近況報告

 まだ何処かひんやりとした空気を含む、とある家屋の廊下にて。腰までゆうに届く墨色の髪をおさげにした少女が一人。


「うん、うん。僕は大丈夫。そっちこそ気をつけてね。うん、二度目はない?それならいいけどさぁ。というか、そうじゃなきゃだよ。......それじゃあ真朱さん呼んでくるから。またね」


 有線越しに両親と会話をするのも、電話の最後に真朱と代わるのも、気がつけば少女、東雲問志しののめといしの日常の一部になっていた。


 問志は手に持っていた受話器を電話台の上に置くと、自らの雇い主であり、ここ帝都における保護者でもある真朱を呼ぶべく食堂へと続く戸を開く。すると、案の定待ち構えていたらしい真朱は問志に目配せすると椅子から立ち上がり、廊下の隅に備え付けられた電話台へと向かっていく。


 すれ違い様に彼女の身体から香るのは、本人が常日頃 きっする煙草のそれではなく、瑞々しい植物の甘い香り。振り向けば、夜の菫に似た姿の女性が受話器を手に取ったところだった。


 食堂の戸を閉めて、羽鐘と真朱、二人の会話を遠ざける。部屋の中は鉱石ラジオから流れる歌姫たちの声と声の襲で程よく満たされていた。


「変ワりないって?」と尋ねてきたのは、椅子に腰掛けた柘榴色。果実の赤を思わせる髪色の間から、白い角が三本突き出している。


 その鬼、えんじゅは手持ち無沙汰だったのか、両の手の中で器用に銀糸の星を作り上げていた。かの鬼が星を解体ばらして糸を適当に纏めると、それは一瞬で焔に包まれ消える。

 それは鬼が持つ異端の力、俗に怪異と呼ばれるもの。槐の怪異は、白い焔のカタチをしていた。


「いつも通りでしたよ。アレは全部夢だったんじゃないかと思うくらい」

 そんなことはないのですけどねと言って、問志は槐の向かいの椅子に座り、飲みかけだった自身の湯飲みに口をつける。中身の茉莉花茶まりかちゃはとうに冷えていて、香りはほとんど消えていた。


 耳から拾いあげる二人の様子は、本当になんでもない様子なのだ。けれど問志が最後にその眼で見た両親の姿は、数カ月前に常磐山で起こった外套の男と岩遣いの鬼の襲撃を、どうにか退けた直後(正確には最中だっただろう)であり、とても無事とは言い難いものであった。


 さらに常磐山での騒動の、その最後の最後で気を失った問志が次に目を覚ましたのは東へ向かう鉄の箱の中。

 帝都について直ぐに両親__羽鐘とミシェルへの連絡は取れたし、先程のように定期的に通話もしている。真朱が渡したという呪符も、効力がないとは思わない。

 それでも。


 何もわかっていないのだ。彼らが何者だったのか。どうやって問志でさえ知らなかった、彼女たちの秘密へ辿り着けたのか。血と岩と焔とで積み上がったあの出来事が、あれで終わったと思って本当にいいのか。……わかっていないと言えば、羽鐘達は知っているらしいあの”うろ”のことも、問志は知らないままではあるが。

 その現状に、ふとした瞬間脳裏を掠める光景に、どうしたって心の臓腑がざわめくのだ。


「心配はごもっトもだがな。万が一、の可能性は此処ここでだってあるぜ。なんせ不肖もおヒいさまも当事者だ。もちろんお嬢さんも。あの場所でんだろ?不肖達には視えなかったモノを」

 満月色の隻眼に問われた少女は頷く。黒い影の虚人。それを確かに問志はにかけた。


「杞憂であればあれでしまい。ま、そうでなくテも、秘匿と隔絶はおひいさまの領域だ。だからこそ榴月堂ここには訳アリの客も多い。少なからず見てきたダろう。あレこそおひいさまの実績と信頼の証明さ」


 そう、この売血と調整器諸々の売買を商いとする榴月堂りゅうげつどう、どうやら一般的なそれより客層が特殊らしいのだ。昼間に接客した人物に妙な覚えがあると思ったら、その日の夜の箱型受像機テレビに映っていたことも、もう何度もある。


「真朱さんも、二人も、きっと僕が思うよりずっとずっと凄くて、だから大丈夫なんだろうなって、理屈では思うんです。だけど、感情が言うことを聞いてくれない」

「そりゃな。だかラ感情なんだろうさ。全く、厄介なモンだ」


 生気の薄い槐のかんばせに、気だるげな声に、問志は槐を形作る何かがほんの少しだけ揺れ動いたように感じた。一瞬だけ浮き上がらせられたそれが何なのか、少女は思わず自身の鬼を視る。

 しかし問志の視線に気づいたのか、それとも無意識か、槐はまぶたを下ろしてしまう。


「向こうが諸々落ち着いたら帝都ていとに呼べばいい。お嬢さんは常磐山むこうに帰っテくんなと言われてるだろうが、帝都こっちに呼び出しすルなとは言ってなかったろ?ソんで気をもんでる分、我儘でもなんでも聞いてもらウといい」

 口元の弧はそのままに、声色は少女を宥めるように。満月の奥に在っただけが隠される。


「……取り敢えず、はぐらかされている諸々について何らかの返事は貰いたいものです」と少女は言って、空の湯呑みを満たすべく席を立った。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 真朱が食堂に戻ってきたのは、それから四半刻ほど経過した頃だった。

大蓋からくりの修理、想定よりは早く済みそうなんですって」と言って、菫の髪の女は少女の隣の椅子に腰掛けた。

 煙草を呑んできたようで、燻された葉のくすんだ香りがほんの少しだけ部屋に混ざる。


「アタシが注文したものもそう遠くない内に寄越してくれるそうよ」

「なんだ、それなら本当に近イ内、帝都こっちへ呼び出せるんじゃねぇの?」

 槐はそう言って、自身の調整器__真鍮海月を抱え込んでいた問志に視線を送る。

「……呼べそうな感じでした?」

「ああ、大丈夫じゃない?自分で言うのも何だけれど、あの人たちの中でアタシの頼んだものの優先順位は低いでしょう。それの目処が立ったって言ってるんだもの。来るなら榴月堂うちで面倒みるわよ」

「ちょっと、次の電話の時に話してみます」

 真朱の返事を聞いた問志は、真鍮海月を抱える腕の力を僅かに緩ませた。


「さて、明日も早いしアタシは寝るわよ。代で吹っ飛んだ分稼がないと」

榴月堂ここの買値より下手シたら高かったんじゃねえの?」

「高かったわよ?此処が破格だったてのはあるけれど」

 __人形。それが、糸魚真朱いといしんしゅ東雲羽鐘しののめはがねに作製を依頼したものだと東雲問志は聞いていた。しかし実のところ、あまり詳しいことは把握していないもので。

「その人形って、結局どういうものなんですか?お母さん《しののめはがね》じゃなきゃ作れないってことは聞きましたけど」


 答える真朱はひどく軽やかに、春の凪のように笑ってみせた。

「約束そのものみたいなものよ。少なくともアタシだけにとっては」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百夜鬼譚 空木 @utugisaicai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ