぎながら気になっていたことを聞いた。莉音が俺らのどちらかより遅く帰宅することは滅多にないからだ。あいつは俺らと違って部活に所属していない。


「莉音、颯にも連絡してないのか」


「俺にもってことは……」


「俺にも連絡は来てないよ」


 珍しい、思わずその言葉が出てくるところだった。

 莉音は俺に連絡してくることはあまりないけれど拓磨とは連絡をすることはあるらしい。けれど、その拓磨にさえ連絡をしていないとなれば何かあったのではないだろうか。そんな考えが俺の頭を掠る。


「莉音のやつどうしたんだろうね」


 拓磨がそんな調子で言う。近所の知らないおばさんが野良猫を探している時に、なんとも思っていないけれどとりあえず声はかける時みたいな。そんなに心配していない様子だった。

 けれどもそんな考えはすぐに裏切られたけれど。


「もしもし、母さん?」


 拓磨はいつの間にかスマホを持ち電話をかけていた。そのまま拓磨は話し続ける。母さんが珍しく出れる状況だったらしい。

 あの人が電話に出るのはとても珍しいことだ。電話をしてもいつも返ってくるのはメールだ。電話で話したことなんて小さい頃から数えても数える程しかないと思う。

 そんなあの人が出たのだ。やはり何か、莉音になにか起きたのだろうか。


「そっか、それなら良かった」


 拓磨がほっといきを漏らした。そしてそのまま近くにあった椅子に座り込む。

 その様子から莉音が無事だったことが分かる。彼はもし父親になったら結構な過保護になるかもしれない。


「それで今どこにいるの?」


 一呼吸間があってから「え?!」と拓磨の驚いた声が響く。

 そしてその後すぐ、ピンボーンとインターフォンが鳴った。こんな時間に誰だ。俺が出るのを面倒くさがってるすきも無く拓磨がスマホに耳をあてたまま急いで玄関へ行き、すぐさま鍵を開けた。


「ただいまー!」


 女の人の声が聞こえてくる。それに勢いよく開けられたドアの音もリビングまで聞こえてきた。

 あぁ、これは誰もが1度は見たことがあるか聞いたことがあるという国民的女優“柏木春菜”だ。

 そして俺達の母親だ。


「ひっさしぶりー!あ、莉音なら車で寝てるからどっちか運んできて」


 母さんはそう言うと1ヶ月ぶりにきた我が家にへばりつくようにソファに倒れ込んだ。そして、すぐ寝た。

 あぁ、母さんだ。紛れもなくマイペースすぎる俺達の母親だ。


「しょうがない。颯は母さんに布団掛けてあげて。俺は莉音を連れてくるよ」


「はいはい」


 俺は押し入れにしまってある布団を引っ張り出してきて、母さんに掛けてやる。

 少し、痩せたか……?

 そう言えば、また新しいドラマに出るって言ってたっけ。

 女優というものは演じる役によって体型をかけることもあるらしく母さんが帰る度姿形が違うものだから小学生の時はとても驚いたのを覚えている。けれど今では驚くところが気に止めることさえ少なくなってきた。


「ぅぅん」


 母さんが俺をかけた布団を剥がす。

 相変わらず寝相も悪い。

 いっその事ローストハムみたいにしてやりたいがそんなことはしない。

 流石にそこまで過激派ではない。


「颯、ちょっと手伝って」


 拓磨の声が聞こえてくる。流石に拓磨一人で莉音を連れてくるのは険しかったのだろうか。とりあえずもう一度布団を掛け直してから玄関へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る